
今日の草履は、リサイクルシリーズMサイズ23.0cm〔2300円〕
先日の「夜桜」で使用したシルク混の黒い着物をベースに、セオリー通りの赤い鼻緒です。これで人気の高い「秋田おばこ調」になるわけです。
昨日の西宮家、お隣りの旧西木村から70歳くらいのおばあちゃんが訪れました。二つ候補に残して、最終的にこの「秋田おばこ調」をお選びになりました。
『オラだば秋田オバンこだ~、あはははっ』。いえいえ、とても若々しく見えますよ。赤い鼻緒の草履を履いて、これからも元気でいてくださいナ。
つい先日のこと、三女が小学校から持ってきたおたよりは、『辞めることにしました!』と書かれた校長先生からのものでした。定年まであと二年を残し、今月で永い教員生活を閉じることにしたのです。B5の紙には、辞める決意に至った経緯が記されていました。
『退職の理由はとても複雑で、いくつもの要素が重なっていることに気付きます。パソコンを使えないことは大きな理由です。校地内が禁煙になったことも理由の一つです。わけのわからない県や国の教育改革も要素になっています。でも一番の理由は、給料に値するほど働けなくなったことでしょうか。いつも先生方に申し訳なく思っていました。「老いたら去る」です』
実は校長先生、欽ちゃんの仮装大賞マニアで、過去7年連続テレビ出演しているその道のツワモノなんです。もう一方では画家さんでもあり、数度の個展も開いています。
教職としては「老兵」でも、これから他の道でガンガンやってくれると信じています。
校長先生に、草履を贈りたいと思っているんです。赤い鼻緒の草履を履いて、これからも元気でいてくださいナ。あっ、赤じゃ変か!?
先日の「夜桜」で使用したシルク混の黒い着物をベースに、セオリー通りの赤い鼻緒です。これで人気の高い「秋田おばこ調」になるわけです。
昨日の西宮家、お隣りの旧西木村から70歳くらいのおばあちゃんが訪れました。二つ候補に残して、最終的にこの「秋田おばこ調」をお選びになりました。
『オラだば秋田オバンこだ~、あはははっ』。いえいえ、とても若々しく見えますよ。赤い鼻緒の草履を履いて、これからも元気でいてくださいナ。
つい先日のこと、三女が小学校から持ってきたおたよりは、『辞めることにしました!』と書かれた校長先生からのものでした。定年まであと二年を残し、今月で永い教員生活を閉じることにしたのです。B5の紙には、辞める決意に至った経緯が記されていました。
『退職の理由はとても複雑で、いくつもの要素が重なっていることに気付きます。パソコンを使えないことは大きな理由です。校地内が禁煙になったことも理由の一つです。わけのわからない県や国の教育改革も要素になっています。でも一番の理由は、給料に値するほど働けなくなったことでしょうか。いつも先生方に申し訳なく思っていました。「老いたら去る」です』
実は校長先生、欽ちゃんの仮装大賞マニアで、過去7年連続テレビ出演しているその道のツワモノなんです。もう一方では画家さんでもあり、数度の個展も開いています。
教職としては「老兵」でも、これから他の道でガンガンやってくれると信じています。
校長先生に、草履を贈りたいと思っているんです。赤い鼻緒の草履を履いて、これからも元気でいてくださいナ。あっ、赤じゃ変か!?
数日前の、今のお仕事につくまでの経緯を読ませていただきました。
人生、紆余曲折がありますね。試行錯誤の結果は、何処にたどり着くんでしょうね。
何であれ、これでいいと満足してしまったら
進歩はない?のではないでしょうか。
校長先生の草履、私は赤に賛成!
赤っていい色ですよ。
ただやりたいことをやってきた「自由人」なんですから、家族に迷惑かけたこともいっぱいで‥。
そうですか、男性でも赤がイイですか。分かりました、作ってみます!
私のブログにお越し下さってありがとうございました。
草履職人さんのブログ、読ませていただきました。お仕事での素敵な出会いがたくさんあって、うらやましく思いました。
またお邪魔させていただきます。きっとこれからお花のシーズンでお客様が増えて大変なのでしょうね、お体にお気をつけて頑張って下さい。
実演していると、毎日々々新しい出会いがあります。それは遠く県外からのお客様ばかりでなく、隣り町のおばあちゃんであったり、西宮家の近所の子どもであったりもします。いかに普段の生活が限られた範囲であったかが分かるんです。
そう思うと、新しい発見をするためには遠く旅に出るばかりじゃないと言うことですかね。
あっ、そんなことを言うとお客様が減っちゃいますね(苦笑)。
いろんな引き出しがあるんですよね。
でも、世の中の流れは速く、そして、
新しい物が重宝される。古い物は
いつの間にか消えてしまっている。
そんな感じしません?
私の会社でも、数年前のパソコン導入で
手作業していた先輩たちが行き場を無くしてしまった、ということがありました。
懸命にパソコンを学んだ人、
今までの自分を変えなかった人、
今はそれぞれ全く違う結果になりました。
でも、そのころの先輩達に話しを聞くと、
仕事に対する気迫や、妥協の無さに
驚きます。
同時に自分の甘えた仕事っぷりに
愕然とします。
経験を重ねた先輩たちは、
実質の動きは出来なくなったとしても
経験という沢山の引き出しを持っている。
それを僕らは受け継いでいきたい。
だから、これから僕らは、
「老兵に学べ!」ということを
して行かなくてはいけないと思います。
歳を多く重ねた人は皆「先生」です。
サラリーマン時代の勤務先に、事実上の創業者である社長の父親がいました。すでに現役を退いていたので、私たち社員は「おじいちゃん」って親しみを込めて呼んでたんです。
そのおじいちゃんの若かりし時代の商売ってスゴいですよ。きざみ煙草に使うキセルと、角館で生産されていた樺細工の胴乱を自転車に積んで、東北六県を売り歩いたっていうんですから。これを当地では「自転車部隊」と呼んでいたそうです。
そのおじいちゃんも一昨年亡くなりました。私にとってはひとりの「師」でしたね。
パソコンが・・・という事が理由のひとつというのは、わかるような気はするけど何かショックだな・・・あと10年たった時、パソコン出来なければ・・・出来ない人はいったいどうなるのでしょうか?パソコンの歴史なんてせいぜい20年くらいでしょ・・・?もっともっと、積み重ねてきた物があるのに、その価値観が消えない10年後であってほしい。気持ちはアナログでいたいよ~
何が言いたいのかわからないコメントでした
パソコンや機械ではできないことが、この世から消えてなくなるなんてことはないですよ。いや、むしろあってはならないことだと思いますね。
観光地だってそうでしょ。今流行りのデイズニーランドとかテーマパークだけがもてはやされてるかと思えば、角館のような古き良き日本を感じる町だって決して負けてない。それに、草履だって編めなくなってしまいそう(苦笑)。
ドリハモ東小親の会からの感謝の意、草履と共に確かに校長先生へ届けてきますね。