先週、今週で映画をふたつ見ました。
並べたら“おおかみ少年”に見える~
『おおかみこどもの雨と雪』
細田守監督のアニメ映画。
雨と雪のお父さんは、ニホンオオカミの末裔で、人間の姿になっていたときに、お母さんと愛し合い、まず雪が、そして弟の雨が産まれました。
しかし、お父さんはおおかみの姿で亡くなってしまいます。
人間でもおおかみでもある幼い姉弟。
お母さんと三人で移り住んだ山奥の村で、村の人々と触れあいながら、雪と雨は自分の生きる道を模索しながら、成長していきます‥‥そしてそれを見守るお母さんは‥‥
と、こう書くと、ヴァンパイアを連想してしまいがちですが、全く違います。
作り物めいたお話ですが、実はとても深いのだと思います。
日々の生活を大事にしなくてはならないと、強く思いました。
そして、“選択”というものの持っている意味とか重さとか‥‥
風景とか動物とか人間以外の絵面は、とてもきれいでした。
人間がもう少し自然に見えると良かったです。
ワタクシ的に特筆したいのは主題歌の「おかあさんの歌」
エンディングでこの歌が流れるのですが、泣きそうになりました。
これは、待ち望まれた子供たちのお話。
そして、予期せぬ妊娠で華やかなキャリアを仕方なく中断しなくてはならなくなった母親と息子の話が、次の映画です。
「少年は残酷な弓を射る」
まず邦題がいいですね
原作はイギリスのベストセラー小説らしいのですが、それを直訳すると、「ケヴィンについて語る必要がある」となります。
サスペンス、ミステリー、ホラーの要素を兼ね備えた作品で、画面から一瞬も眼が離せませんでした。
産まれた時から、母親のエヴァだけには、決して笑顔を見せず反抗的な息子のケヴィン。
成長するにつれて起こる数々の事件に、エヴァは息子の影を感じるようになる。
ケヴィンがあと3日で16歳になろうというある日、彼の通う高校で陰惨な事件が起きた。
そしてようやく帰り着いた我が家で、エヴァが見たものは!!
究極の悪意とはこういうことなのでしょうか?
事件から2年を経た現在と、ケヴィンが成長していく16年間のエピソードが交錯してストーリーは進みます。
とにかく、膨大な意味が行間に隠されていて、それが私にはなかなか読みとれなくて、エンディングまで辿り着いても、消化不良気味でした。
与えても与えても決して返されることのない愛情。
最後のエヴァとケヴィンの抱擁が、未来への曙光となればよいのですが‥‥どうなのでしょうか?
この映画で描かれているのは、極端な例でしょうが、どんな人間にも“小さなケヴィン”は、存在していて、表に出る隙を伺っているのかもしれない、と考えるとちょっと怖くなりました。