夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

『もうひとりのシェイクスピア』 ~映画みました。

2013-02-26 12:04:59 | 小説や漫画や映画やテレビや音楽のこと。

『もうひとりのシェイクスピア』

すべての物語はシェイクスピアが書いてしまった、と言われるほど偉大な作家。

しかし彼の自筆原稿は、400年経った今、一切見つかっていない。

高等教育を受けた形跡も、英国から出た形跡も見当たらない彼が、どうしてあのような膨大な壮大な物語を書けたのか?

シェイクスピアとは何者なのだろう?

そうして…

当時から取り沙汰されていたある噂…

シェイクスピアは別にいる


以下、ネタバレ。

すごく面白かったです
2時間を超える映画なので、寝るかも~と思ったのですが、スクリーンにぐいぐい引き込まれました。

ストーリー以前に、時代考証に則って作られた映像がすごい

エリザベス朝の、ちょっと猥雑なロンドンの下町。
貧しければ土間で、お金があれば桟敷席で、貴賤いっしょに楽しんだ陽気な劇場。
感情までも冷えきってしまいそうな石造りの宮殿や貴族の館。
エリザベスカラーに象徴される、当時の貴族たちの衣装。
そして、当時の戦場や平原を再現したであろうロケの映像。

歴史好きにはたまりません


エリザベス女王の恋人と噂されたオックスフォード伯爵は、劇作に高い才能を示すが、彼を取り巻く政治状況は、彼が自分の名前で作品を発表することを許さない。
政治を牛耳るセシル卿は、演劇が庶民に与える政治的な思想を恐れ、演劇を嫌っている。
そのため、オックスフォード伯爵は別人に依頼して、自作を上演する。
別人が名乗ったのは、ウィリアム・シェイクスピア
一方、独身でいまや高齢のエリザベス女王の後継者問題が、逼迫してくる。
女王に嫡子はいないが、隠し子は何人もいて、貴族としてそれなりの地位を占めている。
オックスフォード伯爵は、否応なしに、後継者問題に巻き込まれていく‥‥


シェイクスピアが誰なのかだけではなく、エリザベス女王の宮廷の人間関係を絡めてあって、私としては、俄然、後者に興味を覚えました。

シェイクスピアの作品は、知らなくてOK
ヨーロッパ、さらにはイングランドの歴史好きには、かなり楽しめる映画だと思いました
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さくらの季節 @ひとりごとな《Diary》

2013-02-21 09:41:52 | 日々のつれづれ

さくらの(というか、さくらgoods)の季節になりました

写真は、本県の特産品の啓翁桜(けいおうざくら)。
販売されているのは、蕾のついた40~50センチくらいの桜の枝です。
それを暖かい部屋に置いて開花させまして、その後は寒い玄関などに飾りますと、花が長持ちします
周りは雪景色でも、玄関を入ると桜が咲いているのはいいものです
花は花見の桜よりも、ふたまわりくらい小振りです。

と、先日、啓翁桜の販促イベントの手伝いをしたので、PRしてみました
(でも、どれくらい県外に出荷されているのでしょうか?…)


モチーフのモノたちには、心が踊ります
最近は、お正月の松飾りが取れると、さくらの季節になります。
本当にいろいろなジャンルにわたっていろいろなモノがあって…
でも、際限も財源もないので…
今は、集めているものは、ひとつだけ。
スタバの桜シリーズのマグカップ
今年も無事、getしました

いわゆる“桜うた”の中では、THE ALFEE の「桜の実の熟する時」が好きです。(厳密には“桜うた”ではないかもしれませんしかもマイナーな曲だし)

「さまざまのこと思い出す桜かな」

by 芭蕉
故郷伊賀の国にて、1688年に詠まれました。時に芭蕉45歳の春。
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『アンナ・カレーニナ』 (2)

2013-02-20 00:48:45 | 宝塚歌劇以外の観劇つれづれ

ついにファイナルということで、『アンナ・カレーニナ』を東京で観おさめてきました。

アンナの気持ちは、解らないでもありません…
アンナの性格からして、こうする(汽車に飛び込む)しかなかったのかな、とも思います。
最後の方は、モルヒネの力を借りて、生きていたしね‥‥
ただ、最後の最後、「アレックス(=ヴロンスキー伯爵)は私を見下している‥‥」と思い込んでいるのがひっかかってしまいます。
それと、セリョージャをあんなに愛しているのに、アレックスとの間に生まれた女の子に無関心なのは何故なのでしょう?
赤ちゃんを抱くと、セリョージャを思い出して、辛くてたまらないので、敢えて無関心を装っているのかな?と考えたりします。

今回の再々演の舞台では、伊礼彼方くんのヴロンスキーが前回に比べて、ひとまわりもふたまわりも大きな男性になっていたのが、印象的でした。
チャラい金持ちの青年将校だった彼が、アンナと出逢って恋に落ちたことで、男としての責任を自覚し、苦悩しながらも、包容力のある大人の男に成長していくさまが、観ていて頼もしかったです

そして、山路和弘さん演じるカレーニン。
こちらもアンナをいとおしむ気持ちが、初演→再演とより濃く現れてきたように思います。

だから、アンナの未熟さがどうしても浮き彫りになってしまうのだと思います。

レーヴィン役の葛山信吾さんと、キティ役の遠野あすかちゃんは、安定していました。
3回目なのに、葛山レーヴィンのキティへの恋心はいつまでも瑞々しい
初演のキティが本当に全く歌えない人だったので、再演であすかちゃんがキャスティングされた時はすごく嬉しかったです
今回もコケティッシュで親しみやすいけれど、貴族の令嬢らしいキティでした
アンナの理解者であるこのカップルの存在がなかったら、『アンナ・カレーニナ』は重すぎて、私にはリピート出来る演目ではありません。


さて、東京千秋楽だったので、メインキャストのご挨拶がありました。
2回目、3回目の皆さんは一様に、大好きな役でした、とおっしゃっていました。

東京公演は終わりましたが、まだ大阪と名古屋があります
ほぼ1ヵ月後に、最後のアンナに会いに、鯱の國まで出かける予定です

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『レ・ミゼラブル』 ~映画を見ました(^^)

2013-02-17 09:35:59 | 小説や漫画や映画やテレビや音楽のこと。

遅ればせながら、『レ・ミゼラブル』を見てきました。
号泣とはいかなくても…やっぱりうるうる(;_;)


音楽が舞台と同じなんですね。
メロディーだけは全部知っているので、聴きながらわくわくしました。

仮釈放されたジャン・バルジャンが歩くフランスの山中とか、当時のパリの市街地(これはCG)とか、スケールが大きくて、映画の力を感じました。

『レミゼ』は、バルジャンvsジャベールの物語であると同時に、マリウスの成長物語だということも、とても感じられました。
バリケードに市民たちが来ないのも納得…

ガブローシュが金髪碧眼で可愛い
ムッシュウ・ティナルディエのキャラが小悪党のくせにチャーミングで憎めない
ご贔屓キャラのアンジョラスは、やっぱりイケメンで男前

『レミゼ』には名曲、有名な曲はたくさんありますが、アンジョラスと学生たちが歌う「レッド~ブラック~」(タイトルがわかりません)がやっぱり好きだなぁ
だからその後の、「カフェソング」が迫ってくるものが大きいのだけれどね…


映画もとても良かったけれど、旧演出の舞台版を映画館で見ることができたら、もっと嬉しいかな、と思ったのでした。
今シーズンからの帝劇の『レミゼ』は新演出に変わって、バリケードがなくなるらしいので。

2年前に“この演出はこれで見納め”と銘打っていた帝劇『レミゼ』は、チケットは取ってあったのですが、震災直後の4月末にはどうしても上京する気持ちになれなかったのです…

『レミゼ』は帝劇の初演の年から観ていますが、その頃は、そんなにいいとは感じられませんでした
それが、'05年に久しぶりに観て、初めて泣きました。
その時のバルジャンが山口祐一郎さんで、ジャベールが鈴木綜馬さん。
もう一度、祐一郎さんでバルジャンが観たいな…と映画を見ながら思ってしまったのでした。

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『アンナ・カレーニナ』(1)

2013-02-11 00:24:33 | 宝塚歌劇以外の観劇つれづれ

『アンナ・カレーニナ』がル・テアトル銀座で公演中です。
再々演で、“ファイナル”と謳っています。
初演の劇場に戻ってきました。
2月17日まで東京で公演し、梅田を回り、名古屋で大楽を迎えます。


原作:トルストイ
修辞・訳詞:小池修一郎
演出:鈴木裕美

メインキャスト
アンナ・カレーニナ:一路真輝
ヴロンスキー:伊礼彼方
カレーニン:山路和弘
レイヴィン:葛山信吾
キティ:遠野あすか
スティーバ(アンナの兄):井之上隆志
ベッツィ(ヴロンスキーの従姉):春風ひとみ
セリョージャ(アンナの息子)役に、子役ちゃんがふたり、Wキャストで。
その他、アンサンブルさんが男女5人ずつ。


前回の再演('10年12月~'11年3月)の時は、一路真輝さん復帰後の初ミュージカルということで、ただただ舞台を観れるのが嬉しい状態でした。
だから、アンナについてあまり深く考えませんでした‥‥
今回改めて、冷静に舞台を観ていると、物語が進むにつれて、アンナにどうしても共感できない、もやもやした気持ちになりました
「“身勝手な人妻の自業自得の物語”と思われないように、観客に共感してもらえるアンナ像を目指す」とプログラムの中で、一路さんは語っています。
それなのに…

理由を考えてみました。

今回は特に、伊礼彼方くんのヴロンスキーが、前回よりもずっと大きな男性になっていて、すごく包容力が出てきたのです。
アンナが貴族社会からつまはじきにされ、カレーニンとの離婚調停も暗礁に乗り上げ、アンナの精神がバランスを保てなくなった時に、「自分がちゃんとアンナを護ってやらなくては」という男としての責任感、貴族としての矜持がより濃く表現されてきたのです。

そのヴロンスキーの様子をみていると、これだけの男性が全身で愛を注いでくれるのだから、アンナも嘆いてばかりいないで、顔をあげなさい、小さくても光が見えてくるはず、と思ってしまった私は、薄情なのでしょうか‥‥

‥‥‥‥‥‥‥‥

次に観劇するときには、ひたすらアンナの気持ちに寄り添ってみようと思います。

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