夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

またしても……

2018-06-24 10:45:11 | 大震災

大阪北部地震から早くも1週間が経とうとしています。

亡くなられた方、被災された方、お見舞い申し上げます。

特にブロック塀の下敷きになって亡くなられた小学生の女の子とご老人。
これは明らかに人災で、やるせないです。

雨が降って、雨漏りすることがわかって、たくさんの方々にブルーシートが配られている様子や、ガスが復旧しないので、調理しなくてもいい給食を子どもたちが食べている様子などをニュースで見ました。
ライフラインはきちんと復旧したのかな?
屋根瓦の修理とかまだこれから、という方も多いですよね?

亡くなられた方がいるにもかかわらず、大きな被害を受けている地区が限定的で、交通機関も比較的早くに復旧したので、ニュースでの扱いもどんどん減っています。


そうは言っても、最大震度6弱というのは、相当な揺れだったはずです。
そして、その前日には、群馬で最大震度5弱の地震が起きました。

このふたつの地震や2年前の熊本地震は、活断層はあるけれど大きな地震は起きないだろうと思われていた地域に起こった地震です。

日本全国、どこでも震源地になりうること。
災害は忘れた頃にではなく、まだ記憶も新しいうちにやってくる、ということ。
改めて心に刻みました。
国や電力会社が、安全だと言い張っている原発が立っている土地だって、震源地になるリスクを抱えているわけです。


私の住んでいる場所も活断層のごく近くです。
東日本大震災が起きる前は、あの活断層は危ないのでは?!と話題になりました。
しかし、東日本大震災という未曾有の災害が起きて以来、このあたりは震源地にはならない、という雰囲気になりました。
むしろ流通が途絶える可能性が大きいので、各家庭で水や食品やトイレットペーパーなどをきちんと備蓄しておくように、ということが市報に載ったりして、地震への備えが言われています。
(実際、東日本大震災の余震?と思われる震度1~3くらいの地震は、三陸沖とか宮城県沖とか千葉県東方沖でまだまだ起きています。)
なので、それなりの備蓄はありますが……実は非常用の持ち出し袋を準備していません……
お気楽に考えていましたが、震源地になりうるのね。
準備しないとマズイですね(・・;)


これからは集中豪雨の季節で、やがて台風の季節もやってきますね。
こちらのほうも、最近は毎年、大きな被害が出ています。
今まで経験したことのないような大雨 などという言葉が登場したのは、最近ですよね。

災害大国。

災害列島。

そう呼ばれるようになったのは、いつ頃からでしょう?

カジノ法案も消費税アップも仕方がないことかもしれませんが(ホントは嫌だけど)、税収は、災害復興と子供の福祉に使って欲しいものです!


紫露草(らしいです)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「河北新報のいちばん長い日」

2016-03-11 08:36:36 | 大震災
あの日から5年経ちます。
今年の3月11日は、あの日と同じ金曜日です。

一昨日、高浜原発の再稼働を差し止める仮処分決定が出ました。
これはとても画期的な判断だと思いますし、快哉を叫びたいです。
この5年間で、原発なしでも充分に生活を楽しめることが分かったのですから、原発は過去のエネルギーとして封じ込めてしまいたいのに、原発の再稼働を強く主張する根拠はいったいどこにあるのでしょう?

さて、タイトルの「河北新報のいちばん長い日」とは……
3月11日の号外と、3月12日の朝刊を発行するために、自らも被災しながら、「こんな時に新聞なんか出していいのだろうか?やることはもっと他にあるのではないだろうか?」と悩みながらも奔走した、河北新報社の社員たちのあの日とそれに続く激動の日々をまとめた一冊です。
震災から半年後の10月に出版され、ちょうど一年前には文庫化されました。

知人が河北新報社の社員だったので、出版されてすぐに父が貰っていた単行本を読み、昨年は文庫になったものを買ってまた読み、さらにこの記事を書くにあたり読み返してみました。
ぬくぬくした部屋でミルクティーなど飲みながら読んでしまっているわけですが……何度読んでも臨場感が薄れることがありません。落ち着いた今になって改めて感じるのは、この淡々と綴られた文章の奥深くには、何十倍もの困難があったに違いないということです。

河北新報社の本社は仙台市の中心部にあり、当然、被災して停電したわけで、自家発電でなんとか凌ぎながら、印刷は、新潟日報社に全面的に助けてもらってやっと3月12日の朝刊発行にこぎつけました。
それを避難所で配ると(当然、無料です)、あっという間に人だかりができて、人々がいかに情報に飢えていたかをまざまざと感じたそうです。
しかし、そこで新聞の使命を改めて確認したものの、現場の記者たちは、取材をせずに救助活動にたずさわっていたら助けられる命があったのではないか?と激しく葛藤し、空撮のために飛ばしたヘリコプターから屋根にのぼって救助を待つ人々を目撃して写真を撮りながら「ごめんね、ごめんね」と謝ることしかできず……
そういった事例が数多綴られています。
全国紙ではなく地元紙であるという誇り、地元の人々ができるだけ傷つかないように表現に気を配る、スクープになるような写真でも敢えて掲載しない勇気。
震災下での新聞作りに試行錯誤した様子が、とてもよくわかります。

震災から5年経って、あの日からの日々をまとめたルポルタージュ本や、震災をテーマにした小説が、たくさん出版されています。早いものは、すでに文庫化されていますね。
震災を入れとけばそこそこ売れるでしょ、というスタンスで書いたようなとんでもない駄作小説も中にはありました(怒!)。それは速攻、売り払いました!
でも大多数は、真摯に震災と向き合ったものだと思います。
最近出版された震災関連の本で気になったものがあるので、読んでみたいと思っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 」(文春文庫)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4度目の春

2015-03-11 11:05:03 | 大震災

日本列島が大荒れの天気の中、被災地にあの日から4度目の春が巡ってきました。
荒天の中になってしまいますので、各地での慰霊の式典等が安全に行われますように。


犠牲になられた、たくさんのたくさんの方々のご冥福をお祈りいたします。

時が解決してくれる という言葉がありますが、私は決してそうは思いません。
悲しみは、時の積み重ねの中に、しだいに深く隠れてしまうだけで、なくなったり小さくなるわけではありません。
水底からあぶくが浮いて出てくるように、ある時、突然に、悲しみがこみ上げてくる‥‥

残された方、被災された方、直接の被害は受けていないけれど、福島 という土地に所縁があったために人生設計が狂ってしまった方‥‥
数えきれない方々の悲しみの上に、震災後の東北の繁栄、強いては今の自分の生活はあるのだということを、肝に銘じたいと思います。


学生時代のサークルの仲間のひとり ♂ が、福島で原発の除染作業に従事していることを、最近、知りました。
卒業後、彼は出身地の北海道に戻っていたのですが、自分の眼で確かめなくては、と福島に赴いたそうです。
私は、昨秋のサークルの集まりに欠席したので、伝え聞いただけですが、彼と直接話をしてみたかった、と思います。


さて、備蓄してある品物の賞味期限でも調べましょうか。
予めいくらでも準備しておけるのに、いざというときに、あれがない、これが欲しいと騒ぎ立てるのだけは、避けたいものです。
(そういうことは、日々の生活の中でも言えますね!)


残された私たちが、愚かな方向に歩いていかないように、どうぞ、お見守りください。
合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ3年

2014-03-11 00:18:43 | 大震災

もう3年という声もありますが、まだ3年なのですよね。

昨年の夏に、埼玉県にあった最後の避難所が閉鎖されるドキュメンタリー番組を見て…
ずっと避難所暮らしを続けてきた方の、「アパートを紹介してもらったけれど、鉄の扉の向こうには住めないと思った。」という意味の言葉が、とても印象に残りました。
都会の方たちは何を贅沢な、と思われるでしょうが…
風が通っていく部屋、すぐに降りられる庭、庭仕事が好きではなくても、多少不便な部分があっても、土に囲まれる生活がどんなに安らぐことか…

また、仮設住宅では犬が飼えないので、居住を制限されている故郷の家に残してきた愛犬の世話をしに、毎週時間をかけて通うとか、胸をしめつけられる思いです。

東北電力までもが、原発の再稼働を発表しました。
しかも女川(おながわ)の原発は、福島原発と同じ仕組みだというではありませんか!?
廃炉作業を進めている福島原発の、不安材料がいっぱいのニュースがあとをたたない昨今、東北電力は何を考えているのでしょう。

東京オリンピックが決まったことで、首都圏で建設需要が増え、被災地の人手不足は加速していくのですよね…

被災地の人たちに以前の暮らしを保証できる目処もたっていないのに、お・も・て・な・し、と浮かれるのはどうかと思うのです。

地震に限らず、水害や雪害があとをたたない近年のニッポン、世界に覇を唱えるよりも、普通の人々が普通の暮らしを営める国であってほしいと願うのは、私が歳をとった証拠でしょうか?

オリンピック開催を期にスポーツ振興に力を入れるのはいいのですが、勝利至上主義が横行して、理不尽な指導や体罰が黙認されることになるのでは?ということも心配です。

話が逸れてすみませんm(__)m

とにかく、“まだ3年!”ということを自分でも、しっかり胆に銘じたいと思います。

合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『遺体 明日への十日間 』

2013-03-10 13:21:38 | 大震災

『遺体 明日への十日間 』

岩手県釜石市。
大津波の犠牲となった人たちの遺体安置所となった体育館での3月11日からの10日間。
当時の克明な取材を元に、作られた映画ということです。

出演:西田敏行 / 緒方直人 國村隼 酒井若菜 佐藤浩一 沢村一樹 志田未来 筒井道隆 柳葉敏郎 他

遺体は死体ではない。
本当に限られた物資と場所しかない中、遺体に語りかけながらその姿を整え、本当に簡素だけれど祭壇を設え、出来るだけきれいに保とうと清掃し‥‥
ボランティアで来てくれた僧侶が、声がつまってお経が上げられなくなる‥‥

あまりのことに息をのむシーンも数多ありましたが、現実はもっともっと過酷だったのだろうと思います。
俳優さんたちも、丁寧に丁寧に演じているようでした。

映画を見終わって当時のことをいろいろ思い出しました。
山形県は被災県ではないので、火葬場で震災の犠牲者の火葬を受け入れたとか、仙台との間の直通バスは早い時期に復旧したので、宮城県から生活必需品を買い出しにくる人たちがたくさんいたこととか、ひっきりなしに上空を飛んでいた航空機の音とか。
2年たちましたが、まだ約10000人の方々が、山形県に避難してきています。


震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

そして、一日も早く、家族揃って安心して暮らせる日がきますように、願ってやみません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする