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夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

本屋大賞2024

2024-04-11 12:28:10 | 小説や漫画のこと
今年2024年の本屋大賞が4月10日に発表されました。
以下、某本屋さん(一応地元のチェーン店☺️)のサイトからお借りしました。

 📕 📖 🌸 📕 📖 📚 📕 🌸 📚

4月10日(水)本屋大賞が発表されました。
大賞は宮島未奈さんの『成瀬は天下を取りにいく』に決定。圧巻のデビュー作です。
気になる順位は以下の通り。

====< 2024年本屋大賞 >========
1位「成瀬は天下を取りにいく」宮島未奈/新潮社
2位「水車小屋のネネ」津村記久子/毎日新聞出版
3位「存在のすべてを」塩田武士/朝日新聞出版
4位「スピノザの診察室」夏川草介/水鈴社
5位「レーエンデ国物語」多崎礼/講談社
6位「黄色い家」川上未映子/中央公論新社
7位「リカバリー・カバヒコ」青山美智子/光文社
8位「星を編む」凪良ゆう/講談社
9位「放課後ミステリクラブ 1金魚の泳ぐプール事件」知念実希人/ライツ社
10位「君が手にするはずだった黄金について」小川哲/新潮社
=============================


「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」。
各界から絶賛の声続々、いまだかつてない青春小説!

2020年、中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。
コロナ禍に閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。
M-1に挑戦したかと思えば、自身の髪で長期実験に取り組み、市民憲章は暗記して全うする。
今日も全力で我が道を突き進む成瀬あかりから、きっと誰もが目を離せない。

成瀬は天下を取りにいく
著/宮島未奈
新潮社
1,705円(税込)
2023年3月17日 発売
ーーーーーーーーーーー
208P 単行本
ISBN 9784103549512

 📕 📖 📚 🌸 📕 🌸 📖 📚 📕

【本屋大賞】とは全国の書店員さんが最も売りたい本を決めるイベントで、ノミネート10作の他に数多の候補作があり、それが10作まで絞られての受賞です。

「成瀬は天下を取りにいく」は面白いですよ❗
主人公・成瀬あかりの奇想天外な言動と行動に最初は多少引いたものの、成瀬あかりというキャラクターにどんどん惹き込まれていきます。
主人公が女子中学生だから、これはおばさんの読む物語ではないのでは!?と思いがちですが、充分に読み応えがあります。
成瀬あかりにはM-1グランプリの予選に出たときに漫才コンビを組んだ島崎みゆきという幼なじみがいて、こちらは真っ当な模範的な中学生なのですが、このふたり、とても相性がいいです。
そして忘れてならないのは、本作の舞台が滋賀県大津市で、住民の視点でディープな大津愛が語られていること。
本作の成瀬あかりは中2〜高2までですが、続編では高3〜大1となります。
続編は『成瀬は信じた道をいく』で、こちらも読みました☺️
島崎みゆきは東京の大学に進学して成瀬あかりとは離れてしまうのですが、ふたりの変わらない友情というか心の繋がりが続編では描かれていて、そのエピソードがいちばん良かったです。
成瀬あかりはとにかく頭が良いので京大に進学したのですが、大津愛は深まるばかり。
作者さんがインタビューでシリーズの3作目は構想していると仰っているので、楽しみに待ちたいと思います。
因みに作者さんは大津市民で京大卒とか。
本屋大賞の受賞式でも「滋賀県のみなさーん」と呼びかけていられましたね☺️

エントリーの10作品のうち、読んだことがあるのは『成瀬〜』と凪良ゆうさんの『星を編む』だけです。

読書メーターのサイトで受賞作品予想をやっていて(当たると電子書籍が買えるポイントが貰える😉)、私は『スピノザの診察室』(作・夏川草介氏)に投票したのでしたが、外れましたね〜😏
『成瀬〜』が候補作No.1とは思ったものの、これはすでに話題作でもう売れているし続編も゙発表されている。また凪良ゆうさんは過去2回本屋大賞を受賞されているので、3回目は難しいだろう等々、小さい脳みそを捏ね回して考えたのでしたが、素直に『成瀬〜』に投票しておけば良かったかな〜😃
因みに『スピノザの診察室』は図書館で予約待ち💦⇐買いなさい😾

三浦しをんさんの『墨のゆらめき』が候補作に入らなかったのが不思議です。
ただこれは元々がAudible書き下ろし作品で、紙版の前年?に発売されているので、出版時期が該当しなかったのかも?
Audibleは本屋さんで扱っているわけではないから、対象外とか?

従来の紙の本、電子書籍、そして聴く書籍と多様化していて、これからは◯◯賞の候補作を決めたり選考したりする際に、いろいろ新しい決まりが必要になりそうですね。

本屋大賞の話題つながりで、政府が本屋さんを支援するというニュースを朝のTV番組で見ました。
本屋さんの数は、この20年で四分の三?三分の二?になったとか🥺
本屋さんの実店舗は好きです。
これ!という目的がなくても一周して、気になった本や文具を手にとって眺めるのも好き💞
世の中は自分の知らない事だらけで、自分が知っていることは芥子粒にも満たないと思うひととき。
むしろそれに慄くことなく、これから知れることがこんなにもたくさん有るのだと前向きになれるひととき。
本屋さんはある程度の年齢以上の世代にとっては必要なものだと思うのですが、ヒモ付きの補助金ってどうなのでしょうね?💥

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あさきゆめみし②

2024-02-05 20:39:49 | 小説や漫画のこと
今回は宇治十帖にあたる11〜13巻についてつらつらと。

宇治十帖は物語の骨格はいたってシンプル。

乱暴に言ってしまうと、いろいろなエピソードののちに、浮舟という八の宮の庶出の姫を、匂宮と薫が奪い合う。
浮舟はふたりの貴公子からのアプローチに悩み抜いてついに死を決意し、しかし死にきれず出家する。


うーんと昔に円地文子先生の訳でようやく「夢浮橋」に辿り着いて、そして最後となったとき、「え?こんな中途半端な終わり方なの?」と驚いたのを覚えています。
『あさきゆめみし』初読の際にも、「源氏物語って呆気ないラストよねー」と感じ、浮舟については「物語の最後を飾るヒロインとしては地味だし個性がない」と切り捨ててしまっていました。

しかし、今回ようやく気づきました。
浮舟は薫にとって大君(浮舟の異母姉で故人)の形代でしかないのですね。
光源氏が紫の上を藤壺の宮の形代として見ていたのと同じ。
それでも光源氏はだんだんと紫の上を個人として認めましたが(しかし光源氏の一方的な自己満足であって紫の上の気持ちには思いが及ばない)、薫は浮舟を形代としてしか見ていなくて、大君よりも劣っている浮舟に苛立ったりまでしている。
一方で匂宮の言葉には、その場限りではあっても真実がある(匂宮の正妻は夕霧の六の姫だし、浮舟の異母姉の中君も大事にしているから、浮舟の立場はどこまでいっても弱い)。

冷静に考えると薫といっしょになれば安定した人生が送れて、苦労をかけた母を安心させられると言うことはわかる。
しかし、薫の浮舟に対する態度は、今で言うところのモラハラ気味でたぶん改まることはないのだろう。
それを浮舟は感じ取っていたのでしょう。

そして、死にきれなかった浮舟は出家して心の平穏を得て、その存在を知った薫にはもう会おうとしない。

というあたりで、長かった物語は終わります。

さて、紫の上はいくら光源氏に望んでも出家させてもらえなかった。
そして紫の上は自分の人生は何だったのか?と嘆く。

同じように形代にされた紫の上と浮舟。
一方は、幸せの絶頂を経験し世間からも重んじられたけれど、心の澱は溜まっていくばかりだった。
もう一方は、「数ならぬ身」であったけれど、身の処し方を自分で考えることが出来て、晴れやかな視野を持つことができた(出家することしか手段がなかったのはこの時代ゆえ仕方ないことでありましょう)。

『あさきゆめみし』を読み直し、イマドキの『源氏物語』の解説本にもちょっと触れて、はじめて「夢浮橋」で終わって良かったのだと納得したのでした。


『源氏物語』に登場する女君では誰が好きですか?
かつては、自分の立場をわきまえて性格も良さそうな花散里が好きでした。
しかしいつの頃からか、朝顔の姫君の生き方、考え方に惹かれるようになりました。
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あさきゆめみし

2024-01-30 21:07:12 | 小説や漫画のこと
「光る君へ」に影響されまして、『あさきゆめみし』をまた読もうと思って、ひっぱり出してきました。
これは全く陽の当たらない場所に置いてあったにもかかわらず、紙の劣化が進んでしまっている😢


私が『あさきゆめみし』に出会ったのは連載もかなり進んでからと記憶しています。
コミックスの奥付けを見たら、第9巻からは初版を買っていました。
第1〜8巻は90年あたりに購入していて、それでもゆうに30年超えです。
でも『あさきゆめみし』に関しては一度も手放そうと思ったことはありません。

「光る君へ」のおかげ?で、『源氏物語』の解説本の出版がブームですね~
ということで、2冊だけ借りてきて💦さらっと読んでみました。
確実に言えることは、『源氏物語』の読み方が変わってきたということ。
光源氏よりも女性たちの心理を深く探ろうとしています。
そういう読み方をすると、もしかして別人が書いた?と思われたりもする宇治十帖は確かに紫式部の手によるものと確信できるようです。
本を読んで、「そうか~そういう捉え方があるのか〜」と唸りましたもの。
『あさきゆめみし』を読み直そうと思ったのも、はたして今のワタシはどんな感じ方をするのかな?という興味もあったからなのでした。

で、『あさきゆめみし』なのですが、読みはじめてすぐ、これは間違いなく名作、大傑作だと再確認出来たのでした。

まだ宇治十帖の分は読めてはいないのですが、「光源氏と藤壺の宮の愛は宿命であった」というテーマを第1巻で提示して、そこから全てのエピソードが広がっていくように、読者に印象づけていると思いました。

光源氏が藤壺の宮に「帝を愛していますか?」と問い、「おしたいしております」と返ってくると「では愛してはいないのですね?帝もあなた自身を見てはおられない。帝はあなたに私の母の面影を重ねている」と畳みかけるように藤壺の宮に断言する。(言外に、あなたが愛しているのは私=光源氏ですね、という含みを持たせている)
これを第四話目にバーンと持ってくる。

はからずも義理の親子になってしまったふたりの許されない愛。
義理の親子といっても藤壺の宮は5歳年上。正妻の葵の上が4歳年上なのだから、不自然ではない関係。

桐壺帝は藤壺の宮を桐壺の更衣の形代とし、光源氏は紫の上を藤壺の宮の形代とする。それでも満たされない光源氏は女三の宮に藤壺の宮の面影を求めようとして降嫁を受け入れる。
ラビリンスですね。

紫の上は光源氏が見ているのは自分でないことにうすうす気づく。それでも自分は光源氏の一の人(正妻)という誇りがあったので精神は保たれていたが、女三の宮(皇女)の降嫁は正妻の地位を奪われるということ。しかも紫の上には後見してくれる親族がいないので、逃げ場もない。出家も光源氏が許さない。せいぜい幸せな少女時代を過ごした二条院に戻ることくらいしかできない。
花散里や明石の上は、初めから光源氏の正妻を望む立場ではなかったので、女三の宮の降嫁は他人事として見ていられる。
紫の上の哀れが身に沁みますね。

というふうに、『あさきゆめみし』を読んでいると、少女漫画の王道的読み方になり、最近流行りの「女君たちの心理を深掘りして、そこから紫式部の真意を探り当てる」という読み方にはならないのでした。

それでは、女君たちの意志や立場はどうなの?ないがしろにされてばかりでは?!という意見もありましょう。
しかし、そこはさすがに大和和紀先生。
こうなったのはこういうのっぴきならない事情があったから!という明確な理由づけをしてあって、男君の身勝手だけが原因ではない、それは宿命であったり人間の業であったり……と読者にそれとなく知らせています。

しかしそうは言っても前回(たぶん10年以上前)読んだときに比べると、巻を追うごとに光源氏の身勝手さ(最上流の平安貴族としては常識の範疇なのだと思うけれど……)や独りよがりにやりきれない気持ちになったのでした。


当時の人々の結婚や性愛に対する考え方、慣習は今とはまるで違うのだからと、無理に現代的な解釈をせずに読んでいたのが少し前までだったと思うのです。
しかし、いくら平安時代の女人とて今の私達と同じような感情を持っていたはずで、それを押し殺せざるをえなかったのではないか?
女人たちの押し殺した感情を巧みに見え隠れさせながら紫式部が著したのが『源氏物語』で、その本音を探りながら読むようになったのが最近のことなのでしょうか?(あくまでも個人的な意見です)

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