緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2015弦楽器フェアに行く

2015-11-01 22:16:56 | ギター
昨日(10月31日)、日本武道館近くにある科学技術館で2015弦楽器フェアが開催されていたので、行ってきた。
この弦楽器フェアは昔は手工弦楽器展という名前であったと思うが、私は1990年頃からほぼ毎年見に行ったので、今年で25年目になる。
昔は11月の下旬に信濃町の野口英世記念館で開かれていた。
クラシックギター人口が増えたのせいなのかは分からないが、昔よりも訪れる客足が多く、混んでいるときはなかなか試奏することが出来なくなった。
試奏を十分にしたいのであれば、金曜日に休みを取っていくか、土曜、日曜の午前中の早い時間帯、またプロによるギターのミニコンサートが行われている時間帯は比較的空いている。
私は土曜日に2時過ぎに会場に着いたのであるが、丁度2時から3時までミニコンサートが行われていたということもあって、意外に空いており、コンサートに使用されていない楽器は十分とは言えないまでも、落ち着いて試奏することが出来た。

さて今回展示されていた楽器で印象に残った楽器を2、3紹介したい。
まずは、井内耕二氏の楽器。アマチュア製作家から数年前にプロの製作家になられた方だ。
ポジション毎に単音の鳴り具合、音のバランス、和音の響きとバランスをチェックしていく。
昨年度の展示品は最低音から1弦13フレット以上のハイポジションまで余韻の長い、芯のある強い音を聴くことが出来、進化の程を感じ取れたが、今年の展示品に同様に、最低音からハイポジションまで強く芯のある、また透明感も感じられる音を聴くことが出来た。
和音の分離についてはヴィラ・ロボスのエチュードNo.1でチェックするが、これも各弦の鳴りに偏りがなく、また6弦の深みも出ていた。
ただ弾きやすさという点では今年の楽器はわずかに弾きにくかったように思う。弦の張力も若干昨年よりも強く感じたが、自然の素材を用いるギターという楽器の張力を常に一定に保つことは難しいことなのではないか。
音も良く、かつ弾きやすいことにこしたことはないが、両者を満足することは難しいようだ。
強い芯のある音、低音に鋼を打ったような強い響きを持たせるのであれば、弦の張力は強くしなければならないであろう。当然弦高も低くはできない。
次に印象に残ったのは中山修氏の楽器。3本展示されていたがうち2本は竹製の楽器であり、昨年に引き続いての出品だ。
もう1本は表面板が竹製でなかった。通常のスプルースのようであったが、昨年度の記事にも触れたように中山氏は若頃ラミレスⅢ世に師事した唯一の日本人製作家として前途を期待された実力者であったが、不慮の交通事故により製作を断念し、その後加工が体の負担にならない竹製の楽器のみを製作されていたと聞いていた。
しかし今回、表面板がスプルースの楽器を出品したのであれば、普通のクラシックギターの製作を再開したということであろうか。
試奏して1番良かったのがこのスプルースの楽器であった。
低音はかなり張りが強いがゴーンと鳴り響く強い音と、透明度の高い高音が感じ取れた。
音の立ち上がりも速く、試し弾きしたアルハンブラの思い出のトレモロの音が低音の力強さに負けていなかったのが良かった。

他にもいい楽器もあったが今回はこのくらいにしておく。
ギターを、設計や構造ではなく、素材の力を重視するような作り方をする製作家は、個体差が大きく苦労するのではないだろうか。
ラティス・ブレーシングやハニカム構造の楽器はあまり個体差がないのだろう。
しかしやはり楽器は自然な響きをするものが最も優れていると思う。
自然のものに逆らって、音量増大を目的に自然の限界を超えて出せるような構造や素材を使って製作しても、そこから生み出されるものはしょせん、知恵を使って生みだされた人工的なものにしかなり得ない。
自然な響きを維持しながらも音量の拡大に成功したのはホセ・ラミレスⅢ世の弦長664mmの楽器であり、これが限界だと思う。
昨年、白寿ホールで東京国際ギターコンクールで外国人の参加者が弾いたサイモン・マーティなどの楽器の音を聴いてつくづくそう感じたことを思いだす。
このような楽器は音量はばかでかいが、じっくり味わいたい音では全く無い。コンクールに効力がある楽器ではあるが、録音などで音の魅力を感じて感嘆するような楽器ではない。
製作家にとって最も大切なのは構造や技術の革新ではなく、どんな音が音楽にとって最も真に必要とされるのか、がわかっていることだと思う。

今回出品されている楽器で、低音は力強く魅力を感じたが、高音、とくに10フレット以上、さらに13フレット以上の音が貧弱で、低音とのバランスが悪く、すぐに弾くのを止めてしまったものがあった。
また10弦ギターを弾いているように倍音が強い楽器(特に高音)もあったが、個人的には関心しない。
音の輪郭がはっきりせず、芯ある音が感じられない。

今回も某大手楽器店の展示即売会のブースがあった。
ハウザーⅡ世、マヌエル・ベラスケスの遺作、ジャン・ピエール・マゼ、ジャン・マリー・フィヨールなど、大変高額な楽器を試奏させていただいた。
ハウザーⅡ世は1966年製であるが、塗装はオリジナルで改修などはされていないようだった。重量は意外に軽かった。
この年代のハウザーはⅠ世の音に近いそうで、現在の3世のような硬い透明感を強調したものとは違い、高音は芯が強い中にも甘さがあり、低音はセゴビアのハウザーⅠ世の音を彷彿させるものであった。
マヌエル・ベラスケスの遺作は低音が力強くとても粘りのある音。高音はタッチがしっかりとしていないと出せない。
90歳を超えての製作であるが、息子は現在製作していないようなので、一人で製作したと思われる。
ベラスケスはこれまで4本試奏させてもらったことがあるが、この遺作が一番良かった。
このような高額なギターを試奏させてもらう際にはそれなりのマナーが必要である。
量産品を試奏するような感覚で試奏しては決していけない。
売り物や展示品に対しては細心の注意を払うべきだ。

ギター以外にはマンドリンの展示品2本を弾かせていただいた。
2本とも手工品どころか芸術品とも言える出来栄えで、これはギターの製作にも参考になるのではないかと感じた。

今回は別の予定もあったため、わずかな時間しかとれなかったので、感想も十分なものとは言えない。
また大音量がするブースでの試奏なので、楽器の本当の価値を評価するにはもっとふさわしい環境が必要であることを述べておきたい。


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