ミェチスワフ・ホルショフスキ(1892~1993)というポーランド出身のピアニストは、ピアノ好きの人であれば多くの人が知っているに違いない。99歳まで現役のピアニストだった。
ホルショフスキを知ったのは、数年前に実家に帰省した折、音楽好きの兄にお勧めのピアニストは誰か、と聞いたら、アナトリー・ヴェデルニコフとミェチスワフ・ホルショフスキの2人の名前を挙げたことに遡る。
そしてすぐに札幌へ行き、中古CDショップで90歳を過ぎて録音されたライブ演奏集を手に入れたのである。
90歳代半ばでの演奏だから、さぞかしもどかしいミスだらけの演奏だろうと、半ば期待せず聴いたらびっくり。
エネルギーに満ち溢れ、音楽が泉のように湧き出してくるかのような演奏だったのだ。驚くことにミスを殆どしないのである。
ミスをしないというのは、鍵盤と体が一体となっているという感じなのである。鍵盤から出る音が、人間の声帯から出る歌声のようなものである。
ホルショフスキは長い間、カザルスなどの伴奏を務め、ソリストとしては目立った活動はしなかったようだ。
1983年の91歳のときに、弟子マレイ・ペライアの招きによりオールドバラ音楽祭に出演したことが契機となって世界的に注目され、95歳で来日、その後も数多くの演奏会が開催され、そのライブ録音集が発売された。
90歳を過ぎてから世界的に有名になる演奏家はまずいない。ホルショフスキは高齢にもかかわらず、衰えの無い技巧で演奏できたから有名になったのではなく、その音楽性と楽器から聴こえてくる音の美しさに多くの人が魅了されたから有名になったのであろう。
今日聴いたのは、彼が60歳代半ば過ぎに録音されたライブ演奏である。曲目は、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番。
ホルショフスキの円熟期の録音には、VoxBoxというレーベルから出ている、ベートーヴェンのピアノソナタとして、第29番、第30番、第32番の3曲が収録されたものがあるが、この録音を聴いたときには彼の本領を聴くことはできなかった。
しかしLERIEFというレーベルから出たベートーヴェンのピアノソナタ集、第30番、第31番、第32番の3曲のうちの第31番はライブ録音であった。(1958年録音)
聴いてみると、やはり音楽の力が桁違いである。地にしっかり根付いた太い幹に支えられたような演奏だ。
音が重層的で響きが美しく、ただ美しいだけでなく心に喰い込んでくるような力を感じる。
この時代の演奏家はやはり楽器からいかにその楽器のもつ最大の魅力を引き出すことに最も力を注いでいたことが分かる。 ホルショフスキはギターのアンドレス・セゴビアと同世代である。
ホルショフスキの音がどれだけ芯の通った美しい音であるかが分かるには、下記の箇所を聴けばはっきりとする。
第3楽章「嘆きの歌」に入る前に奏されるこの部分の音を曲が要求する音で弾けている奏者は少ない。無造作に、機械的に弾いている奏者がいかに多いことか。
それにしても音が何と多層的なのであろう。この多層的な響きの中で、「嘆きの歌」の悲しい高音の旋律が強く心に突き刺さってくる。
フーガは決して速く弾こうとせず、パイプオルガンのような重厚な低音を響かせる。現代の若いピアニストが聴くと驚くに違いない。
フーガの後に嘆きの歌が再現され、フーガに入る前の強い和音はエリー・ナイの80歳を超えて録音された演奏を思い起させた。
最後のフーガの速度の速まっていく箇所から終結までの演奏が凄い。マリヤ・グリンベルクの1962年の録音を思わせるような手に汗握るようなエネルギーがほとばしり、最後の下降音階から上昇音階を経て奏でられる力強い和音の響きが物凄い。
この和音が終る前に聴衆の激しい拍手が聴こえていた。
やはり凄い演奏というのは、聴き終わったらエネルギーを消耗する。
この演奏も聴き手の感情を引き出して、発散させる力を持つ数少ない演奏の一つであることは確かである。
ホルショフスキを知ったのは、数年前に実家に帰省した折、音楽好きの兄にお勧めのピアニストは誰か、と聞いたら、アナトリー・ヴェデルニコフとミェチスワフ・ホルショフスキの2人の名前を挙げたことに遡る。
そしてすぐに札幌へ行き、中古CDショップで90歳を過ぎて録音されたライブ演奏集を手に入れたのである。
90歳代半ばでの演奏だから、さぞかしもどかしいミスだらけの演奏だろうと、半ば期待せず聴いたらびっくり。
エネルギーに満ち溢れ、音楽が泉のように湧き出してくるかのような演奏だったのだ。驚くことにミスを殆どしないのである。
ミスをしないというのは、鍵盤と体が一体となっているという感じなのである。鍵盤から出る音が、人間の声帯から出る歌声のようなものである。
ホルショフスキは長い間、カザルスなどの伴奏を務め、ソリストとしては目立った活動はしなかったようだ。
1983年の91歳のときに、弟子マレイ・ペライアの招きによりオールドバラ音楽祭に出演したことが契機となって世界的に注目され、95歳で来日、その後も数多くの演奏会が開催され、そのライブ録音集が発売された。
90歳を過ぎてから世界的に有名になる演奏家はまずいない。ホルショフスキは高齢にもかかわらず、衰えの無い技巧で演奏できたから有名になったのではなく、その音楽性と楽器から聴こえてくる音の美しさに多くの人が魅了されたから有名になったのであろう。
今日聴いたのは、彼が60歳代半ば過ぎに録音されたライブ演奏である。曲目は、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番。
ホルショフスキの円熟期の録音には、VoxBoxというレーベルから出ている、ベートーヴェンのピアノソナタとして、第29番、第30番、第32番の3曲が収録されたものがあるが、この録音を聴いたときには彼の本領を聴くことはできなかった。
しかしLERIEFというレーベルから出たベートーヴェンのピアノソナタ集、第30番、第31番、第32番の3曲のうちの第31番はライブ録音であった。(1958年録音)
聴いてみると、やはり音楽の力が桁違いである。地にしっかり根付いた太い幹に支えられたような演奏だ。
音が重層的で響きが美しく、ただ美しいだけでなく心に喰い込んでくるような力を感じる。
この時代の演奏家はやはり楽器からいかにその楽器のもつ最大の魅力を引き出すことに最も力を注いでいたことが分かる。 ホルショフスキはギターのアンドレス・セゴビアと同世代である。
ホルショフスキの音がどれだけ芯の通った美しい音であるかが分かるには、下記の箇所を聴けばはっきりとする。
第3楽章「嘆きの歌」に入る前に奏されるこの部分の音を曲が要求する音で弾けている奏者は少ない。無造作に、機械的に弾いている奏者がいかに多いことか。
それにしても音が何と多層的なのであろう。この多層的な響きの中で、「嘆きの歌」の悲しい高音の旋律が強く心に突き刺さってくる。
フーガは決して速く弾こうとせず、パイプオルガンのような重厚な低音を響かせる。現代の若いピアニストが聴くと驚くに違いない。
フーガの後に嘆きの歌が再現され、フーガに入る前の強い和音はエリー・ナイの80歳を超えて録音された演奏を思い起させた。
最後のフーガの速度の速まっていく箇所から終結までの演奏が凄い。マリヤ・グリンベルクの1962年の録音を思わせるような手に汗握るようなエネルギーがほとばしり、最後の下降音階から上昇音階を経て奏でられる力強い和音の響きが物凄い。
この和音が終る前に聴衆の激しい拍手が聴こえていた。
やはり凄い演奏というのは、聴き終わったらエネルギーを消耗する。
この演奏も聴き手の感情を引き出して、発散させる力を持つ数少ない演奏の一つであることは確かである。