今日、渋谷のNHKホールで2018年度Nコン全国大会高等学校の部が開催され、聴きに行ってきた。
合唱曲は音源でじっくりと聴くのもいいが、やはり生演奏を聴いて、その瞬間の感動を感じたい。
今日は全国各地のブロックコンクールで選出された11校が演奏した。
ブロックコンクールの感想で既に記事を書いたが、今年の課題曲は「ポジティブ太郎~いつでも始まり」という曲(作詞:つんく、作曲:上田真樹)。
ポジティブな気持ちでいることの大切さをテーマにしたものだ。
ポジティブ・スィンキング。
ビジネスの世界でも頻繁に耳にする言葉。
幸せで安定した生活を送ったり、仕事を有利に進めるために、気持ちをいつもポジティブにすることはとても重要だと思う。
しかしいつもだいたいにおいてポジティブでいられる人ってどのくらいいるのだろう。
一時的にネガティブになることはよくある。
そのような人は元々ポジティブに生まれ育った人だ。
しかし生まれながらにして必然的にネガティブな思考、行動になるように育った人もたくさんいる。
かつての私もその一人であった。
生育環境の影響から、どんなに努力しても変えることが困難な、ネガティブな神経回路が定着してしまっている。
幼い頃にその土台が出来上がってしまうと、大人になるまでにどんどん強化されてしまう。
今回のテーマはポジティブだが、逆にネガティブって何なんだろう。
ネガティブって自分を責めることだと思う。何も悪くもないのに。
対象に対して悲観的に見る傾向があるのは、自分を否定し、自分を責めているからだ。
自分を受け入れ肯定してれば、ネガティブな気持ちが出てくるはずはない。
ネガティブは、自分を嫌っていると言っていい。
自分を嫌うって、とても悲しい。
でもネガティブになるように育った人は、望まなくても必然的に自分を嫌ってしまう。自動的に。
最も悲惨なのは自分を抹消してしまうこと。
表にはなかなか出でこないけど、このようなことはたくさん起きている。
最近テレビで見たが、縁切り死というものもその一つの現れであろう。
若い頃からポジティブになるにはどうしたらいいのか、とずっと考えていた。
私なりの結論は、あえてポジティブにならなくていいんだ、ということ。
ネガティブでいることは悲しいことだけど、決して悪いことではない。
それは自分の責任でない。
自分の落ち度でない。
ネガティブな考えになるのは現象。自分の性格でない。
その人の人間としての本質とは全く関係ない。
自分の本質って生まれながらにして持っているものだと思う。
人に対するやさしさとか、前向きなエネルギーとか、その人特有の、ものごとに対する興味、関心とか。
もしネガティブな傾向に苦しんでいるとしたら、ネガティブな傾向を嫌ったり、否定したり、拒否して無理してポジティブになろうと自分を強要しないで欲しいと思う。
ネガティブであることを受け入れたうえで、どんな小さなことでも、自分のしたいこと、好きなことに気付き、実行を積み重ねていく。
例えば、小さい頃に食べたあのお菓子が食べたいと気付いたら、すぐにそれを実行してみる。
昔友達の家で読んだあの漫画が面白くて思い出し、また読みたいと思ったら実行してみる。
そんな小さなことに気付き、自分の気持ちを満たすことを積み重ねていく。
いきなりポジティブになるっていっても絶対に無理。
自分の気持ち、それも小さな気持ちに気付き、それを大切にすることを積み重ねていけば絶対にポジティブになっていかれる。
要はネガティブな自分を否定しないこと。ネガティブな自分は外見の自分。その中のもっと核となる自分に気付いていければいい。
随分と長々と変な話になってしまったが、今回のNコンのテーマで考えが浮かんできたのはそんなこと。
さて、今日生演奏を聴いて素晴らしかった演奏を紹介したい。
まず1校目は、東北ブロック代表、福島県立郡山高等学校。
この高校の演奏が始まる前まで、失礼ながら日頃の睡眠不足か、居眠りしそうな状態で聴いていたが、この郡山高等学校の演奏が始まると一気に目が覚めてしまった。
そのくらいインパクトがあった。
まるで一人の主人公=作者の気持ちが、曲の初めから終わりまで一貫して途切れることなく、吐露、表出しているように感じたからだ。
一人の人物が、聴衆に向けて、自分の気持ちを語っているように感じた。
合唱曲の鑑賞でこういう気持ちになったのは初めて。
多くの学校は、音楽が途切れたパーツのように聴こえる。
あるいは巧妙に組み立てられた作品という感じか。
頭で組み立てているから当然と言えば当然だが。
結局、頭で考えるとこういうことになってしまう。
自由曲は、「おやすみなさい」(作詞:長田弘、作曲:三宅悠太)。
これは素晴らしい演奏だった。
私が今まで聴いたNコン合唱演奏で最も感動したうちの一つである、平成12年度の札幌北高等学校の演奏を彷彿させるものだった。
「私たたちはひとりではない。」のところで聴かせた、ストレートな感情。
葛藤が無い。頭で考えたものが無い。
演奏者そのものが持っているものがまっすぐに出ている。
ここまで気持ちを表せられるには、演奏者たち自身の素質以外にない。
もちろん技巧的なものが土台にあっての実現であるが。
技巧はいい指導者がいれば身に付けられるものであるが、最も重要な感情表出は演奏者自身の素質によるもの以外にない。
この演奏は、純粋に、曲のもつ価値が最大限に引き出されたものだと思う。
引き出すのは指導者。
指導者の役割って重大だ。
作者が自分の気持ちを曲という形で託したもの。それが意識的なものを超えてそのままストレートに変換され、伝わってきた。
私はこの演奏を聴いて、作者の気持ちと演奏者の気持ちとの限りない一体化を感じた。
次に、関東甲信越ブロック代表、東京都大妻中野高等学校の演奏。
この高校の演奏は9月初めのブロック大会の生演奏で既に聴いていたが、今日の演奏も素晴らしかった。
目をつぶって集中して聴く。
演奏者たちのさまざまな感情が伝わってくる。
私はこの高校の演奏が好きで、毎年注意して聴いてきたが、年々上手くなっている。
今年もいい演奏を聴かせてくれた。
課題曲の前半はちょっとペースが速いかな、という感じが少ししたが、後半はじっくりと聴かせてくれた。
各パートが交錯しながら展開していくので難しい曲。
下のパートの音が濁らないようにするのがとても難しい。
やさしいようで難しい曲だと感じさせた。
自由曲は「帰郷」(作詞:谷川俊太郎、作曲:三宅悠太)。
冒頭からしばらくして現れる主題の出だしは素晴らしい。
ブロック大会では後半部分がやや不明瞭に感じたが、今日の後半部の演奏は良くなっていただけに惜しい。
今日の大会で最も強く心を揺さぶられたのはこの2校だった。
表面的な上手さとか音量やスケールの大きさではなく、聴き手の心に強く訴えるものが感じられる演奏は少ないと思った。
コンクールの結果というものは通過点に過ぎない。
審査員代表の講評で、今日の審査結果は審査員でそれぞれ全く別のものだったことが言われていたが、審査結果は選ばれた審査員のその時の感じ方で決まったもので、絶対的なものでない。
必ずしも金賞=優秀な演奏だとは思わない。
本当に価値ある演奏とは、コンクールが終っても何十年経っても、何度も聴き続けていかれる演奏なのだ。
賞の結果にこだわっていると、音楽の本質からかけ離れていってしまう。
何年も連続して賞をとるような学校になると、演奏が駄目になっていく。
結果を重視するようになると、団体の内側から次第に壊れていくものだ。
聴き手の心にどれだけのものを与えられるか、という価値観で演奏して欲しい。
自分たちの今までのプロセスや努力を大切にしてほしい。
そして、自分たちの演奏の本当の価値を、他人からではなく、自分たち自らが感じ取り、評価できるようになって欲しい。

【追記】
今回はテレビの録画をしていなかったので、あとでNコンホームページで演奏がアップされたら、じっくり聴いて改めて感想を記事にしたい。
合唱曲は音源でじっくりと聴くのもいいが、やはり生演奏を聴いて、その瞬間の感動を感じたい。
今日は全国各地のブロックコンクールで選出された11校が演奏した。
ブロックコンクールの感想で既に記事を書いたが、今年の課題曲は「ポジティブ太郎~いつでも始まり」という曲(作詞:つんく、作曲:上田真樹)。
ポジティブな気持ちでいることの大切さをテーマにしたものだ。
ポジティブ・スィンキング。
ビジネスの世界でも頻繁に耳にする言葉。
幸せで安定した生活を送ったり、仕事を有利に進めるために、気持ちをいつもポジティブにすることはとても重要だと思う。
しかしいつもだいたいにおいてポジティブでいられる人ってどのくらいいるのだろう。
一時的にネガティブになることはよくある。
そのような人は元々ポジティブに生まれ育った人だ。
しかし生まれながらにして必然的にネガティブな思考、行動になるように育った人もたくさんいる。
かつての私もその一人であった。
生育環境の影響から、どんなに努力しても変えることが困難な、ネガティブな神経回路が定着してしまっている。
幼い頃にその土台が出来上がってしまうと、大人になるまでにどんどん強化されてしまう。
今回のテーマはポジティブだが、逆にネガティブって何なんだろう。
ネガティブって自分を責めることだと思う。何も悪くもないのに。
対象に対して悲観的に見る傾向があるのは、自分を否定し、自分を責めているからだ。
自分を受け入れ肯定してれば、ネガティブな気持ちが出てくるはずはない。
ネガティブは、自分を嫌っていると言っていい。
自分を嫌うって、とても悲しい。
でもネガティブになるように育った人は、望まなくても必然的に自分を嫌ってしまう。自動的に。
最も悲惨なのは自分を抹消してしまうこと。
表にはなかなか出でこないけど、このようなことはたくさん起きている。
最近テレビで見たが、縁切り死というものもその一つの現れであろう。
若い頃からポジティブになるにはどうしたらいいのか、とずっと考えていた。
私なりの結論は、あえてポジティブにならなくていいんだ、ということ。
ネガティブでいることは悲しいことだけど、決して悪いことではない。
それは自分の責任でない。
自分の落ち度でない。
ネガティブな考えになるのは現象。自分の性格でない。
その人の人間としての本質とは全く関係ない。
自分の本質って生まれながらにして持っているものだと思う。
人に対するやさしさとか、前向きなエネルギーとか、その人特有の、ものごとに対する興味、関心とか。
もしネガティブな傾向に苦しんでいるとしたら、ネガティブな傾向を嫌ったり、否定したり、拒否して無理してポジティブになろうと自分を強要しないで欲しいと思う。
ネガティブであることを受け入れたうえで、どんな小さなことでも、自分のしたいこと、好きなことに気付き、実行を積み重ねていく。
例えば、小さい頃に食べたあのお菓子が食べたいと気付いたら、すぐにそれを実行してみる。
昔友達の家で読んだあの漫画が面白くて思い出し、また読みたいと思ったら実行してみる。
そんな小さなことに気付き、自分の気持ちを満たすことを積み重ねていく。
いきなりポジティブになるっていっても絶対に無理。
自分の気持ち、それも小さな気持ちに気付き、それを大切にすることを積み重ねていけば絶対にポジティブになっていかれる。
要はネガティブな自分を否定しないこと。ネガティブな自分は外見の自分。その中のもっと核となる自分に気付いていければいい。
随分と長々と変な話になってしまったが、今回のNコンのテーマで考えが浮かんできたのはそんなこと。
さて、今日生演奏を聴いて素晴らしかった演奏を紹介したい。
まず1校目は、東北ブロック代表、福島県立郡山高等学校。
この高校の演奏が始まる前まで、失礼ながら日頃の睡眠不足か、居眠りしそうな状態で聴いていたが、この郡山高等学校の演奏が始まると一気に目が覚めてしまった。
そのくらいインパクトがあった。
まるで一人の主人公=作者の気持ちが、曲の初めから終わりまで一貫して途切れることなく、吐露、表出しているように感じたからだ。
一人の人物が、聴衆に向けて、自分の気持ちを語っているように感じた。
合唱曲の鑑賞でこういう気持ちになったのは初めて。
多くの学校は、音楽が途切れたパーツのように聴こえる。
あるいは巧妙に組み立てられた作品という感じか。
頭で組み立てているから当然と言えば当然だが。
結局、頭で考えるとこういうことになってしまう。
自由曲は、「おやすみなさい」(作詞:長田弘、作曲:三宅悠太)。
これは素晴らしい演奏だった。
私が今まで聴いたNコン合唱演奏で最も感動したうちの一つである、平成12年度の札幌北高等学校の演奏を彷彿させるものだった。
「私たたちはひとりではない。」のところで聴かせた、ストレートな感情。
葛藤が無い。頭で考えたものが無い。
演奏者そのものが持っているものがまっすぐに出ている。
ここまで気持ちを表せられるには、演奏者たち自身の素質以外にない。
もちろん技巧的なものが土台にあっての実現であるが。
技巧はいい指導者がいれば身に付けられるものであるが、最も重要な感情表出は演奏者自身の素質によるもの以外にない。
この演奏は、純粋に、曲のもつ価値が最大限に引き出されたものだと思う。
引き出すのは指導者。
指導者の役割って重大だ。
作者が自分の気持ちを曲という形で託したもの。それが意識的なものを超えてそのままストレートに変換され、伝わってきた。
私はこの演奏を聴いて、作者の気持ちと演奏者の気持ちとの限りない一体化を感じた。
次に、関東甲信越ブロック代表、東京都大妻中野高等学校の演奏。
この高校の演奏は9月初めのブロック大会の生演奏で既に聴いていたが、今日の演奏も素晴らしかった。
目をつぶって集中して聴く。
演奏者たちのさまざまな感情が伝わってくる。
私はこの高校の演奏が好きで、毎年注意して聴いてきたが、年々上手くなっている。
今年もいい演奏を聴かせてくれた。
課題曲の前半はちょっとペースが速いかな、という感じが少ししたが、後半はじっくりと聴かせてくれた。
各パートが交錯しながら展開していくので難しい曲。
下のパートの音が濁らないようにするのがとても難しい。
やさしいようで難しい曲だと感じさせた。
自由曲は「帰郷」(作詞:谷川俊太郎、作曲:三宅悠太)。
冒頭からしばらくして現れる主題の出だしは素晴らしい。
ブロック大会では後半部分がやや不明瞭に感じたが、今日の後半部の演奏は良くなっていただけに惜しい。
今日の大会で最も強く心を揺さぶられたのはこの2校だった。
表面的な上手さとか音量やスケールの大きさではなく、聴き手の心に強く訴えるものが感じられる演奏は少ないと思った。
コンクールの結果というものは通過点に過ぎない。
審査員代表の講評で、今日の審査結果は審査員でそれぞれ全く別のものだったことが言われていたが、審査結果は選ばれた審査員のその時の感じ方で決まったもので、絶対的なものでない。
必ずしも金賞=優秀な演奏だとは思わない。
本当に価値ある演奏とは、コンクールが終っても何十年経っても、何度も聴き続けていかれる演奏なのだ。
賞の結果にこだわっていると、音楽の本質からかけ離れていってしまう。
何年も連続して賞をとるような学校になると、演奏が駄目になっていく。
結果を重視するようになると、団体の内側から次第に壊れていくものだ。
聴き手の心にどれだけのものを与えられるか、という価値観で演奏して欲しい。
自分たちの今までのプロセスや努力を大切にしてほしい。
そして、自分たちの演奏の本当の価値を、他人からではなく、自分たち自らが感じ取り、評価できるようになって欲しい。

【追記】
今回はテレビの録画をしていなかったので、あとでNコンホームページで演奏がアップされたら、じっくり聴いて改めて感想を記事にしたい。
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