緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

フォーレ作曲 夜想曲第13番を聴く

2017-07-02 00:20:32 | ピアノ
2週間ほど前から、あるきっかけによりフォーレの夜想曲第13番の聴き比べをしていた。
フォーレについては今までも書いてきたが、ベートーヴェンやショパンらとともに最も優れたピアノ曲を残した作曲家だと思う。
フォーレのピアノ作品で有名なのは夜想曲と舟歌であるが、ともに13曲からからなり、フォーレが30歳くらいの頃から死の2年前まで作曲された。
夜想曲第13番はフォーレの最後のピアノ作品である。

13の夜想曲の中でもとりわけ好きなのが第1番、第6番、第7番、第13番だ。
第6番、第7番、第13番は、数多くのピアノ曲の中でも最高の部類に属すると思う。
曲の完成度からしても、芸術性の高さという意味でもピアノ曲の傑作だと思っている。
しかしフォーレのピアノ曲を手掛けるピアニストは限られている。
多くはフランスのピアニストだ。
ピアノの巨匠クラスでは、例えばホロヴィッツが第13番、ケンプが第6番、フランソワが第2番、第4番と第6番、ギーゼキングが第1番、第4番を取り上げたくらいである。
ギーゼキングはベートーヴェンのピアノソナタが乱雑な演奏でがっかりしたことがあった、このフォーレの夜想曲の演奏も乱雑で素っ気なく聴くに堪えない。

20年近く前に初めてフォーレの夜想曲を聴いた時、第1番はすぐに好きになったが、第6番、第7番、第13番はなかなかその素晴らしさに気付けなかった。
しかし第6番、第7番、第13番は、ジャン・ドワイアンの演奏に出会ってその曲の真価に物凄く感動した。
とくに第6番、第7番のドワイアンの演奏の演奏はこれ以上ないというくらいのレベルで、私のお気に入りの録音となっている。

夜想曲は7番から徐々に暗い影を落とすようになる。
第8番はもともと8曲からなる「小品集 作品84」の中の1曲だったのを、後になって夜想曲に入れたものであり、第7番と第9番との間の連続性がない。
そのため第8番は本来の夜想曲とは別にみるべきだ。
夜想曲第9番から第12番を演奏会や録音で好んで取り上げるピアニストは皆無に近い。
聴けば分かるが、聴き手が美しい甘美な物を期待しているならば必ず裏切られる曲である。

第13番はAndante2分の3拍子(2分音符=63)で始まる。



63という指定は意外に速い速度であるが、多くの奏者はこの部分を速くは弾いていない。
(ジャン・ヴェールはこの指定を守っているように思う)
静かな、対位法で書かれたこの出だしは後にも繰り返されるが、陰鬱で暗く、人生に絶望した人間が感じるような重々しく、エネルギーを失い、悲観的な感情を感じさせる。
一瞬、次のような和声の変化が見られるが、すぐにもとの感情に引き戻され、静かな感情は次第に大きく高まり、曲は次の段階に移る。





各拍子の頭に休符を置いた特徴のある低音部の伴奏に、強い感情を伴う旋律が現れる。



全体的に苦しみを伴う感情であるが、エネルギーがあり、ときに喜びや活力を感じさせる部分も垣間見せる。
しかし間もなく再び冒頭の陰鬱な重々しい、絶望的なエネルギーを失ったあのフレーズが再現される。
そして冒頭にも増して、次のような不気味な、死の入り口に引き寄せられるような半音階的伴奏が繰り返される。



そして何か感情的な大きな変化を予兆させるような強い和音の連続のあと、曲は嬰ト短調Allegro2分の2拍子(2分音符=80)に移る。





曲想は強く、エネルギッシュであるが、重々しく、何かにせかされているような不安定さを感じる。
常に下記に示されるような不安を底に抱えながら、人生を邁進してきた過去を回想するように感じる。



強いエネルギーに満ちているが幸福ではない。
何かの挫折体験から野心的な、尋常ではない向上心で精神の平安とは無縁な努力の日々を積み重ね、人生の一時、一見外からは幸福の極みにも見える高みに到達する。



しかし、またあの沈鬱な暗い冒頭のフレーズが現れる。ここがこの曲のキーとなる。
恐らく死を目前にして、自分の人生を回想し、そのはかなさ、無意味さを悟り、もうすでに幸福になれる道が閉ざされていること、いわゆる絶望感に直面しているのではないか。
次の部分の感情はすさまじい。



どうにもならない、血を吐くような苦しみを絞り出しているように聴こえる。
しかしその苦しい叫びは次第に弱まり、自己を憐れむように消えていく。
次の一瞬、持てる力を振り絞り、再び立ち上がろうとするが、すでに力は尽き、精神的死へと向かって消え入るように曲は閉じる。

この曲は、色々な解釈があるだろうが、肉体的にしても精神的にしても、人生に対する絶望を感じ、そのことを主題にしていることには間違いない。
晩年のフォーレ自身が作曲時にこのような心境にあったがどうかは分かるわけがないが、多くの解釈は、老年の衰弱と悲観、過去への飛躍と高揚、生命の回復への激しい情熱、といったものが見受けられる。後年フォーレを悩ませた聴覚異常との関連性を指摘する人もいる。
しかしフォーレの息子の著作「フォーレ・その人と芸術」において、彼は「父は、実際自分の病気にも、死の接近にも、なんら幻想を抱いていなかった。しかしこのことは音楽とはなんら関係はない。」、この作曲の時期、フォーレは「すべてのこうしたもの(妻に宛てた手紙の内容)は苦しみと後悔に満ち満ちた痛ましい作品の完成とはほとんど相応じるものがない。」と言っている。
実際フォーレは表向き、このような死を目前に悲観した日々を送っていたわけではないであろう。
70半ばまでパリ国立音楽院の院長職を務め、数々の名作を生みだし、多くの作曲家や演奏家と交流を持ち、家族たちにも恵まれていたのだから。
しかしそれでも、夜想曲の第9番から第13番までの暗く、時に狂気すら感じる音楽を聴くと、フォーレの内面に、表に表出していたものとは全く別の世界、すなわち不幸、絶望感、人生の無意味さ、荒涼とした寂寥感が無かったとは感じられないのである。
人は、実際に感じている感情以上のものを「想像」で音楽や芸術を手段に表現することは出来ないのではないか。
フォーレのこの夜想曲第13番で感じ取れる感情の強さは、想像や借り物で決して創作できるようなものではなく、作曲者自身のリアルな生の感情的体験から生み出されたものであることを否定することは出来ないのである。

さてこの夜想曲第13番はこれまでずいぶん多くの録音を聴いてきた。

エリック・ハイドシェック スタジオ録音 1962年 CD
ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン スタジオ録音 1956年 CD
ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン スタジオ録音 録音年不明(2度目の全集録音) CD
ジャン・ドワイアン スタジオ録音 1970~1972年 CD
ジャン・フィリップ・コラール スタジオ録音 1973年 CD
ジャン・ユボー スタジオ録音 1988~1989年 CD
エヴァ・ポブウォツカ スタジオ録音 2000年 CD
エミール・ナウモフ スタジオ録音 1999年 CD
ジャン=ポール・セヴィリャ スタジオ録音 1998年 CD
キャサリン・ストット  スタジオ録音 1994年 CD
イヴォンヌ・ルフェビュール  スタジオ録音 1980年 CD
クン=ウー・パイク スタジオ録音 2001年 CD
ヴラド・ペルルミュテール  スタジオ録音 1982年 CD
デヴィッド・ライヴリー スタジオ録音 1990年 CD
藤井一興 スタジオ録音 2000年 CD
ジャン=ミシェル・ダマーズ  スタジオ録音 録音年不明 CD
ウラディミール・ホロヴィッツ ライブ録音 1978年 LP
エヴリーヌ・クロシェ スタジオ録音 録音年不明 LP
ジャン・ヴェール スタジオ録音 録音年不明 CD
アンジェラ・ヒューイット スタジオ録音 2012年 CD
ドミニク・メルレ スタジオ録音 録音年不明 Youtube
キャスリーン・ロング スタジオ録音 1952年 Youtube
リー・ルヴィジ ライブ録音 録音年不明 Youtube
イゴール・コマロフ スタジオ録音 録音年不明 Youtube
ジャン・マルク・ルイサダ  スタジオ録音 1997年 CD

この中で最も聴き応えがあったのは次の3点だ。

ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン スタジオ録音 1956年 CD
ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン スタジオ録音 録音年不明(2度目の全集録音) CD
ジャン・ドワイアン スタジオ録音 1970~1972年 CD

ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン(1902~1987)は、オランダ出身のフランスのピアニストで、1914年に当時フォーレ自身が院長を務めていたパリ音楽院に入学し、あとにマルグリット・ロンに指導を受けたフォーレ直系のピアニストである。
しかし22歳で結婚し、5人の子供を授かり育児に専念するために20年以上も演奏活動を中断したが、1951年に再開、フォーレのピアノ独奏曲や室内楽を中心に数多くの録音を残した。
フォーレの夜想曲全集は2度にもわたり録音した。よほど思い入れがあったのであろう。
1956年の録音(testament)と恐らく1970年代と思われるシャルランの録音は今でもCDに復刻され聴くことができるが、録音状態は悪い。





とくに1956年の録音はベールに包まれたような不明瞭な音で、この録音状態の悪さが彼女の評価を実力以下にしているものと思われる。そしてフォーレ以外の作曲家の録音が殆ど無いことが追い打ちしている。
ヴァランタンの夜想曲第13番の演奏は、他の奏者には見られないタッチの強靭さ、感情的表現の強さが特徴だ。
このような超絶技巧を要する難曲に対し、タッチを軽くして凌いでいる奏者が多いが、そのような演奏とは全く対極に位置する奏者だ。
とくに中間部の転調したAllegroからの低音部の打ち付けるような和音の強さ、そして終結部近くの出口の無い絶望的苦しみを絶叫するような和音は他の奏者では決して出せないものを持っている。
技巧も素晴らしく20年ものブランクがあったとは思えない。
ただし後に出されたシャルランの録音は若干技巧と音の強さの衰えを感じる。
彼女の写真を見ると、上腕が丸太のように太い。この腕によりあの強いタッチが生み出されていると思われる。

次に心に残った演奏はジャン・ドワイアンであるが、ドワイアンも殆どの録音がフォーレであることから一般にはあまり知られていない。



しかし総合的にはフォーレのピアノ演奏では最も優れた録音を残した。
ドワイアンによる夜想曲第13番の演奏は、オーソドックスで誇張した表現は無い。
しかし打鍵は強く、感情的エネルギーは強い。技巧も正確で無理な誇張をしていない。
ドワイアンの演奏で気になるのは、終結部のフォルテへのクレッシェンドの指定を守らず、逆にデクレッシェンドしているところである。



ここを何故あえてデクレッシェンドしたのかずっと疑問に思ってきた。
恐らく、この部分の展開においては既に立ち上がるエネルギーは無く枯渇し、死に向かうのみだと解釈したのかもしれない。
私はヴァランタンの解釈が正しいと思う。

この夜想曲第13番は若い年齢で録音できるものではない。
人生体験を積み重ね、フォーレの晩年の心境を理解できるようになるまでは、技巧のみが際立って表出されるのみの演奏で終わるであろう。
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2 コメント

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フォーレ 夜想曲13番大好きです (のりのり)
2017-07-08 11:29:59
初めまして。
フォーレの夜想曲を検索していて偶然こちらを拝見しました。
夜想曲13番は最近聴きだした所です。一見難解ですが、聴けば聴くほど良さのわかる、奥の深い名曲ですね。
13番は以前は理解できなくて避けてました。1番6番あたりは聴きやすくて良く聴いていたのですが。
フォーレはマイナーな部類に入るので、愛好者は多くないかもしれませんが、好きな人は本当に熱狂的に好きですよね。
私も30年ぐらい前にパヴァーヌ、シシリエンヌから入って、レクイエムで一旦止まってました。
ここ数年前から昔に買ったピアノ四重奏曲と五重奏曲のディスクを改めて聴き出して、フォーレの素晴らしさを再確認してます。ピアノ五重奏曲は1番も2番も美しいですよね。
これからフォーレをたくさん深く聴いて行きたいと思っています。
フォーレの事をとても深く専門的に解説してくださって、ありがとうございます。
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Unknown (緑陽)
2017-07-09 21:29:35
のりのりさん、はじめまして。コメント下さりありがとうございました。
フォーレのピアノ曲は素晴らしいのに、おっしゃるように本当にマイナーで、演奏会で取り上げるピアニストは殆どいませんね。
夜想曲も4番などは、甘美でロマンティックなので夜想曲の中で一番人気のようですが、私には甘すぎてあまり好きになれません。
フォーレの夜想曲の後半の曲は厳しいですよね。
聴く人が殆ど避けるような曲を書いた、ということはやはり凄いことだと思うし、自分に正直だったのだと思います。
ありがとうございました。
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