隠れた名曲という言葉があるが、その言葉にふさわしい名曲として、C.O.ラッタ作曲の「英雄葬送曲」という曲がある。イタリアのマンドリン・オーケストラのオリジナル曲だ。
この曲も学生時代の定期演奏会で、先週紹介した鈴木静一の交響譚詩「火の山」とともに弾いた思い出の曲である。
海外の作曲家、とくにイタリアの作曲家の曲もかなりの数を弾いたのであるが、今一つなじめなかった。
理由は海外の曲は優雅であるが、感情的に訴えるものに乏しかったからであろうか。
しかしこのC.O.ラッタ 「英雄葬送曲」は私が弾いたマンドリン・オーケストラ曲の中でも強く記憶に残る曲であった。
晩秋に開催された定期演奏会の少し前に行われた秋合宿で、合宿所の窓から差し込む黄色の西日を受けながら、この曲のギター・パートを弾いて、その素晴らしさに酔いしれたことを思い出す。
この曲をこの正月休みに30年ぶりに聴いた。
きっかけは12月に聴いた立教大学の定期演奏会のプログラムに掲載されていた過去のプログラムの曲目のなかで、この「英雄葬送曲」が頻繁に出てきたからである。会場で売られていたCDにこの曲があった。
プログラムで頻繁に取り上げられるということは、その曲が素晴らしい曲であることを表している。演奏する人に非常に高い精神的な喜びをもたらすからである。
この「英雄葬送曲」は聴いても大きな感動を得られるが、演奏する方がもっと強い精神的な高まりを経験できる。
C.O.ラッタのことをインターネットで調べてみた。
カルロ・オテッロ・ラッタ(1888~1945)はイタリア生まれの作曲家で、「英雄葬送曲」は、第二次世界大戦中の1941年に催されたファシスト党国家機関O.D.Nの主催によるシエナの第2回マンドリン作曲コンクールにおいて、第2位に入賞した曲とのことである(Orchestra “Plettro”のホームページから引用)。
「葬送曲」とは、人の死を悼む曲である。「英雄葬送曲」は第2次世界大戦で連合国からの激しい攻撃を受けて死んだ多くの兵士達に捧げられた曲である。
曲は前半と後半に分かれる。前半のニ短調は悲痛な重々しい曲想であり、戦争で犠牲となった兵士たちの死を嘆き悲しむ気持ちや戦時中の激動の時代の雰囲気が伝わってくる。
葬送曲や挽歌の多くは短調で終わるが、この曲は後半が明るい壮大な曲想に変化する。この前半と後半の対比は見事と言うほかない。
この後半のニ長調が実に素晴らしく、マンドリン・オーケストラ曲の中だけでなく、クラシック曲全体の中でも隠れた名曲だと感じさせる所以なのである。
このニ長調の後半の出だし(Andante Cantabile)は、すべての精神的、肉体的苦しみから解放された、何も心配することのないやすらぎと幸福感の中に浸っているように感じられる。それは楽しかった過去の思い出、とくに多感な思春期のころを回想しているようにも思える。この部分を聴くと、何か強い感情的高まりが感じられないだろうか。
そしてAnimandoから一層感情的に高まり、生に対する強いエネルギー、幸福感の極致を感じさせる部分に移るが、イ長調からホ短調、ロ短調と移り変わるギター・パートのアルペジオが素晴らしく、この部分を学生時代に何度弾いたかわからない。
Grandiosoからト長調に転調し、最後のSolenneでは力強い華やかなニ長調の行進曲が奏でられ、曲を閉じる。
このC.O.ラッタという人は、戦時中にこの曲を渾身の力を持って書き上げたに違いない。
この曲は戦争の犠牲になった兵士を悲しむと共に、彼らをこれ以上ないというくらい最大限讃える気持ちに満ち溢れている。
後半の幸福感に満ちた音楽は、亡くなった兵士たちの死後の世界での幸福でやすらかな生活を願う気持ちが強く伝わってくる。
C.O.ラッタは第2次世界大戦が終わった年に57歳で生涯を閉じた。
この曲の演奏で良かったのは、立教大学マンドリンクラブの第31回(1997年)定期演奏会の録音と、Youtubeで聴いた中で印象に残った下記の録音である。
この曲も学生時代の定期演奏会で、先週紹介した鈴木静一の交響譚詩「火の山」とともに弾いた思い出の曲である。
海外の作曲家、とくにイタリアの作曲家の曲もかなりの数を弾いたのであるが、今一つなじめなかった。
理由は海外の曲は優雅であるが、感情的に訴えるものに乏しかったからであろうか。
しかしこのC.O.ラッタ 「英雄葬送曲」は私が弾いたマンドリン・オーケストラ曲の中でも強く記憶に残る曲であった。
晩秋に開催された定期演奏会の少し前に行われた秋合宿で、合宿所の窓から差し込む黄色の西日を受けながら、この曲のギター・パートを弾いて、その素晴らしさに酔いしれたことを思い出す。
この曲をこの正月休みに30年ぶりに聴いた。
きっかけは12月に聴いた立教大学の定期演奏会のプログラムに掲載されていた過去のプログラムの曲目のなかで、この「英雄葬送曲」が頻繁に出てきたからである。会場で売られていたCDにこの曲があった。
プログラムで頻繁に取り上げられるということは、その曲が素晴らしい曲であることを表している。演奏する人に非常に高い精神的な喜びをもたらすからである。
この「英雄葬送曲」は聴いても大きな感動を得られるが、演奏する方がもっと強い精神的な高まりを経験できる。
C.O.ラッタのことをインターネットで調べてみた。
カルロ・オテッロ・ラッタ(1888~1945)はイタリア生まれの作曲家で、「英雄葬送曲」は、第二次世界大戦中の1941年に催されたファシスト党国家機関O.D.Nの主催によるシエナの第2回マンドリン作曲コンクールにおいて、第2位に入賞した曲とのことである(Orchestra “Plettro”のホームページから引用)。
「葬送曲」とは、人の死を悼む曲である。「英雄葬送曲」は第2次世界大戦で連合国からの激しい攻撃を受けて死んだ多くの兵士達に捧げられた曲である。
曲は前半と後半に分かれる。前半のニ短調は悲痛な重々しい曲想であり、戦争で犠牲となった兵士たちの死を嘆き悲しむ気持ちや戦時中の激動の時代の雰囲気が伝わってくる。
葬送曲や挽歌の多くは短調で終わるが、この曲は後半が明るい壮大な曲想に変化する。この前半と後半の対比は見事と言うほかない。
この後半のニ長調が実に素晴らしく、マンドリン・オーケストラ曲の中だけでなく、クラシック曲全体の中でも隠れた名曲だと感じさせる所以なのである。
このニ長調の後半の出だし(Andante Cantabile)は、すべての精神的、肉体的苦しみから解放された、何も心配することのないやすらぎと幸福感の中に浸っているように感じられる。それは楽しかった過去の思い出、とくに多感な思春期のころを回想しているようにも思える。この部分を聴くと、何か強い感情的高まりが感じられないだろうか。
そしてAnimandoから一層感情的に高まり、生に対する強いエネルギー、幸福感の極致を感じさせる部分に移るが、イ長調からホ短調、ロ短調と移り変わるギター・パートのアルペジオが素晴らしく、この部分を学生時代に何度弾いたかわからない。
Grandiosoからト長調に転調し、最後のSolenneでは力強い華やかなニ長調の行進曲が奏でられ、曲を閉じる。
このC.O.ラッタという人は、戦時中にこの曲を渾身の力を持って書き上げたに違いない。
この曲は戦争の犠牲になった兵士を悲しむと共に、彼らをこれ以上ないというくらい最大限讃える気持ちに満ち溢れている。
後半の幸福感に満ちた音楽は、亡くなった兵士たちの死後の世界での幸福でやすらかな生活を願う気持ちが強く伝わってくる。
C.O.ラッタは第2次世界大戦が終わった年に57歳で生涯を閉じた。
この曲の演奏で良かったのは、立教大学マンドリンクラブの第31回(1997年)定期演奏会の録音と、Youtubeで聴いた中で印象に残った下記の録音である。
これまでオーケストラは本場で何回か聴いたことはありましたが、殆どが接客のためで殆ど記憶に残っていません。当時は愉しもうという気持ちの余裕がなかったので聞いても心に響かなかったのでしょうか。もう少し若い頃に音楽に目覚めていればもっと人生が愉しめるのにと思われます。
昨日紹介した「英雄葬送曲」、お聴き下さりとても嬉しく思います。
曲の中には若い時にはよく理解できす、長い人生経験を経てはじめてわかる曲もあるので、音楽を始めるのに遅いということはないと思います。
この「英雄葬送曲」もいつか生演奏で聴けたらいいな、と思っております。