緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

チャイコフスキー作曲交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ開始

2021-12-03 22:04:50 | オーケストラ
3,4日前だっただろうか。
仕事から帰ってきて夕食を食べながらスイッチを入れたNHKFMラジオの「ベスト・オブ・クラシック」という番組で、古い記憶に遡る音楽が聴こえてきた。
チャイコフスキー作曲、交響曲第6番「悲愴」。
指揮:森正、NHK交響楽団、ライブ録音。

ラジオのスイッチを入れた時には第1楽章の終わり頃だった。
交響曲は殆ど聴かないのだが、この交響曲第6番「悲愴」に関しては私の人生にとって、とても重要な音楽であった。
就職で東京に出てきたのが1987年の春。
情報量や物、人の多さに圧倒された。
初めての冬のボーナスで、ミニコンポを買った。
今は無き東京・秋葉原の石丸電気に行き、大勢の買い物客に混じって買ったのを今でも憶えている。
若き店員が嬉しそうに電卓を叩き、少し値引いてくれた。
その売り場でCD無料交換券をもらい、すぐにCD売り場に行き、アル・ディ・メオラのCDと交換した。
初めて手にしたCDだった。

この時代は日本経済が絶頂期だった頃だ。
石丸電気のどの店舗に行っても客でにぎわっていたし、店員もいきいきと働いていた。
日本全体が溢れんばかりの豊かさを享受し、満喫していた。
しかし当時の私の心は深い闇の中にいた。
この暗い闇の中で、心が崩壊していくような危機を感じ、もがき苦しんだ。
この時に出会った音楽が交響曲第6番「悲愴」だった。
これほど心に染みこんでくる音楽は無かった。
本能が求めるがごとくこの音楽を聴きまくった。
あの陽の当らない、古い寮の部屋で大量の酒をガブ飲みしながら。

この曲を聴いて、どれほどの量の悲しみの感情が放出されたであろうか。
今思えばこの曲だけが救いだったように思える。

今日、久しぶりに全曲聴いた。
エフゲニー・ムラビンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー楽団、1960年ロンドン、スタジオ録音。





別に構えることなく第1楽章を聴き始めたが、30数年前のあの頃ほどでないにしても、やはり強い感情が瞬時に湧き起こってきた。
それにしても凄い演奏だ。
30数年前のあの頃に聴いたムラビンスキーはライブ録音だった(1956年でない方)。
このライブ録音が最も感動した。
今日聴いたのは絶頂期のスタジオ録音だが、このCD、寮を出てしばらくして回復期にある頃に買ったものだ。
しかし買った時は1回しか聴かずにそれっきりとなった。
やはりライブ演奏の方がいいと思ったからかもしれない。
スタジオ録音の方は第4楽章がやや物足りない。
強い感情が湧いてこない。

この交響曲第6番「悲愴」、ただの悲愴ではない。
チャイコフスキー自身が人生のどん底で自ら味わったものから生み出したものではないか。
想像ではなく、経験がないととても書けるものとは思えない。

時間はかかるかもしれないが、これからしばらく「悲愴」の聴き比べをしていく。
いつかベスト盤を選んで記事にしたい。


(当時ガブ飲みした日本酒)
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