緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

今年の抱負2019(7)

2019-02-17 22:08:06 | 音楽一般
5.時事

ここ数年、日本の有効求人倍率は飛躍的に上昇し、就職内定率も過去最高、人手不足から外国人労働者の就業を拡大するための法律も可決された。
しかし日本経済がかつて右肩上がりだった1960年代から1970年代のあの活気に満ちた時代とは全く異なる様相を感じる。
日本は第二次大戦で多くの人を失った。終戦直後は栄養失調で死ぬ人が続出した。
しかしその頃の生き残った日本人は国のために犠牲となった人々の分まで生きようと、死の物狂いで働いた。
それは凄まじいほどのモチベーションだったであろう。
他国から企業戦士とか働きバチとか言われようが構わなかった。
この時代の人たちは戦争で死んだ人のために過労死しても本望だったと思ったに違いない。
1960年代から1970年代に生きた人たちの中には人間として素晴らしい方がたくさんいた。
この時代に映画やテレビドラマやアニメ、小説、音楽など、今でも価値を全く失うどころか、むしろ今では決して生み出すことのできないような優れた作品がたくさん作られた。

日本は高度経済成長期を経て飛躍的に成長し、1980年代には経済大国の仲間入りを成し遂げた。
1980年代前半に日本はGDPがアメリカに次ぐ世界第2位までにのし上がった。
そして一人当たりGDPは1981年に西ドイツを、1983年にイギリスを、1987年にアメリカを抜き去った。
1980年代に日本は世界の大国にものを言えるまでになった。
日本がものづくり大国として、高品質、低コストの電気製品や精密機器、自動車など、先進国の生活必需品を大量に生産、販売し、巨大な貿易黒字を得たことがその背景としてある。

1986年頃、丁度私が就職活動していた頃だったが、「金満症」とか「財テク」という言葉を目にするようになった。
バブル経済の予兆であった。
今までに何度か記事にし、繰り返し述べてきたが、ここが最大の日本の分岐点だった。
この時日本は賢明な選択をしなかった。
この時日本はものづくり大国から「技術立国」への転換へと大きなかじを切るべきであった。
この時期、韓国や中国は日本のずっと後ろを走っていた。
彼らは振り返っても全く見えない遠いところにいたが、着実に工業化を進めていた。
しかし日本は政府も企業もマスコミも誰もこれらの国の将来の脅威を予測しようとしなかった。
もっとも愚かだったのは、日本がバブルが崩壊し、経済の低迷に喘いでいた時に、苦し紛れに今まで蓄積してきた日本でしか成し得なかった大切な技術、例えば方向性の電磁鋼板や金型などの技術を日本が自ら韓国や中国に易々とあるいは不当な手段で提供してしまったことである。
生産拠点の移転と製造技術の流出が韓国、中国、台湾等の後進国の生産大国化を加速させ、日本の首を更に絞めつけるものとなった。

冒頭に書いた、最近人手不足と言われ、失業率もかつてないほど低下しているのに、経済が潤っているのが感じられない理由がそこにある。
それは日本が世界に先駆けるような先端の技術力で開発された製品をもはや生産できなくなったからだ。
ここが1970年代から1980年代半ばまでの日本の技術力の躍進によって、次々とヒット商品を世界に供給していた時代と全く異なる側面なのである。
今の人手不足は災害復興、オリンピックのための需要によるもので、一時的なものに過ぎない。
日本はかつて活況を呈した家電、自動車、製造機械などに固執した。
これらの分野から脱却しようとしなかった。
これらの分野は近い将来、中国、インド、ブラジルなどの国が生産の主役となるものだ。
いやもうすでにそのようになっている。
日本は弱点と言われた航空機や宇宙技術、ITなどの高度な技術力を要する先端技術の分野に、バブルになる前に投資すべきであったのだ。
これらの先端分野は今中国が凄まじい勢いで発展させており、日本が追いつけることはまずできないところまで進んでいる。

目先の金儲けの狂乱に酔いしれることよりも、もっと賢明な選択がなされるべきだった。
モリカケ問題はけしからんとか、学校の先生の労働時間をもっと減らせだとか、福祉の仕事の待遇を良くしろとか、そういうことで政府を責め立てる人が後を絶たないが、そんなことよりこの政府のもっとも重大な過失こそ本来は責められなければならないのではないか。
借金1,000兆円という爆弾を抱えながら、この遅れをどうやって取り戻そうとするのであろうか。

このバブル経済からその後の経済低迷までの検証は別の機会に記事にしたいと思う。

最近のニュースで児童虐待とか、パワハラだとか、いじめによる自殺などが連日報道されているが、これも今の日本の世相を反映している。
何故、児童虐待やいじめをするのか。
それは自分の不快感情を無関係な他人にトランスフォーム(置き換え)していることに気付かないからだ。
自分の不快感情の本当の原因を自分で認めようとする人間が昔に比べて激減したからだ。
今、このような人が氾濫している。
昔に比べていい人が少なくなった、生きづらくなったと感じるのは、このためである。
このようなトランスフォームを平然とする人をサイコパスと呼ぶが、このようなタイプの人間が増えてきているし、このサイコパスに悪影響を受けて苦しんでいる人も増加している。

精神的に生きづらい時代に入ったと言えるが、このような悲観的な見方は出来るだけしたくない。
サイコパスのような人間も、その悪影響を受けた人も、耐えがたい心の傷を負っているからなのであるが、このような耐えがたい傷をいかに和らげていくかが経済面とは別に、今後最も重要で必要な要素となると思う。
私はこのための手段として音楽があると考えている。
音楽が生み出す、感情エネルギーや精神的エネルギーの作用に関心を持っているが、できればこのエネルギーと癒しとの関係も今後記事に出来ればと思っている。
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