黒澤明監督の映画「どですかでん」を今日、30年ぶりに見た。
30年前といえば、レンタルビデオショップが町に出店し始めた頃で、今まで見ることの出来なかった昔の映画が低料金で見れるようになったことで、週末の仕事帰りにショップに立ち寄っては、レンタルしたものだった。
この時、黒澤明の作品、例えば「生きる」などをいくつか借りて見たのだが、「どですかでん」は、その風変わりなタイトルと初のカラー作品ということで興味をそそられ、ちょっと見てみようか、と思って借りてみたのである。
ビデオテープを再生したら、変な少年がお経を大声で唱えたり、また電車ごっこをしているシーンが出てきて、「何だこりゃ」とにわかに失望した記憶がある。
しかしである。
だんだんと物語が進んで行くにつれて、何故か、何というか、黒澤映画を見て今までに味わったことのないような何とも言えない気持ちになってきて、映画が終ったあともずっとこの物語ことを思索しつづけるような心境になってしまったのである。
そして、黒澤作品の中でも、この「どですかでん」だけはその後何度か繰り返しレンタルしたのである。
この「どですかでん」という作品は、それまでの黒澤作品にみられるような痛快な娯楽性の強い要素は全く無い。
私は黒澤映画を全て見たわけではないが、この「どですかでん」は他の作品とは一線を画す独自性の強い異色の作品だと思う。
あらすじはインターネットで多数紹介されているので具体的なことは省略するが、単に極貧というだけでなく、人生の落伍者として扱われ、蔑まれるような人々の生き様や心象風景を描写したものである。
この作品では、このような人々を批判的にとらえるわけでもなく、かといって憐れんだり、養護したり、また貧しさや弱さを美化しようとすることもない。
淡々と、人間のどうしようもない、宿命的な「弱さ」、「脆さ」と言った姿、心理を描写している。
これは人間である以上、全ての存在に起こるうる、本質的なものではないか。
要するに誰でも持っているものである。
この作品の素晴らしいところは、人間のどうしようもない弱さとともに、とてつもない本能的な優しさ、それは動物が子供に示すようなものを描いていることである。
この作品は1970年の製作であるが、実際この時代には、この映画に出てくるような、とてつもなくいい人がたくさんいた。
そしてそのような人は今、この時代の映画、ドラマ、アニメにしかお目にかかることが出来ない。
黒澤明がこの映画を通して何を言いたかったのか。
それはすぐに分かるものではないし、単純なものでもないであろう。
だから幾度も見たいという気持ちが残る。
人生、貧しくても、恵まれなくても、清く正しく生きていけば幸福になれるといった、ありきたりの精神論、幸福論ではない。
しかし漠然としてではあるが、それがどんなものであろうと人間の本質や宿命といったものに対する許しの眼差しが感じられる。
その感じ方をことさら前面に出そうとしていない。
この作品は、黒澤映画の中でも興行成績が振るわず、失敗作だと言われている。
この作品は、何とも言えない、人が日常背けたくなるような、いたたまれない、心が痛くなってくるようなシーンが多数あり、悲惨で目を覆いたくなるような場面もある。
だから痛快なアクションを期待した多くの人々から不評を買ったのだと思うが、しかしこの作品の心理的インパクトはとても強い。
娯楽性という要素は無いにしても、この作品は黒澤作品の中でも高く評価されてしかるべきものであることは間違いないと思っている。
私はこの映画を強くお勧めしたい。
30年前といえば、レンタルビデオショップが町に出店し始めた頃で、今まで見ることの出来なかった昔の映画が低料金で見れるようになったことで、週末の仕事帰りにショップに立ち寄っては、レンタルしたものだった。
この時、黒澤明の作品、例えば「生きる」などをいくつか借りて見たのだが、「どですかでん」は、その風変わりなタイトルと初のカラー作品ということで興味をそそられ、ちょっと見てみようか、と思って借りてみたのである。
ビデオテープを再生したら、変な少年がお経を大声で唱えたり、また電車ごっこをしているシーンが出てきて、「何だこりゃ」とにわかに失望した記憶がある。
しかしである。
だんだんと物語が進んで行くにつれて、何故か、何というか、黒澤映画を見て今までに味わったことのないような何とも言えない気持ちになってきて、映画が終ったあともずっとこの物語ことを思索しつづけるような心境になってしまったのである。
そして、黒澤作品の中でも、この「どですかでん」だけはその後何度か繰り返しレンタルしたのである。
この「どですかでん」という作品は、それまでの黒澤作品にみられるような痛快な娯楽性の強い要素は全く無い。
私は黒澤映画を全て見たわけではないが、この「どですかでん」は他の作品とは一線を画す独自性の強い異色の作品だと思う。
あらすじはインターネットで多数紹介されているので具体的なことは省略するが、単に極貧というだけでなく、人生の落伍者として扱われ、蔑まれるような人々の生き様や心象風景を描写したものである。
この作品では、このような人々を批判的にとらえるわけでもなく、かといって憐れんだり、養護したり、また貧しさや弱さを美化しようとすることもない。
淡々と、人間のどうしようもない、宿命的な「弱さ」、「脆さ」と言った姿、心理を描写している。
これは人間である以上、全ての存在に起こるうる、本質的なものではないか。
要するに誰でも持っているものである。
この作品の素晴らしいところは、人間のどうしようもない弱さとともに、とてつもない本能的な優しさ、それは動物が子供に示すようなものを描いていることである。
この作品は1970年の製作であるが、実際この時代には、この映画に出てくるような、とてつもなくいい人がたくさんいた。
そしてそのような人は今、この時代の映画、ドラマ、アニメにしかお目にかかることが出来ない。
黒澤明がこの映画を通して何を言いたかったのか。
それはすぐに分かるものではないし、単純なものでもないであろう。
だから幾度も見たいという気持ちが残る。
人生、貧しくても、恵まれなくても、清く正しく生きていけば幸福になれるといった、ありきたりの精神論、幸福論ではない。
しかし漠然としてではあるが、それがどんなものであろうと人間の本質や宿命といったものに対する許しの眼差しが感じられる。
その感じ方をことさら前面に出そうとしていない。
この作品は、黒澤映画の中でも興行成績が振るわず、失敗作だと言われている。
この作品は、何とも言えない、人が日常背けたくなるような、いたたまれない、心が痛くなってくるようなシーンが多数あり、悲惨で目を覆いたくなるような場面もある。
だから痛快なアクションを期待した多くの人々から不評を買ったのだと思うが、しかしこの作品の心理的インパクトはとても強い。
娯楽性という要素は無いにしても、この作品は黒澤作品の中でも高く評価されてしかるべきものであることは間違いないと思っている。
私はこの映画を強くお勧めしたい。
「どですかでん」はいい映画だと思います。
黒澤映画を全て見たわけではありませんが、今まで見た中では一番印象に残りました。
原作は山本周五郎の小説です。
自家製パンですか。おいしそうですね。
素材を選んだり、原料の配合や焼き方、時間などいろいろ試行錯誤を重ねていきながら、作り上げていく楽しみがありますね。
時間はかかるが、楽しいし、市販のパンのように添加物の心配もないから健康にもいいですし。
私は30歳くらいの時から10年近く、毎日料理を作っていた時代がありました。
チャーハン、チキンライス、やきそばといったものを、フライパンが焦げないようにサラダ油をジャボジャボ入れて炒めていました。
これがいけなかったですね。
最近、えごま油というオメガ3とかいうものを含んだ油をスプーンで毎日2杯飲み始めました。
かゆみに効くそうです。
食品、とくに加工食品はよく選ばないといけないと強く意識するようになりました。
何か健康にいいものがありましたら記事に取りあげますね。