緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ムラヴィンスキー指揮チャイコフスキー「悲愴」の入手可能な録音は一体何種類?

2022-02-11 15:32:38 | オーケストラ
悲愴を初めて聴いたのは今から30年以上前の1989年頃にクラウディオ・アバド指揮、シカゴ交響楽団の当時録音されたばかりのCDを石丸電気で買ったのが最初かと思っていた。



しかし最近あることに気付いた。
そう言えば自分では一度も聴いたことはなかったけど、実家に古い「悲愴」のレコードがあるのを見た記憶があるのだ。
それは私がまだ生れる前なのか、生れた後でも記憶に残っていないほど幼かった頃であろう、昭和30年代に親父が買ってきたのものに違いなかった。
そのレコードをこの年末年始に帰省した際に実家にいる兄に見せてもらったら、ディミトリ・ミトロプーロス指揮、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、コロンビアレコード、1961年9月の録音であった。





記憶に残っていないにしても、恐らくこのレコードが家の中で流れているを聴いているはずだ。
早速、兄にレコードをかけてもらって聴いてみたら、テンポがやたら速い。
ちょっとこの演奏は自分の感覚に合わないなと感じた。

父は何故このレコードを買ったのだろう。
父が生涯、少なくとも私の記憶の範囲では音楽に関心、興味を示しているという姿を見たのは皆無に近い。それはクラシックのみならず、歌謡曲など全てのジャンルにおいてである。
しかし実家にはこの「悲愴」の他、ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団(?)のベートーヴェン作曲「田園」など数枚のレコードがあったのをかすかに憶えている。
そして何よりも明瞭に思い出されるのは、父が自らレコードをある日突然買ってきてその翌日の日曜日の朝にそのコードをかけて独り聴き入っていた姿であった。
私が小学校3年生か4年生の頃であった。
これが私が唯一、父が真剣に音楽を聴いている姿をまのあたりに見た瞬間だった。
そのレコードとは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、アルトゥール・ルービンシュタイン演奏の録音だった。
この後、父がクラシック音楽を自ら聴く姿は一度も見た記憶が無い。

私はこのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が大好きで、中学時代に家族の皆が寝静まった深夜にこの父が買ってきたルービンシュタインのレコードをヘッドフォンで聴き入ったものだった。
その後今から10年程前に、この曲のCDを大量に買い込んで聴き比べをしたことがあった。

父は若い頃、おそらく熱狂的ではないにしても少しはクラシック音楽に興味を示していたのであろう。
数多くのクラシック音楽の録音からチャイコフスキーの「悲愴」と「ピアノ協奏曲第1番」を選んだのは父の感性や好みが一致していたからなのか。
今となってはこの世にいないので確かめることは出来ないが、とにかくこれらの曲を選択し、鑑賞していたことはまぎれもない事実なのだ。

私があの最も苦しかった20代半ばの頃に、何故かふとアバドの「悲愴」のCDを買って陽の当たらない暗い寮の部屋で聴き入って何か心に変化が現れるのを感じたことを思い出す。
そしてこのアバドのCDを何度も繰り返し聴いているうちに、心の深いところにしまい込まれていた感情がすこしずつ湧き起ってくるのを感じた。
そしてこのアバドのCDだけでは飽き足らずもっと別の指揮者の「悲愴」を探し求めるようになった。
特段意識していたわけではないのだが今から思うと、恐らく私の心の深いところに抑圧、堆積されていた苦しい感情が、この音楽を聴くことで、徐々に解放され、浄化作用が働いていたのだと思う。
だから本能が求めるがごとくにこの音楽を聴くのを強く求めたのだと思う。

1989年当時はレコードからCDに切り替わり始めた頃で、CDの販売数も少なく、単価も高かった(1枚3千円くらい)。
そして当時はインターネットなど無かったから、CDを探すには専門店に足を運ぶしかなかった。
当時最も多くのCDを取り扱っていたと思われる秋葉原の石丸電気でも、「悲愴」のCDは10種類くらいしかなかった。
ただ中古レコードや輸入CDにまで選択肢を拡げればもっと数多くの演奏を得られたかもしれないが、当時の私にとってはそこまで実行するほどのエネルギーは既に枯渇していた。

この悲愴の録音を探し求めた中で、最も感情が吐き出されたのがエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の1982年のライブ録音であった。
ムラヴィンスキー指揮の悲愴を初めて聴いたのはこの頃買った1950年録音のCDだったが、これは当時の私にはあまり心に大きな変化を生じさせるものではなかった。

この1982年のライブ録音を何度聴いたことだろう。
このCDを何度も聴き入り、恐らく自分の気付かないうちに浄化が進んでいったのであろう。
最悪の危機的状況を脱したと感じた頃にはもう貪るようには「悲愴」を聴かなくなっていた。

その後30年間の間に悲愴のCDを買ったのは3,4枚程度だったと思うが、繰り返し聴くことはなく1回聴くのみで終ってしまっていた。
その中でムラヴィンスキーの録音は1960年のスタジオ録音と1975年の東京公演のライブ録音の2枚だと思っていた。
ところが、先日、1975年の東京公演のライブ録音のCDを乱雑な整理されていないCD置き場から長時間かけて探しているうちにやっと見つかった際に偶然一緒に出てきたCDが、何といつ買ったか全く記憶に残っていない1949年のソ連交響楽団(USSR State Symphoney Orchesta)のCDであった。

ところでムラヴィンスキー指揮の「悲愴」の録音ってどのくらいあるだろうと思ってこの2か月の間調べてきたのだが、私が調べた限りでは現在聴くことの出来るのは以下の8種類の録音のようだ。

①1949年 ソ連交響楽団 レーベル:音源はメロディア、CDはドレミ



②1949年3月25日 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団  レーベル:メロディア



③1950年2月 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団  レーベル:音源はメロディア、CDはビクター



④1956年6月  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ハンブルク(?) レーベル:グラモフォン



⑤1960年11月7日~9日 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン、レーベル:グラモフォン



⑥1961年2月11日 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 モスクワ レーベル:ドリームライフ



⑦1975年6月7日  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 東京、レーベル:キングインターナショナル



⑧1982年10月17日  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 レニングラード、レーベル:ビクター、エラート、elatus



ところで⑧の1982年10月のライブ録音とは別に、「1983年12月24日」の録音が別にあるらしいということが、⑥のCDの解説文や、インターネットのブログ等で「悲愴」の名盤を紹介されている方の紹介文、それからネット販売のサイト(HMV、メルカリなど)の商品紹介などで見出すことがあったので、この録音を求めてまずelatus の中古CDを買ったら、何と商品紹介文の録音日とは異なる1982年10月17日の記載があった。





下は⑥の解説文より。





何と私が1989年に買った⑧のCDと同一の録音だったのである。
それでも私はきっと1983年12月の録音が別にあるに違いないと期待し、次はエラートのムラヴィンスキー集12CDセットを買った。





これは購入先の HMVの商品紹介文の中ではっきりと録音年月日が1983年12月24日と記載されていたのでこれを信じたのである。







しかし実際に届いたCDの記録を見たらこれも録音年月日が1982年10月17日と記載されており、⑧のCDの音源と同一だったのである。うーん騙された感じだ。
(CD5がチャイコフスキーの悲愴)



しかし⑧の録音を何故1983年12月24日と記載してしまったのか。
ちなみにエラートの12CDボックスの解説文の録音記録では、1983年12月24日の録音はモーツァルトの交響曲第33番となっている。
1982年10月17日の録音は、⑧の悲愴以外にベートーヴェンの交響曲第6番「田園」があることがこの解説文で判明した。

推測であるが、HMVの購入サイトでのエラート12CDボックスの商品紹介文の記載ミスをそのままうのみにしてしまったか。真相はわからない。

自分にとっては天が差し伸べてくれたとも言えるチャイコフスキーの「悲愴」であるが、12月初めにたまたまFMラジオで聴いた森正指揮、NHK交響楽団のライブ録音が起爆剤となって再び貪るようにこの曲を聴くことになった。
これまでに100以上の録音を聴いたが、やはりムラヴィンスキーの悲愴は素晴らしいし、私にとっては最上位の演奏の一つだ。
上記の録音の中では⑧が一番好きだ。
演奏の感想などはいつになるか分からないが、将来、聴き比べ、名盤紹介という目的での記事を書く際にとりあげたい。
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「悲愴」を聴いた後のアルハンブラ

2022-02-11 03:07:40 | ギター
今日は夜9時頃から講習会で親しくなった方と3時間ほどライン電話。
その後、「悲愴」の第4楽章の録音を8種類くらい聴いて風呂に入り、例のアルハンブルを弾いて寝ることにした。

いくらなんでも夜更かししすぎだ。

「悲愴」を聴いたあとのアルハンブラ宮殿 2022年2月11日2:48
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