緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

感動した合唱曲 全日本合唱コンクール高等学校部門(5)

2015-12-29 13:40:01 | 合唱
全日本合唱連盟主催の合唱コンクール高等学校部門全国大会の演奏で、特別に大きく感動したものを紹介してきた。
自分で勝手にシリーズ化しているが、今回で5回目になる。
今回紹介するのは先日記事にした「きょうの陽に」(作詞:新井和江 作曲:嶋みどり)である。

この課題曲「きょうの陽に」は今から13年ほど前に、Nコン課題曲として採用されていたので既に聴いていたが、合唱曲の中でも感動度の高い素晴らしい曲だ。
今年の夏から2013年度(第66回)合唱コンクール高等学校部門全国大会で演奏された全ての学校の録音(16校)を聴き比べ、その中で最高に感動したものを選出した。
その演奏者とは、東京都共立女子高等学校音楽部(17名、指揮者1名、伴奏1名)である。
先日の記事(2015/12/20付け)でも紹介したが改めて取り上げさせていただきたい。
なお、詩の解釈等は先日の記事で書いたので、ここでは省略する。

この共立女子高等学校の演奏に最も惹かれた要素は何かと考えてみる。
多くの高校が、いわゆるコンクールに勝つための演奏をしているのに対し、この高校はそれと対極にある演奏をしていたからではないか。
初めて聴いた時、多くの学校の演奏法とは「何か違う。」と思った。
決して無理をしない。
力みが無い。自然体の演奏だ。勝つための演奏をしていないからそうなるのであろう。
しかし、強い表現を求められる部分は、力強い。
「わたしは今 あたらしい世界へ向かって走って行く」などの部分の低音パートがそうだ。
自然に適った力強さ。
この力強い低音と澄んだ高音との掛け合いから織りなすハーモニーがいい。
歌声の裏から、演奏者たちの、この年頃特有の清らかさ、優しさの気持ちが伝わってくる。
冒頭の出だしからその気持ちが伝わってくる。
中間部の「川の流れのように」の歌声で一層明瞭になる。
特に後半の無伴奏の「ほかならぬわたし自身になるために」の部分は圧巻!!。
素晴らしいの一言に尽きる。
だから何度でも繰り返し聴きたくなるし、実際に聴いてしまうのだ。
ここの表現が最大のポイント。
この部分をやたら速く、急き立てるような強い声で歌っている学校もあったが、折角の曲を壊してしまっている。
この部分を何故無伴奏にしたのか。その意味がわかれば、音の強さ、速度はおのずと決まるであろう。

この「きょうの陽に」という曲は、詩も曲も女性らしい感性に溢れている。
だからこの大会では「女声」のみの指定であった。混声バージョンもあるが、男声が入ると、繊細な感性を表現出来ないであろう。
未知の新しい世界へ旅立とうとしている一人の人間の、おそらく女性であろうが、未来に対する決意と希望に満ちた気持ちを歌った曲だ。

今回この「きょうの陽に」の全16校の演奏を聴き比べて感じるのは、高い賞を得るために意識された演奏が多いと感じたこと。
高校生らしさを絶った、成人女性のような声、しかも音質を均一にし、不必要に音量を強くする。
このような演奏を聴いても何も感じない。指導者により計算され、コントロールされているからだ。
力んだ声が怖い声にさえ聴こえてくる。演奏者たちから自然な感情が流れて来ない。繊細な感情が伝わってこない。
無理もない。意図的にあるべき声に従おうとすると、自然な感情が引き出されるわけがない。歌っている高校生たちが不憫にも感じられる。
しかし現実として、このような演奏が審査員から多くの得点を引き出しているのだと思う。

コンクールという場が、高い賞を取って名誉を勝ち取ることに意義を持たせているから、このような演奏が出てくる。
ここ数年コンクールの生演奏を何度か聴いたが、何故かあまりいい感じがしなかった。
今、その理由が何となく分かってきている。
ここ数年多くの合唱曲を聴いてきて、コンクールに勝つための演奏というものがあることが見えてきた。
しかし、プロになるための登竜門としてのコンクールでないのであれば、賞を意識する必要は全く無い。
賞を意識すると絶対に音楽が駄目になる。
金賞など取らない方がいい。
無名だった学校が、金賞を取って注目され、部員が増えて次第にその学校本来の良さが失われていくこともある。
注目されると、周りからの高い評価を維持するために余計な心理的負担を抱えることになる。
コンクールに勝つための演奏をして、毎年全国大会に出場して高い賞を取るよりも、聴き手に深く大きな感動をずっと長い間与えてくれるような演奏をして、全国大会に出場できなかった方がまだいい。
幸いNコンはブロック大会や都道府県大会の演奏も聴くこともできる。

案外合唱曲という枠の中だけにいると、何が本当にいい演奏なのか、というのが見えなくなるのではないか。
高校生の合唱曲はコンクール主体なので、余計そうなのかもしれない。
長く器楽をやってきた側からすると「え、なぜこの演奏が金賞?」と感じることもある。
しかし過去の音源に遡ると、今回の共立女子高等学校のような演奏をする学校に出会うことがある。
その数は少ないが、このブログでこれまで何校か紹介させていただいた。

結局いい演奏とは、聴き手の奥底にある感情を自然に引き出すことの出来る演奏だ。
演奏者自身の心持ちに依存するレベルの高い演奏法である。
表面的な上手さだけが突出する演奏とは根本的に違う。
器楽曲を長く聴いていると両者の演奏の区別はある程度出来るようになる。しかし合唱曲だけの世界にいればかえってわからなくなるかもしれない。
この共立女子高等学校の演奏スタイルが変わらないことを望む。

今後も長く何度も聴き続けることの出来るいい演奏を紹介していくつもりだ。
そして出来るだけ、コンクールだけでなく学校の定期演奏会にも足を運んでみたい。


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