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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

NLPによって対人恐怖症は改善されるのか(9)

2023-08-30 22:15:15 | 心理
(前回からの続き)

対人恐怖の解決のためのアプローチとして以下の2つの側面と解決方法があることを以前記事にした。

A.全ての人間を敵と認識し、それを信念としたことによる恐怖の解決に向けて
B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

そしてBについては、以下の3つのテーマについて、自分の体験から解決方法を考察してきた。

Ⅰ 今の心の状態のモニタリング、恐怖を感じるようになったプロセスと原因の考察
Ⅱ 恐怖感情の肯定 過去から現在までの生き様の肯定
Ⅲ 自分を攻撃した人間の正体(現実の姿)の理解

Bについての考察で重要なポイントとして、無意識に発動している「自己否定」と「自己否定した自分を防衛するための強迫的衝動による行動」に気が付き、意識化することが、対人恐怖を解消していくためにまず何よりも重要であることを挙げてきた。
しかし意識化出来たからといっても、これらのパターンは固定化した自動回路のように強固に潜在意識に刷り込まれ定着しているため、パターンを停止あるいは破壊していくことは容易ではなく、長い年月を要することも述べた。
やむを得ない理由があったにしても、自己否定という受け止め方を選択し、信念になるまで定着させたのは他ならぬ自分自身なのである。
したがって、この自己否定という受け止め方をやめることが出来るのもの自分自身であると捉えたい。
自己否定を止めることが出来れば、自然に、自己肯定の感情が芽生え始め、それが少しずつ育ってくる。逆はありえない。
しかし自己否定していることに気が付かず、自己否定し続けている状態でいくら自己肯定を意識的に試みても上手くいかない。
NLP、ポジティブシンキング、アファメーション、引き寄せの法則、思考の現実化など、ひと昔前に注目された方法があるが、この方法を何万回やっても上手くいかないのはこの理由があるからである。


A.全ての人間を敵と認識し、それを信念としたことによる恐怖の解決に向けて

Ⅰ 周囲の人間環境に対する認識と防衛反応の意識化

対人恐怖の解決のためには、Bの「自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決」の他に、Aの「全ての人間を敵と認識し、それを信念としたことによる恐怖の解決」も必要となるが、この解決のためにはまずBの方がある程度解決してからでないと上手くいかない。

全ての人間を敵と認識し、それが信念となるまで強固に定着するに至るまでには、人生のプロセスにおいて、家庭、学校、職場などの逃げ場の無い閉鎖的環境において、長期間、周囲の人間から精神的攻撃を受けた可能性が高い。それもスケープゴートという立場に追い込まれるという形が多い。
人間全てが敵で、ありのままの自分のままでいることは常に危険だ、攻撃されないように常に身構え、攻撃されないための防衛行動を強迫的にするようになる。
これはある意味、自然な反応、行動と言える。人間で無くても動物であっても同じような反応が出るだろう。
やっかいなのは、後年、このような環境を抜け出した後でも、周囲を常に敵と感じ、自分は周囲の人間に受け入れないばかりでなく、攻撃のターゲットとされると感じてしまうことである。
どんな環境であっても、以前に体験した環境と同じと認識し、その環境で自分を防衛するために反射的に身に付けた行動パターンが無意識的に再現される。
そのため、この周囲の人間環境(全世界と言ってもいいかもしれない)に対する認識を変えることは容易でない。
相手が何気なく言った、全く悪意のない単なる指摘を攻撃である認識し、相手への敵意と防衛反応が無意識的に発動される。
過去に愛されないで育った人が、大人になって環境が変わっても、一生、周囲の人間に心を開くことが出来ずに不幸な人生で終わる人が多いのは、この「認識」が容易なことで変化しないことを示している。

しかしこの周囲の人間環境に対する認識を変えることは不可能ではない。
であればどうやって変えることが出来るのか。
まず、Bの自己否定を無意識で行っていることの意識化の作業と同じように、周囲の人間環境に対する認識(=全ての人間が敵と感じる)と反応を、絶え間ない日々の自己観察と過去の内観により意識化し浮き彫りにする必要がある。
この作業は大変長い時間がかかる。認識や反応が強固に定着していればいいる程、長い年月が必要となるだろう。
しかし意識化することが出来れば、その認識を恐怖を起こさせない認識に変えることができる。
「ああ、この人は私を責めている、馬鹿にしている、見下している、軽んじている、と瞬時に感じたけど、その感じ方は過去の不幸な体験で身に付けた認識が無意識的、反射的に反応して出たのだな、相手は単に深い意図もなくただ感じたことをしゃべっているに過ぎないのだ」ということが体感的に分かってくる。
そして、後年、あの時の自分はずいぶんと人に対し防衛的になって、相手が攻撃してくると恐れてあんな言動を取っていたんだな、と振り返ることが出来るようになる。

この作業も自己否定からの脱却と同様大変な時間を要するであろう。
根気よく、忍耐強く、一つ一つやっていかなければならないが、それ以上、回復のための速度が速まることはないであろう。
1週間、1か月、1年などという短期間で認識や防衛反応を変えることはまず不可能である。

(次回に続く)
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NLPによって対人恐怖症は改善されるのか(8)

2023-08-29 23:12:36 | 心理
(前回からの続き)

B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

Ⅲ 自分を攻撃した人間の正体(現実の姿)の理解

自己否定の構えが定着した背景として、人生の過程において、次のような人物と関わったことがなかったか、思い出してみる。

・人間であれば誰もがするようなミス、間違い、失敗など、些細なことを指摘し、正義、正論、理屈を持って、言われている側が「自分が悪いから責められるんだ」と受け止めて、心にダメージを受けるまで責めるような人。

・悪意のある皮肉のように、他人への攻撃をオブラートに包み、遠まわしに言うなど、相手に真意を気付かれないないようにして、確実に相手を傷つけにいく人。

・相手に罪悪感を抱かせ、自分の未熟さを原因とする問題を巧妙に相手の責任にすり替えるような人物。

自己否定に支配されているとき、人間の本当の姿に対しては盲目になっている。
相手の言う言葉の裏にある感情を感じ取ることが出来なくなっているのである。対人恐怖と、心に抑圧されたマイナス感情の苦しさに支配されている状態では、相手の現実の姿を見ることが出来ない。

このような状態になっている時、最も注意しなければならない人物が先に記載したような人物である。
このような人物と深くかかわると確実に心に大きなダメージを受ける。何故ならばこのような人物は、自己否定の強い、自責の念の強い人を選んで攻撃するからである。

このような人物とは、心が深く病んだ人たちなのである。
このような人たちも過去の不幸な人間関係で深く傷つき、自己否定している。
自己否定することで絶えず生じる、怒り、憎しみなどの悪感情のはけ口として、最も安全なターゲットを選んで、最も安全な方法で悪感情の解放を実行する。

彼らは基本的には、自己否定がエスカレートしてうつ病になる人と同じ心の問題を抱えている。
両者の違いは、うつ病になるような人が、怒りや憎しみを自分自身に対し向けるのに対し、人を傷つける人はそれらの感情を他人に向けて解決する点にある。
うつ病になる人は、他人を傷つけることは出来ない、他人が傷つくと心が痛むという良心があったから苦しい感情を溜め込み、自分を犠牲にしたのである。
人を傷つけて悪感情を解消する人は良心というものを捨てた人たちなのである。人を傷つけても何の罪悪感も感じなくなった人たちなのである。

パワハラ、モラハラ、いじめ、虐待、DV、ネットでの中傷などは、攻撃する相手にも、見ている周囲に人にも真意が気付かれないように行われる。
これが彼らの正体である。
狙った獲物は巧妙かつ確実にとらえるのが彼らのやり方である。

しかし自己否定から回復してくると、このような人たちが手に取るように見えてくるようになる。何故ならば、彼らも自分と同じ苦しみを抱えていることが同じ体験者として分かるからだ。
そしてだからこそ、彼らから攻撃されても反撃できるようになれるし、彼らの最も恐れているものも指摘することが出来るようになる。
そして後で、こんな情けない人物から攻撃されていただけだったのだ、ということが体感として分かる時が来る。

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NLPで対人恐怖症は改善されるのか(7)

2023-08-27 23:02:30 | 心理
B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

Ⅱ 恐怖感情の肯定 過去から現在までの生き様の肯定

(前回からの続き)

無意識で「自己否定」していることに気が付くことの重要性について改めて考えてみたい。
この、無意識で「自己否定」していることに心底気が付かなければ、どんな心理療法を数多く受けても、改善すべく行動を繰り返しても対人恐怖は改善しない、と私は自分の体験から考えている。

逆にこの無意識の自己否定の「自動回路」に気が付くことが出来たならば、改善を意図した意識的、強制的な行動をしなくても、本来の人間が根源的に備え、持っている矯正作用が自然に働いていくと思ってよいだろう。

私は潜在意識で絶えず発動している自己否定の「自動回路」に気が付いた(意識化できた)ことで、流れが大きく変わった。180度変わったといっていいかもしれない。
自己否定が心に及ぼす影響が理解出来れば、自動回路を停止させることが出来る。
自己否定の自動回路こそが絶え間ない苦しみを生み出していたからだ。
行動を起こす前にまず第一にこのことに気付くことが絶対に必要だ。

このことに気が付かず改善のための行動を取ると、無意識のうちに自己否定の自動回路に従った選択と行動をとってしまい、苦しみが強化されることはあっても改善することは無い。経済的にも時間的にも大きな損失を被りかねない。
さまざまな心理療法を渡り歩くというのも、このことが原因ではないかと思う。

そのためには前回までの記事に書いたように、日々の絶え間ない、自己観察と内観が必要となる。
ただ自己否定の「自動回路」に気が付くことができたとしても、それを破壊するためには長い年月が必要となるということだ。
たった1日で取れるというものではない。
薄紙を1枚、1枚、丁寧にゆっくりと剥がしていくという作業が必要となる。
じっと忍耐するしかない。きっとこれで良くなっていく、必ず長く暗いトンネルを抜け出すことを信じて!。
しかしこのプロセスを経ることにより、自分の苦しみが後戻りすることなく、確実に前進していくことが出来る、という実感を感じ取ることが出来る。
長い階段をゆっくりと一段、一段ずつ登っていくけど、引き返すことはない、という感覚に近い。ゆっくりとした速度だけど確実に前進しているので、将来に希望を持つことが出来るからである。

あと重要なことは、感情はその人の本質とは関係ない、ということである。
つまり、「恐怖」、「怒り」、「憎しみ」などのマイナス感情があったとしても、根源的な意味において、その感情とその人の人格とは無関係ということだ。
「恐怖」があるから自分に対し、良い、悪いなどの評価を下すことは無意味ということだ。
そのことについてもう少し考えてみたい。

「恐怖」などの感情は、過去の体験で得た記憶情報、すなわち過去に恐怖感情が起きた体験に対して自ら判断し選択した「解釈」、「受け止め」、「観念」、「価値観」などにより、今目の前で起きている出来事や状況に対して反応して起こっているもの、と言える。
すなわち恐怖感情発生の契機となっている、これらの「解釈」、「受け止め」、「観念」、「価値観」などは常に変化するものであり、その人の根源的な本質ではないということなのだ。
仮にある体験に対し、「自己否定」という「解釈」、「受け止め」を選択し、それを「価値観」、「観念」としたならば、その後その体験と同じ体験をするたびに、潜在意識に刷り込まれたこれらの情報により「恐怖感情」が起きてくるのである。
恐怖感情自体がおかしいものでもないし、問題ではない。
むしろ、体験に対して不適切な「解釈」、「受け止め」、「観念」、「価値観」をリンクさせ、強化し、定着化たことが問題なのである。

そのため、昔からこの恐怖感情発生の基となっている、不適切な「自己否定」の受け止めや観念を適切な、恐怖を起こさせないものに変換することが心理療法で行われてきた。
伝統的なロジャース派による心理療法(対談者中心療法)においても、来談者(クライアント)の過去の記憶体験に遡り、カウンセリング技術により、来談者にこの「苦しみ」の元になった体験とそのときにとらざるを得なかった、「受け止め」、「自分への評価」、そしてそれらが「価値観」や「信念」にいたるまで定着した事実を意識化し、気付きを与えることで、来談者自らがこの不適切な感じ方を矯正できるように働きかけることを目的として行われていたと考えられる。

しかしこの方法は非常に長い年月と時間を要し、来談者自身が苦しみの原因となっている無意識の「自己否定」に気付くことが出来なければ、成功しない。そのため、1990年代後半頃から、なかなか改善しない来談者中心療法に不満を持つ人の受け皿として、短期解決を謳い、問題に対するアプローチや解決方法に具体性のある方法が現れ始めるようになった。

対人恐怖症の解決に対して、伝統的なロジャース派による心理療法(対談者中心療法)が困難であることが分かり始めてから、NLPの他、TFT(思考場療法)、認知行動療法、インナーチャイルドによる癒し、催眠イメージ療法、観念浄化など、従来のカウンセリングといった単純な対話といったやり方ではなく、具体的な作用をを用いる方法が広まるようになってきた。1990年代後半頃のことである。

TFTは別として、これらの療法のねらいは結局、先に述べたように苦しみの感情の基になっている(苦しい感情とリンクしている)、過去の体験を契機として定着化させた不適切と言える自己否定の観念を変化させることにあると言える。
イメージや行動で観念を浄化したり、上書き、書き換えしたりする方法である。
私はこれらの療法も全て試したが、その時は「自己否定」の自動回路が固く定着していることに完全に気が付くことの出来ない頃だったので、何度実行しても効果が得られなかった。
実際、これらの療法は短期間での解決を謳っているので、浄化や記憶の上書きといった手法が強調され、潜在意識に根付いた自己否定に焦点を当て、この自己否定の構えこそが苦しみの元凶であることを気付かせることに対しては重点を置いていない。
だから気付いていないのにワークをやるから何度繰り返しても効果が出ないのも当然と言える。
仮に気が付くことが出来たとしてもその自己否定の構えや自動回路を変えていくことが並大抵のことではないことはすでに述べた通りである。
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NLPで対人恐怖症は改善されるのか(6)

2023-08-27 00:13:08 | 心理
B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

Ⅱ 恐怖感情の肯定 過去から現在までの生き様の肯定

恒常的な恐怖の原因を前回の記事で取り上げた。
常に恐怖を感じることは苦しい。経験した人でないと分からないと言っていい。対人恐怖者の殆ど全ての人が、一刻でも早くこの辛い恐怖を無くして幸福になることを渇望する。
あまりにも辛く苦しいため、藁をもすがるという心境であろう。
そのため精神科で薬を処方してもらったり、速効性を謳う魔法のような心理療法に飛びつく。しかしこの試みはまず失敗に終わる。
何故か。その理由を考えてみたい。

まず最も重要なことは、これらの解決しようとする行動の背景にある動機が、恐怖を憎む、拒否する、排除しようとする点にあることである。
恐怖を無くしたい、消したいと願うことは、今目の前に危険があろうがなかろうがまさに恐怖を感じているありのままの実際の自分を否定していることと同じことなのである。
「こんなお前では物凄く嫌だ。早く目の前から消えろ。いなくなってしまえ。」と言っているのに等しいのである。
そうすると、その否定されたありのままの実際の自分は、恐怖を感じている自分を理解してもらおうとますます激しく抵抗してくるのではないだろうか。痛みを分かってもらおうと泣き叫ぶ小さな子供に、「そんなことくらいで泣くな」、と言うとますます激しく泣き叫ぶのと同じことなのだ。
このジレンマに気付かず、恐怖を無くすという視点、動機で解決しようとしている限り、一生、苦しみ続けることになるであろう。

このジレンマを解決するためには、前回の記事に書いたように、この苦しみを持つに至った自らの生き様を受容し、いたわり、肯定してあげる以外に方法は無い。
ボロボロに傷ついた自分を、「辛かったね、怖かったね」、とその自分が本当に望んでいることを言ってあげるのである。
これは本当の気持ちでないと通じない。
心理学に本に書いてあったから試してみた、といったような、実は恐怖を無くしたいという本当の動機が隠されていたとしたら上手く行かない。
しかし、自分の今までの生き様を振り返り、その壮絶さが真に理解できたならば、恐怖を無くそうという、気持ちは起きなくなると思う。
逆に、恐怖のままでいいんだ、という心境になるのではないだろうか。これだけ恐ろしい体験をしたんだから、24時間、誰に対して恐怖を感じて当たり前なんだ、当然のことなんだ、という感じ方に変わるのではないかと思う。

また、恐怖があると人から変に思われる、嫌われる、相手にしてもらえない、という感じ方にも注目する。意識していても、意識できていなかったとしても、この感じ方に常に支配されていると、苦しみから抜け出すことは出来ない。
意外に、対人恐怖症の人に対し、殆どの人が何とも思っていないのである。もしかすると気の毒だと思ってくれる優しい人もいるのである。
極く稀に、対人恐怖を奇異に思ったり、馬鹿にする人がいるが、そのような人は間違いなく心の病んだ人なのである。そのような人は対人恐怖症者でなくても人を馬鹿にすることで、かろうじて心のバランスを維持して生きようとする後ろ向きのつまらない弱い人間に過ぎないのである。

「対人恐怖は自分の人格とは無関係だ。単に外に現れている反応に過ぎない」、「対人恐怖で何が悪い」、「俺は対人恐怖でもいい。今までの人生で対人恐怖になるべくしてなってしまったのだ。そういう自分を今すぐに変えようと思っても出来ない。もうこれで生きていくしかない」、といった感じ方をしてみて欲しい。
恐怖は感じていても、同時で別の感情として、何か「地についたような安心感」ような感情が起きてくるはずである。
恐怖があったら人は受け入れてくれない、馬鹿にされると思って、必死に恐怖を克服しようするふるまいを続けているときに感じる避けがたい大きな不安感とは天と地ほどの差があることに気が付くに違いない。
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NLPによって対人恐怖症は改善されるのか(5)

2023-08-25 22:09:16 | 心理
(前回からの続き)

では、回復不能と思えるような対人恐怖症を改善するためには具体的にどうしたらよいのか。
大きく分けて2つの原因に対するアプローチを考えてみる。

A.全ての人間を敵と認識し、それを信念としたことによる恐怖の解決に向けて
B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

AとB、それぞれ単独では解決出来ない。互いに連動している。順序としてはBが先だと考える。
まず、Bを解決するためにどうしたらいのか、自分の体験から考察してみた。思いつくままに挙げてみたので整理されていないが、後で何か気付きが得られたら随時補足、整理していきたい。

B. 自己否定と強迫的衝動を原因とする恐怖の解決に向けて

Ⅰ 今の心の状態のモニタリング、恐怖を感じるようになったプロセスと原因の考察

まず始めに最も重要なのは、自分の心が、今、どうなっているかに気が付くこと、そしてこのような状態になってしまった経緯や原因を出来る限り考えてみる。

①無意識のうちに自己否定していることの意識化
 特に、幼少期に下記のような傾向がなかったか、内観してみる。
・ありのままの(不完全な)自分に対し罪の意識を持たなかったか。
・自分は価値がないといつも感じていなかったか。
・自分が悪くないのに、反射的に悪いと受け止める傾向がなかったか。
・自分のしたいこと、言いたいことにブレーキがかかっていなかったか。
・自分のやること言うこと全てにおいて、他人から責められるのではないか、馬鹿にされるのではないかという感じを持っていなかったか。
そして、現在もこのような傾向を継続していないか、自分の心の状態を観察してみる。

②自己否定した結果出来上がった自分の特性(下記)を嫌っていないか、憎んでいないか。
・頼りない、行動力の無い自分
・人と楽しくコミュニケーション出来ない自分
・傷つきやすい、弱い自分
・うまく話せない自分
・暗く悲観的な自分
・冗談も言えない真面目な自分
・友だちや恋人のいない孤独な自分
・結婚していない、家族を持てない自分
・反応がにぶく、動作の遅い自分
・怒りやすい自分
・やる気のない、だらしのない自分
・すぐ逃げようとする自分
・周囲から相手にされない(と思っている)自分

③②の自己否定して出来上がった自分を他人から攻撃(責められたり、馬鹿にされる)される恐怖を感じていないか。
・恐怖の度合はどのくらいか(不安というレベルか、まともに意識上で感じると「ギャー」と叫んで気絶してしまうほどの強さか)
・ある特定の場面(人と対面している時だけなど)だけ感じるのか、寝ていても24時間、どんな場所、場面でも感じているのか。
・恐怖の中でも、とくに強く感じるのはどのような場合、場面か。
・ある特定の人に対する恐怖か、周りの人全てから攻撃される、無視される、仲間外れにされる恐怖か。
・恐怖は体のどこに現れているか。そしてその体の反応の強さの度合はどの程度か(胸がしめつけられる。体のある部分が粉々に砕け散るのではないかと感じるほどの圧力を感じるなど。)

④自己否定して出来上がった自分を他人からの攻撃から守るために、③の恐怖を動機として、強迫的な行動や考え方をしていないか。また自己否定して傷ついた心を補償するための行動をとっていないか。
・立派で優秀な人間を演じる、なろうとする。
・明るいキャラクターを演じる、なろうとする。
・よくおしゃべりする人を演じる、なろうとする。
・強い人間を見せるために虚勢を張る。
・優しい親切な人間を演じる、なろうとする。
・たくさん友だちがいることを自分にも他人にも誇示しようとする。
・怒らない穏やかな人間を演じる、なろうとする。
・人格者になろうとする。
・1秒でも速い速度で物事を成し遂げようとする。
・~すべき、~しなければならない、の暴君になる
・物知りになろうとする(話題豊富な人になろうとする)。
・多くの人から賞賛されようとする。
・マウントを取ろうとする。
・競争しようとする。
・役員まで出世して見返そうとする。
・同時に複数のことをしようとする。
・怠けている人、楽をしている人、弱々しい人を見ると責めたくなる。

⑤④の強迫的行動、衝動がどの程度の強さで、意識下でコントロールできるものなのか。
・反射的に強迫的行動をしてしまう。(意識上で制御できない)
・常に急いている。
・待てない。
・電車が遅れる、なかなか発車しない、遅い人が前にいるとイライラする。
・完璧に物事が運ばれないと腹が立つ。
・常に何かをしていないではいられない。
・体の方が勝手に動いてしまう。
・自分の意思ではなく、何か別の力によって突き動かされているような感覚がある。
・休むことが出来ない。

⑥①~⑤の結果、今の自分の心の状態はどのようになっているのか。客観的にモニタリングする。
・原因が分からないけど心が苦しい。
・心がぐるんぐるん回っているような感じがする。
・自分が無い感覚がする。
・周りの人の幸せそうな光景を見ると、心が張り裂けそうになる。
・人の顔を見れない。
・眠れない。
・食べれない。
・砂漠の中をさまよっている感じがする。
・わけもなく泣きたくなる。
・恐ろしいほどの孤独感を感じる。
・誰とも会いたくなくなる。
・生きている感覚が無くなる。
・仕事が出来なくなる。
・人の話す声が聞こえなくなる。
・電話の相手の声が聞こえなくなる。
・人と会話が出来なくなる。
・前を見て歩けなくなる。
・自分の目の前(50cm以内)しか視界がなくなる。
・もがくように心が苦しい。
・死ぬ衝動にかられる。
・死ぬ方法を考えるようになる。


Ⅱ 恐怖感情の肯定 過去から現在までの生き様の肯定

Ⅲ 自分を攻撃した人間の正体(現実の姿)の理解

これらについては次回記事にします。
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