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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

東北・牡鹿半島ローカル線の旅

2022-01-21 23:20:10 | 旅行
この年末年始、実家に1年ぶりに帰省したが、いつもの飛行機ではなく、列車の旅を兼ねて北海道まで行くことにした。

【ルート】
12月28日
関東某所⇒仙台⇒石巻⇒女川⇒前谷地⇒気仙沼(宿泊)
12月29日
気仙沼⇒一ノ関⇒盛岡⇒新函館北斗⇒北海道某所

以下、小旅行の記録である。

12月28日

5:58発、自宅最寄のバス停からJR某駅に向かう。
通勤時に利用するのと同じ時刻のバスだ。
JR某駅、6:25発普通列車に乗車、関東某駅着。
30分以上時間があるので、明日の北海道内特急の指定席券を購入した。
自動販売機では買えなかったので、みどりの窓口で直接購入。2,960円。
窓口は空いていた。しかし新幹線改札口を出ると、帰省客らしき人々が大勢いた。
あとスノボを背負った若者たちの姿も多く見かけた。もうコロナ前と同じくらいの混雑さだ。
待合室で時間をつぶす。

7:33、はやぶさ3号、新青森行きに乗車。







列車内は意外に空いていた。外は晴天だ。気持ちのいい冬の日の朝日。
旅はこれだからいい。昨日は4時間くらいしか寝ていない。その前の日もそうだ。
昨日は寝る前にコーヒーとビールを飲んだからトイレに3回も起きてしまった。だから余計寝不足だ。
しかし頭は冴えている。

仙台まで約1時間。あっという間だ。
仙台から先、石巻か女川のどちらで時間を長く過ごそうか。
スマホで両町の情報を調べる。女川の方が何となく良さそうだ。
魚介類の何かおいしいものでも食べることにしよう。
仙台方面の天気はどうなのだろう。今日の朝刊の天気予報では晴れマークだったが、テレビの天気予報では雪マークだった。
栃木あたりの田んぼは一面、霜が降りているように見えた。

そうだ。CDプレーヤーに、さっき駅で買った電池を入れておこう。これでチャイコの「悲愴」を聴くのだ。
これで旅情気分は倍化だ。
ふと車窓を見たら雪景色に変わっていた。場所はどこだろう。福島あたりか。
トンネルに入ると圧力で耳が痛くなる。

8:25、福島駅通過。かなり雪が積もっている。雪も降っているようだ。
仙台駅からの乗り換えは大丈夫だろうか。
しかし大きなトンネルを抜けると晴れだった。何という変わりよう。仙台の天候はそう悪くないに違いない。場所によってだいぶ違うものだ。

8:40、仙台着。
次の列車の乗り換えまでわずか。
新幹線改札を出て在来線の切符を買おうとしたが、販売機が混んでいる。
仕方ない。改札がスイカ対応だったのでスイカで入る。
エスカレーターを降りて、仙石線に乗り換える。





8:55発、高城町行き普通列車に乗車。電車だ。
陸前〇〇(メモ見逃す)までは地下を走行する。
地上に出ると晴れ、しかし雪はだいぶ積もっている。
同じ車両内に、半ズボンの小学生がいた。またミニスカートで素肌の中学生もいた。
この寒さなのに!。いったいどういう温度感覚なのだ。自分はタイツまで履いているというのに。

途中、今日気仙沼で再会する講習会で親しくなった宮城県在住の友人が住んでいる町の付近を通る。
神社が見える。
本塩釜から海が見えてきた。東塩釜から雪がちらついてきた。
今日は1日雪か?。天気予報はあまりあてにならない。
ホームでの停車時間は長めだ。ドアは開いたままなので寒い。
「陸前」で始まる駅がけっこうある。
海に小さな島がいくつか浮かんでいた。

陸前浜田に着くと雪がかなり降ってきた。女川では外に長くいられないだろう。
屋内で時間をつぶす所を見つけなければならない。
松島海岸駅で多くの乗客が降りた。観光客風だ。この寒いのに海岸を歩くというのか?。
松島と言えば日本三景の1つだったっけ?。

9:40、高城町着。



駅改札を出てトイレに急行。外はめちゃくちゃ寒く、雪がちらつく。
9:49発、石巻行きの快速、ディーゼル6両編成に乗り換える。





ここからは景色がかなり田舎となる。
右手に海が見えてきた。この路線は海沿いを走るようだ。
ディーゼルカー特有のエンジン音が響き渡る。ああ、最高にいい気分だ。
東松島を過ぎると少し晴れてきた。今日は天候が安定しない。
先日行ってきた山陰地方と違い、山は無い。ひたすら平地を走っていく。
田んぼと住宅地がほとんどで、工場のような大きな建物は無い。

10:14,定刻に石巻駅に到着。



一旦改札を出る。結構大きな町だ。
ここで女川行きに乗り換えるが、掲示板を見ると女川行きは9:33となっている。これはおかしい。
たまたまそばにいた女性車掌に聞いてみたら遅れているとのこと。
すると丁度その遅れている列車がホームに入ってきた。2両編成のディーゼルカー(単線)だ。



この駅で切符を買った(330円)。10:36発車とのこと。事前に調べた時刻と同じ発車時刻だ。
女川行きは昨日からの大雪の影響で大幅に遅れているとの車内アナウンスがあった。
しかし今は雪は止み、晴れていた。

10:36発車。
「女川」を何と読むか。最初、「めかわ」と読むものだと思っていたが「おながわ」が正解だった。
石巻を出た頃には晴天に変わっていた。気温も上がってくることだろう。
朝早くから行動しているせいか、午前中がいつもより何倍も長く感じる。
普段の休日も夜更かしをしないで早寝早起きの方が健康で充実した時間を過ごすのが本当はいいのかもしれない。
大きな川を渡る。川の面に日光が反射してきらきら光っている。
晴天、実に気持ちのいい1日だ。
コーヒーのせいだろうか、トイレが近い。利尿作用が強いのであろう。だから乾燥肌になったに違いない。コーヒーをたくさん飲むようになってからだ。かゆくて夜も眠れない。

車内で写真を撮ることは避けよう。
あの津山行きワンマンカーでのトラウマ体験の二の舞は踏みたくない。
写真の代わりに録音するのがいいかもしれない。
車窓から見える住宅の多くが新しい。震災の後で再建されたのであろう。
「渡波(わたのは)」という駅で大量の客が降りた。
客が運転士に訊ねごとをしていた。この運転士は温厚のようだ。あの津山のヤツとは大違いだ。
やはりディーゼルカーの音はいい。車もそうだけど。
車窓からは海は見えない。
けっこう住宅が多い。どんな産業で生計を立てているのか。
万国浦、沢田を過ぎたら右手に海が見えてきた。何かの養殖をしているようだ。
海岸線は山で囲まれている。のどかだ。思わず安堵のためいきが出てくる。
海で浮きがたくさん浮いていた。

(次回に続く)
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山陰・山陽・大和地方小旅行記(9)

2022-01-15 21:43:55 | 旅行
(12月26日付け記事からの続き)

南大門に戻っていよいよ法隆寺に入る。





寺社には特段関心があるわけではない。御朱印帳への記帳もしない。
こういう参拝という行為はあまり好きではないけれど、訪れたのであれば「してみるか」という感じだ。

南大門を出てしばらく歩くと「西院伽藍」というメインの建物が集まった(?メモ判読不能)所に着く。
そこで参拝料1,500円払い中に入る。ちょっと高いが、払って中を見学する方が絶対お勧め。





私は木材に多少関心があるので、古い歴史的建造物に使われた木材を見たり、触れたり(許可されているもののみ)するのが好きだ。









金堂、五重塔、大講堂、上御堂と回る大〇〇(?メモ判読不能)だったと思うが、小さな売店があり、ガイドブック、資料、写真、お守り、仏像のミニチュアなどが販売されていた。
写真集とハンドブックを買う(1,500円)。















今日の天気予報は10時から雨だったが、晴れてきて真夏に近い暑さで汗だくになってきた。
水を飲んでいなかったので熱中症になるのではないかと心配になってきた。だんだんと水が飲みたくなってきた。
しかし自動販売機がなかなか見つからない。
途中、休憩所があったのでそこでミネラルヲーターを買って一気飲みする(飲み終わった後の至福感!)。
その後ちょっと離れた所にある夢殿という建物に行く。中にはちょっとしか入れない。





この夢殿を出たとき、突然、〇〇(?メモ判読不能)のものが頭を直撃した。
一瞬カラスのフンではないかと嫌な予感がよぎったが、直撃したものは水であった。
大粒の雨が降ってきたようだ。傘を持ってきてよかった。
傘を用意してこなかった人たちもいた。
そのうち雨脚は激しくなり、スコールのような大雨になった。
靴がびしょ濡れになり、案内所まで戻ろうとしたが、もうこれ以上外にいられなくなった。
丁度すぐそばにレストランがあったのでそこに入ることにした。
昼食時でもありタイミングもちょうどよかった。

斑鳩名物だという竜田揚げ定食をたのんだ。ちょっと高かったが。このくらいの贅沢はいいだろう。
(竜田揚げと斑鳩との因果関係は果たして何だ?)
竜田揚げ定食がやって来たのでさっそく見て見たら、竜田揚げは普通の竜田揚げだった。
なーんだ、ちょっとがっかり。でも肉は柔らかかった(いい肉を使っている?)。

竜田揚げを食べているうちに大雨はうそのように止んでしまった。さっきのスコールは何だったのか。
この後、聖徳会館という所に行ってみようと思い、地図を頼りに近くまできたが、何度も入り口を探したが分からない。どうやら入れないようだ。
ここは一般客には普段開放していないようだ。残念。
あとは法起寺という寺が地図にあるが、かなり距離がありそうなのでそこえ行くのは止めることにした。
3時間あれば食事時間含めてゆっくり回れるくらいのエリアであろうか。







奈良時代、飛鳥時代の国宝や重要文化財を展示しているということもあるが、観光地といった雰囲気は殆どなかった。
またお参りするといった所でもないような感じだった。
そう、ここは国の歴史を触れに行く所なのだ。とくに聖徳太子の生涯を知る上で貴重な文化財や資料が公開されているのである。
昨年同じ時期に長野の善光寺を訪れた時と全然雰囲気が違っていた。今回の法隆寺の方が私にはいいいもの(あまり金儲けのための観光地化されていないという意味で)が感じられた。

帰りの新幹線でハンドブックを読むことにした。
法隆寺駅までの雨上がりの日照りの道は蒸し暑く、真夏を思わせ半袖でもいいくらいの気温であった。
大量の汗がねっとりとズボンにくっつくのを感じながら駅に向かって歩いた。
ヤフーの路線情報で東京までの時刻を調べ、新大阪発15:57ののぞみ234号で帰路についた。





【補足】

現在、歴史上誰もが知っている有名な人物で、存在を抹殺されようとしている人物がいる。その人物とは「聖徳太子」である。
聖徳太子が歴史上重要だと言われる所以は、聖徳太子こそが「日本国」を始めた人物であるからだとされている。

聖徳太子の行ったこととしてよく知られているのは以下のことだ。

・日本初の憲法(十七条憲法、604年)を明示した。
・遣隋使の派遣により、独立した日本国を示す(607年。書状を渡し、対等に外交を行う姿勢を示す)。
・仏教の布教に努めた。
・法隆寺を建立した(607年)

聖徳太子が存在しなかったとする説の根拠として、現存する法隆寺が670年以降に建てられたものであるから、聖徳太子はあくまで「虚構の存在」だとするものがあるらしい。(法隆寺再建説)

しかし2001年2月、奈良文化財研究所法隆寺五重塔の檜の心柱を年輪年代法で測定したところ、伐採年が594年でありことが確認された。

また1878年に法隆寺から皇室に献上された「法華経義疏」(現存)には太子直筆の見解が随所に書き込まれていること。

これらの事実から聖徳太子が実在したとする見解も多く聞かれる。

教科書においても聖徳太子の読み方ではなく「厩戸皇子」や「厩戸王」の後のカッコ書きで示されるようになってきているという。
このような動きに真っ向から反論する書籍として、「聖徳太子 本当は何がすごいのか」(東北大学名誉教授 田中英道著 育鵬社刊)があり、この本に聖徳太子の存在にかかわる様々な説が解説されているので興味深い。


昨年10月に開催された社会人マンドリンクラブの定期演奏会で演奏された「斑鳩組曲」の練習をきっかけに、斑鳩の里や聖徳太子に関心を持ち、書籍を読んだり現地にも行ってみた。
音楽作品を介してこのような興味、関心が生まれて来たことは自分にとっては意外ではあったが、音楽を楽しみ方の幅は広がったことを実感している。
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山陰・山陽・大和地方小旅行記(8)

2021-12-26 22:21:46 | 旅行
(12月24日の記事からの続き)

9月22日(水)
5:30起床。外を見ると路面は濡れていたが、雨は降っていないようだ。
予定の時間より早く出ることにした。
広畑駅に着くと、運よく待ち時間無しで電車が来た。
飾麿で姫路方面の電車に乗り換えるために下車。
向かい側のホームに人がたくさん並んでいたので、このホームで乗り換えの列車を待つことにした。
しばらくして電車到着、乗車。
2,3駅を過ぎると姫路駅に着くはずだ。何駅か過ぎたところで異変に気付いた。
結構時間が経過しているのに、いっこうに姫路に着かないのだ。
これはなんかおかしいと思って路線図をスマホで調べたら、何と反対方向の三宮、梅田方面の電車に乗ってしまっていたことが判明。仕方がないので高砂という駅で降りて引き返すことにした。
これだから、普段から用意周到に細部にわたって綿密な計画性を持って行動するという習慣を身に着けていないからこういうことになるのだ。
姫路よりも三宮や梅田の方が大都市だったのだ。だからこっち方面行きのホームにたくさん人が並んでいたのである。めんどうくさがって感覚で決めるという普段の習性が見事に間違いという成果を生みだした。

今日の訪問地、法隆寺までの時間を再検索すると計画に対して15分遅れとなる。それでも15分短縮できたから良しとしよう。
失敗を取り戻そうとやっきになって、山陽姫路駅からJR姫路駅まで小走りで向かい(そんなに急ぐこともないのに!)、切符は買わずにスイカで改札に入り、7:35発野洲行きの快速列車に乗った。次は大阪で乗り換えだ。
通勤時間帯のためか人が多い。しかし座席には座れた。

大阪まで疲れと睡眠不足のせいか居眠りをする。大阪で下車。
通勤時間帯を過ぎているが、まだかなりの人手だ。新今宮方面の列車に乗り換える。
新今宮で奈良方面の大和路線に乗り換え、法隆寺で降りる。
列車の窓から見ると、外は陽射しが出てきたがこの時間のみで、10時過ぎからは雨となる予報だ。

9:51、法隆寺駅に着く。有名な法隆寺ということもあり観光地らしい大きな駅を思い描いていたが、意外に小さな駅だった。
スイカで改札を出られたのは良かった。改札を出てすぐ左に小さな観光案内所があったので、そこでマップをもらい、法隆寺までの道順を教えてもらう。
コインロッカーの場所を訊ねると、なんと改札の中だと!。駅員に言えば改札内に入れるとのことで改札に行ったら案の定駅員はいない。
インターホンがあったのでベルを押して呼び出したところ、ちょうど駅員が戻ってきたところだった。
改札を通してもらい、ロッカーに荷物を入れ、財布の中から小銭を探したら何と100円玉が足りない。
スイカが使えない古いタイプのロッカーで函数も少ない。これは意外だ。法隆寺は世界的観光地ではなかったのか。
仕方ないので駅員に言って500円玉を崩してもらう。再びロッカーに戻り荷物を預け、必要なものだけを小さなバックに詰め込み、改札を出た。幸い雨は降っていなかった。

駅を出ると駅前は意外に閑散としていて車や人の往来はほとんど無い。民家や小さな商店が立ち並んでいるような町並みだ。
観光地という感じは全くしない。少し歩くと交通量の多い通りに出たが、この道を真っすぐ行って左に曲がってまもなくの所に法隆寺があり、徒歩で約20分かかるとのことだった。
この大きな通りも観光地という感じは全く無く、普通の町並みだ。想像していたイメージとかなり異なる。

20分程歩いて法隆寺の参道の手前に大きな観光案内所があったので、そこでパンフレットやマップをもらってルートを確認する。
参道を歩くと両側にレストラン、土産物屋、宿が立ち並ぶがその数は少ない。
大型のレストランが2軒あったが、いずれも営業していなかった。
1フロア何百人も入れるような大きなレストランだったが、電気は付いておらず、暗く、かなり寂れていた。建物や設備の老朽化からするとコロナ禍だから営業していない、という感じはしなかった。

今日は祭日と祭日の間なので観光客は少なかった。
外国人も含めもっと大勢の人が来ているかと思ったが、考えてみると未だ緊急事態宣言中なのだ。少ないのが当然であろう(なんと能天気なのだろう)。

南大門に入る前に藤ノ木古墳に行ってみることにした。
ここまでは普通の民家の立ち並ぶ所を歩く。法隆寺のすぐそばに民家があり、民家と民家の間には田んぼや畑も多い。
民家は古い造りもあれば新しいものも混在しているが、それにしても国際的に有名な観光地のすぐそばにこんな普通の景観が広がっているとは全く予想していなかった。







藤ノ木古墳は古墳といってもそんな大きなものではなく、小さな円い、土を盛ったような形状のもので、1か所扉があって中を覗くことができた。





石棺(?、字が汚くて判読不能)が見えた。
古墳のあとは斑鳩文化財センターに行ってみたが、今日は定休日だった。
南大門に向かって進んでいくと昨日までローカル線に乗っているときに車窓からいたる所で見かけた、あの朱色の花が咲いていたので近くで撮影することにした。



この朱色の花は何というのか。今が丁度お彼岸の頃だから「彼岸花」に違いない。
関東ではなかなか見かけない。関西では至るとこで咲いているようだ。
八村義夫のピアノ曲「彼岸花の幻想」が頭に浮かんでくる。
春秋社から出ているこどものためのピアノ曲集に、1曲のみ、こどもが絶対弾くことはありえない浮いた曲があった。それが八村義夫の「彼岸花の幻想」だ。
恐ろしく暗く不気味で難解で激しいピアノ独奏曲だ。
八村義夫はこの朱色の花を見てどのようなインスピレーションを感じたのか。

(次回に続く)
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山陰・山陽・大和地方小旅行記(7)

2021-12-24 21:01:25 | 旅行
(12月12日付け記事からの続き)

佐用駅で14:36発、播磨新宮行きの1両編成ワンマンカー(ディーゼル)に乗る。乗客はまばらだった。
15:05,播磨新宮着。ホームの向かい側に停車していた15:07発、姫路行き2両編成ワンマンカー(ディーゼル)に乗り換える。



今日はずっと晴天に恵まれ、絶好の鉄道日和だ。
昨夜起きた例の忌まわしい出来事も殆ど記憶から遠ざかっていた。

15:37、姫路着。けっこう大きな駅だ。
駅の改札を出た所のすぐ近くにある土産物屋で、姫路で最も古い酒蔵だという「八重垣(やえがき)」という純米酒、300ml入り瓶を買う。
駅の外に出て銀行に向かう。人手は多い。結構都会だ。
JR姫路駅近くのデパートと直結した山陽電鉄に乗る。



飾麿駅で乗り換え、広畑駅で降りる。意外に小さな駅。
改札を出て今日の宿への道順を確認するが、なかなか見つからない。
ようやくそれらしき道を見つけ、徒歩3分のところにあるビジネス旅館に入る。

6畳の和室で、部屋にトイレ・バスの無い部屋を予約していたが、宿のおかみさんが親切にもサービスでバス・トイレ付の部屋に変更してくれた(料金は変わらず)。





宿の近くにどこか食べる所はないか訊いてみたら、いくつか店を教えてくれた。
その中の1つ、はなまるうどんに行くことにした。
部屋に荷物を置く。
部屋はわりに広く、綺麗だった。畳は青々している。
日が暮れないうちにはなまるうどんに向かった。

はなまるうどんで、かきあげ+なす天+ぶっかけ+たまご+ライスを注文した。
勘定したら、意外にも千円近くになってしまった。
なるほど、こういう具を選んでバイキング形式で注文すると、料金があらかじめ分からないから勘定のときにびっくりする程の値段になってしまうというわけだ。上手く考えたもんだ。

はなまるうどんを出たらもう日が暮れていた。
宿に着いて、姫路駅で買った八重垣を飲む。



静かだ。
そうだ、智頭で買った「ひょうたん杉」を見てみよう。
袋からひょうたん杉を取り出して、畳の上に置いてみる。









色がいい。年輪の模様の具合もいい。誰が作ったのか。職人か素人か。
誰が作ったにしても気に入った。ずっしりと重い。セーム皮で磨くともっとつやが出るだろう。

バスはユニットバスだった。
カーテンは綺麗だった。
昔、盛岡で泊まったビジネスホテル(受付がひどく不愛想なじいいさんだった。今でも憶えている)のユニットバスのビニールカーテンが黒カビだらけだったのを思い出す。

明日は早い。今日は早く寝ることにしよう。
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山陰・山陽・大和地方小旅行記(6)

2021-12-12 22:46:47 | 旅行
(12月5日の記事からの続き)

9:41総社駅着。
ここから桃太郎線(吉備線)、岡山行9:58発に乗り換える。
2両編成のワンマンカー、ディーゼル、総オレンジ色だ。





車内放送やホーム表示板では、桃太郎線という名前でのアナウンスで「吉備線」とは言わない。
単線なので次の駅(東総社)で早くも列車待ち合わせ。

10:35、岡山着。30分ほどの待ち合わせ。改札わきのパン屋でコーヒーを飲む。
11:10発、津山線、津山行き快速「ことぶき」、2両編成ディーゼルのワンマンカーに乗車する。
総オレンジ色の古い車両だ。単線。



2駅目を過ぎたあたりから上り坂となり、右側が渓谷、左側が山となり景色が変化する。
列車のスピードもかなり落ちている。
こういう路線はまず電化は出来ない。しばらくはディーゼルカーが残るだろう。だがいつかは充電式の電車に置き換わっていくのかもしれない。
(そのときは、あの独特のディーゼルカーのエンジン音は聴けなくなってしまう。寂しいものだ)

この路線も含めて、今回乗った沿線及び車窓から見た家屋の「特徴」を列挙してみよう。

・屋根は瓦葺。
・家の壁は短冊状の黒い板(木材)かトタン製。
・壁に、〇の中に「寿」の文字が入ったマークが描かれた家が結構ある。
・石垣を積み重ねた土台上に建設した家も結構見かける。
・蔵を持っている。
・玄関の戸は引き戸。
・窓枠が木製の家も結構多い。

とにかく昔ながらの造りの家が多い。
疲れのせいか、居眠りをする。
12:17に津山着のところ2分くらい遅れる。急いで12:22発の佐用行き、1両編成のワンマンカー(ディーゼルカー)に乗る。乗り換えの列車は十分待っていてくれた。



乗客は少ない。
このときふと、嫌な予感が頭をよぎった。
昨日、智頭→津山間のワンマンカーに乗車した際に、恐ろしい形相で私を罵倒してきて心的外傷を被ったあの運転手がまさかこのワンマンカーの運転手として乗車しているのではないかという不安が蘇ってきたのだ。
前方にいる運転手を恐る恐る観察したが、あの運転手ではなさそうだった。

この路線は姫新線の津山→佐用間となる。
因美線や津山線ほどローカルな感じはしない。
どこまでものどかな風景が続く。快晴。
こののどかさがいつまでも続くといいなと思った。

13:17、佐用着。





次の列車まで1時間20分程ある。ここで昼飯を食べることにした。
あらかじめスマホで調べておいたが、駅前のマップで駅から近そうな店として、「一平」というホルモン焼きうどんの店に行ってみることにした。
駅周辺は商店が点在するくらいで、観光するようなところは無い。

一平に入ると店内は真昼なのに暗かった。
客1人がカウンターで水割りかチューハイを飲みながらなべ焼きうどんを食べ、店の女主人と話していた。
一瞬、営業していないのかもしれないと思って、女主人に今の時間営業しているか聞いてみたら、やっているとのこと。
ほっとしてカウンターの一番奥の席に座った。

目の前の貼り紙に、ホルモン焼うどん(この土地の名物か?)があったので、これを注文することにした。
次の列車の時刻に間に合うか不安を感じながら、注文した品が出てくるのを待っているとほどなくして ホルモン焼うどんが出てきた。
鉄板の上の焼うどんにホルモン焼きがいくつか入ったものであった。
ホルンモンが苦手でなければなかなかおいしいうどんだ。

ホルモンは何度噛んでもちぎれないから、消化に悪そうだ。おまけに歯が悪いときたからなおさらだ。
食べ終わってしばらくしてから、女主人が1枚のパンフと分厚い雑記帳のようなものを持って来た。
パンフはスタンプラリーの応募用紙だった。
スタンプ1個でも申し込みできるので良かったら、名前、住所等を書いて行ってはどうかと薦めてくれた。
「この雑記帳はおもしろいでしょう」と女主人がうれしそうに言った。
何冊ものノート重ね合わせ、表紙はお手製の布張りにしたものだった。
膨大な量のかつてこの店を訪れた客のコメントが書かれていた。
あとは古い新聞記事の切り抜き(新聞でこの店が紹介されたようだ)が貼り付けてあった。

「どこから来たの?」と女主人は言った。
「〇〇から来ました」と答えたら、「ガクトが出ている映画が〇〇だったね」と女主人は言う。
ガクトのことが分からなかった私は、「ガクトって、あの戦争時代の学徒のことですか?」と聞いたら笑われてしまった。ガクトとは音楽のグループらしい。
「そういう方向は全く疎いんです」と返した。

スタンプラリーの応募用紙に必要事項を記入し、女主人に渡して勘定を済ませると、アメを何個かくれた。「かわいいアメでしょう」と言う。
「旅行ですか?」と聞かれたので、「ローカル線の旅をしています」と答えたら、知人からもらったという「鉄道ジャーナル」を見せてくれた。
「しかしこの地方はディーゼルカーが多いですね」と聞くと、「そう、昔ながらのディーゼルカーがこの土地らしいところなの」。
すると私以外にもう一人いた老人の男性客が初めて私に話かけてきた。
「帽子とか鉄道に関する物を集めているのか」と訊いてきた。
「いやグッツはやりません。ただいろんな路線を乗って楽しむだけです」と答えた。
その客は昔、国鉄職員だったという。切符切りのハサミを今でも持っているのだそうだ。
意外にこの客の目が優しかったのに驚いた。

小さな町ということもこともあるのだと思うが、とにかく庶民的で素朴な人たちという感じがした。
観光地では無いのでよそ行きのふるまいではないだろう。

女主人にお礼を言って店を出て、昼下がりの強い陽射しを浴びながら、からっとした暑さの、のどかな静かな街並みを満足感に浸りながら駅に向かった。
こんなのんびりしていると、毎日退屈してしまうのではないか。まあ田舎は大概そうなのかもしれないが。



(次回に続く)
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