チャイコフスキーの「悲愴」の鑑賞再会を12月上旬から始めて1か月半。
その間90種類ほどの演奏をCDやレコードなどで聴いた。
演奏者である指揮者の数も膨大だが、今まで交響曲など殆ど聴いてこなかったからさまざまな指揮者に触れることは未知の領域に踏み込んだようで、また新たな楽しみが増えた感じがして嬉しい。
数多くの録音を一通り聴いてまずは心に何かしらのインパクトのあった演奏を、鑑賞リストで黄色でマークしておいた。
その中でも最初に聴いたときはそれほど大きな衝撃というものは感じられなかったが、2回目に注意深く聴いたら、凄いと感じられる
演奏が出てきた。
ジュゼッペ・シノーポリ指揮、フィルハーモニア管弦楽団。

もう少し幅を拡げて聴いてみないと断言できないが、はっきり言ってこの指揮者は凄い。
うわべだけで聴くとさらっとした感じで流れてしまうが、神経を集中してアンテナを高感度にして聴いてみると、物凄く深く、繊細な感情が滲み出ていることがわかる。
根底に人間的なやさしい感情が放出されていることがわかる。あの悲痛な第4楽章であっても。
ジュゼッペ・シノーポリのことを調べてみた。
ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946年11月2日 - 2001年4月20日)は、イタリア人指揮者・作曲家。
パドヴァ大学で心理学と脳外科を学ぶと同時に、マルチェルロ音楽院で作曲を専攻する。
1975年、現代音楽の演奏を目的として師の名を冠したブルーノ・マデルナ・アンサンブルを設立、指揮者としてのデビューを飾る。
(あのシュトックハウゼンに師事したという)
上述のような経歴(死の直前には考古学の博士号も取得)から、インテリ指揮者としての側面がクローズアップされ、衒学的で音楽解釈に精神医学的観点の援用を示唆する言動やシノーポリの異色の音楽解釈は、熱烈な崇拝と批判を同時に呼び起こした。
1984年にフィルハーモニア管弦楽団、1992年にシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者になり、後者のポストは最後まで在任していた。オペラ指揮者としては、1990年にベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任予定だったが、直前に辞退。また2002年よりザクセン州立歌劇場の音楽総監督に就任予定だったが、死去により果たせなかった。
(以上、ウィキペディアより抜粋)
若くして死去した理由は書かれていなかったが、さらに調べてみると壮絶な最期を遂げたことがわかった。
http://bungeikan.jp/domestic/detail/934/
オペラなどの演奏が多かったようだが、「悲愴」のような難解な人間ドラマをテーマにしたような音楽でも、本領を発揮していると感じた。
「悲愴」のような曲は、いわゆる成功者とか、幸福な人生を送った人間とは無縁の、次元の異なる生き様を経験した人でないとなかなか本質的なものは理解しがたい要素を多分に含んでいると思われる。
シノーポリという人物は、エリート、華麗とも言える経歴の持ち主だったようだが、私が感じるには精神的には相当悩み苦しんだ人生を送ってきたように直感的にはあるが感じるのである。でなければ上記の録音のような演奏は出来ない。
音楽の演奏というのは、演奏者がどういう人間なのか、どういう人生を送ってきたのか、どういう価値観を大切にしているのか、人間の感情にどれだけ敏感に反応できるのか、といった音楽とはまた別の次元のもの=人間力というとも言うべきものが無意識的に現れるものだと思う。
逆にいうと、音楽の演奏を通して、演奏者がどういう人物なのか、ということが分かるような気がするのである。
その間90種類ほどの演奏をCDやレコードなどで聴いた。
演奏者である指揮者の数も膨大だが、今まで交響曲など殆ど聴いてこなかったからさまざまな指揮者に触れることは未知の領域に踏み込んだようで、また新たな楽しみが増えた感じがして嬉しい。
数多くの録音を一通り聴いてまずは心に何かしらのインパクトのあった演奏を、鑑賞リストで黄色でマークしておいた。
その中でも最初に聴いたときはそれほど大きな衝撃というものは感じられなかったが、2回目に注意深く聴いたら、凄いと感じられる
演奏が出てきた。
ジュゼッペ・シノーポリ指揮、フィルハーモニア管弦楽団。

もう少し幅を拡げて聴いてみないと断言できないが、はっきり言ってこの指揮者は凄い。
うわべだけで聴くとさらっとした感じで流れてしまうが、神経を集中してアンテナを高感度にして聴いてみると、物凄く深く、繊細な感情が滲み出ていることがわかる。
根底に人間的なやさしい感情が放出されていることがわかる。あの悲痛な第4楽章であっても。
ジュゼッペ・シノーポリのことを調べてみた。
ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946年11月2日 - 2001年4月20日)は、イタリア人指揮者・作曲家。
パドヴァ大学で心理学と脳外科を学ぶと同時に、マルチェルロ音楽院で作曲を専攻する。
1975年、現代音楽の演奏を目的として師の名を冠したブルーノ・マデルナ・アンサンブルを設立、指揮者としてのデビューを飾る。
(あのシュトックハウゼンに師事したという)
上述のような経歴(死の直前には考古学の博士号も取得)から、インテリ指揮者としての側面がクローズアップされ、衒学的で音楽解釈に精神医学的観点の援用を示唆する言動やシノーポリの異色の音楽解釈は、熱烈な崇拝と批判を同時に呼び起こした。
1984年にフィルハーモニア管弦楽団、1992年にシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者になり、後者のポストは最後まで在任していた。オペラ指揮者としては、1990年にベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任予定だったが、直前に辞退。また2002年よりザクセン州立歌劇場の音楽総監督に就任予定だったが、死去により果たせなかった。
(以上、ウィキペディアより抜粋)
若くして死去した理由は書かれていなかったが、さらに調べてみると壮絶な最期を遂げたことがわかった。
http://bungeikan.jp/domestic/detail/934/
オペラなどの演奏が多かったようだが、「悲愴」のような難解な人間ドラマをテーマにしたような音楽でも、本領を発揮していると感じた。
「悲愴」のような曲は、いわゆる成功者とか、幸福な人生を送った人間とは無縁の、次元の異なる生き様を経験した人でないとなかなか本質的なものは理解しがたい要素を多分に含んでいると思われる。
シノーポリという人物は、エリート、華麗とも言える経歴の持ち主だったようだが、私が感じるには精神的には相当悩み苦しんだ人生を送ってきたように直感的にはあるが感じるのである。でなければ上記の録音のような演奏は出来ない。
音楽の演奏というのは、演奏者がどういう人間なのか、どういう人生を送ってきたのか、どういう価値観を大切にしているのか、人間の感情にどれだけ敏感に反応できるのか、といった音楽とはまた別の次元のもの=人間力というとも言うべきものが無意識的に現れるものだと思う。
逆にいうと、音楽の演奏を通して、演奏者がどういう人物なのか、ということが分かるような気がするのである。
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