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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

篠笛「青葉の笛」を聴く

2018-04-16 22:32:46 | その他の音楽
五音音階陰旋法の曲で何かいい曲がないかと探していた。
日本の古くからある独自の楽器によるものがいいと思った。
直ぐに思いついたのは「篠笛」。
篠笛による演奏で、いい曲を見つけた。

「青葉の笛」。

作曲 田村虎蔵  (1873~1943)

すごくシンプルであるが、とても心に響く。
日本にしかない音楽。世界中のどこを探ししてもこのような音楽は無い。
こういう音楽を作れた昔の日本人は、素晴らしい感性を持っていたと思う。

篠笛ってすごく心に響いてくる。リコーダーやフルートとは全然違う。
いつかやってみたいと思っていた楽器。
たったひとつの楽器、単一の音でここまで人の気持ちを動かせるのは、楽器と演奏者の気持ちが微塵も乖離すことなく一体となっているからだと思う。

篠笛 青葉の笛
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演奏者不詳「オルフェの歌」を聴く

2018-03-25 21:20:25 | その他の音楽
中学2年生の時に、仲が良かった友達が映画音楽好きでカセットテープに映画音楽のサントラを良く録音していた。
友達の家に遊びにいった時にラジカセから流れる生の音を、私の姉が持っていた粗末なカセットテープレコーダーで録音させてもらった。





鉄道員、マルセリーノの歌、悲しみは星影と共に、道、ある愛の詩、そしてオルフェの歌だった。
このカセットはそれ以来宝物となった。
大学生になっても、超おんぼろアパートで深夜、静寂の中でカセットテープレコーダーを回し、これらの録音を聴くのが無上の楽しみだった。

就職し初ボーナスでミニコンポを買ったが、時代はCD、カセットは聴かなくなった。
数十年経って、このカセットをまた聴きたくなった。
10年前にヤフオクで買った中古のカセットデッキ(TEAC製の立派なやつ)が故障してしまったので、SONYのポータブルカセットプレーヤーを中古で買った。



とくに聴きたかったのは、「オルフェの歌」だった。
ギター1本で奏でられるこの曲の演奏が素晴らしく、中学生で初めて聴いたときは衝撃だった。
以来何度も何度も聴いたが実に素晴らしい。
ボサノバのプレーヤーだと思われるが、本物の演奏だ。こんな演奏は今の時代聴けない。
オリジナルのサウンドトラックではなく、編曲であるが、この編曲がシンプルでありながら一番優れていると思った。
リズムが凄い。クラシックのプレーヤーでは決して出せない。
飽くまでもギター的。ギターの魅力が存分に出ている。

Youtunbeで無いか探してみたが、無かった。
Youtubeで投稿されているのは下記のものを除いては満足のいくものは無かった。
それにしてもこの演奏の奏者は誰なのか。そしてこの演奏の録音は今でもあるのか。
いつか探しだしてみたい。
※非常に音が悪い録音で申し訳ないが、下記にその音源を載せておきます(粗末なカセットでの40年前の録音)。


オルフェの歌(演奏者不詳)


Youtubeで見つけた中で良かったのは下記演奏。

Perry Como and Luiz Bonfa - Manha de Carnaval
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懐かしい! あみん 「待つわ」を聴く

2017-10-29 00:37:47 | その他の音楽
今日の朝刊の付録に1982年9月のヒット曲を紹介する記事が載っていた。
圧倒的トップが、「あみん」の「待つわ」であった。
先ほどYoutubeでこの曲を見つけ、35年ぶりで聴いた。

1982年といえば私が大学生となった頃だ。
18歳で一人暮らしを始めてまもない頃、隣室の住人の部屋からひっきりなしにこの曲が流れていた。
馬鹿の一つ覚えみたいに何度もこの曲を繰り返し流していたから、よっぽどこの曲が好きだったのであろう。
おかげで、歌謡曲など全く興味がなかった私もこの曲を覚えてしまったし、内心、この曲はいい曲だな、と思っていた。

あみんの岡村孝子と加藤晴子も前年の1981年に名古屋の大学に入学したというから同世代だ。
岡村孝子と加藤晴子は入学直後、履修届で偶然に前後の席に座り、岡本さんが話しかけた相手が加藤さんだったという。
共に同じ出身地で意気投合したという。

岡村さんは幼い頃からピアノを習い、音楽教師を目指していたが、高校時代にさだまさしの曲を聴き、シンガー・ソングライターになる夢を抱いた。
自作の曲(待つわ)を加藤さんに聴かせると「すごくいい」と言われ、ポプコンを目指し猛練習、ポプコン本選で見事グランプリを獲得、1982年7月にデビューするとたちまちヒットチャートを駆け上がった。

新聞記事によると、岡村さんが作詞、作曲したこの「待つわ」という曲は、予備校で出会ったボーイフレンドとの遠距離恋愛消えかけた時の心境を謳ったものだと言う。

Youtubeでの演奏を見ていると、普段着のような服を着て、派手な振り付けもせず、黙々と真面目に歌う彼女たちの姿には、「芸能界」というものは全く感じられないし、寄せ付けないものを感じる。

彼女たちの歌う姿には、筋の通った信念のようなものすら伝わってくる。
普通の女子大生が、ただ純粋に自分たちの歌を伝えたい、その気持ちしか感じられないところが新鮮だったし、そのことが多くの若い人たちに受け入れられた。
芸能界で彼女たちのような歌手が極くわずかな期間であったがいたことに今もって驚く。





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アリス・ゴメス作曲「ジターノ」(マリンバ独奏:能登弓美子)を聴く

2017-10-28 22:31:35 | その他の音楽
マリンバという楽器をクラシック音楽で強く意識するようになったのは、伊福部昭作曲のオーケストラとマリンバのための「ラウダ・コンチェルタータ」を聴いたときだった。
この曲の初演(1979年、マリンバ独奏:安倍圭子、山田一雄指揮、新星日響)のライブ録音だった。
マリンバの起源はアフリカだと言われているが、現在の楽器の形になったのは、中南米のグアテマラやメキシコが最初だそうだ。
今日聴いた、「ジターノ(GITANO)」という曲の作曲者であるアリス・ゴメス(Alice Gomez)は、メキシコ系米国人の女流作曲家であり、自らのルーツを辿るうちに、さまざまな民族に古くから伝わるメロディを採集するようになり、メキシコ先住民の音楽スピリットをベースにした独自のサウンドを構築したという(タワーレコードのプロフィールから引用)。
マリンバ独奏は能登弓美子。

今日、三善晃のマリンバ曲を探している過程でこの曲に出会った。
この「ジターノ」という曲は純クラシック音楽ではないが、民族性の強い曲だ。
「ラウダ・コンチェルタータ」を聴いた時もそうであったが、マリンバの音楽やそこから聴こえてくるリズムは、現代人の眠っている根源的な魂ともいうべきものに直截的に働きかける力を持っている。
それだけ原始的、蛮性的な要素を秘めているのではないかと思う。

「ジターノ」という曲の前半部は日本の祭りで聞こえてくる太鼓のリズムもイメージされる。
しかしマリンバという楽器はとても難しそうだ。
マレットとよばれる4本のばちで器用に操作して板を叩いていく。
その音は、やわらかく自然な木の出す音であり、「ジターノ」の後半部は癒しの効果も感じた。

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中国地方の子守唄を聴く

2017-06-17 23:34:40 | その他の音楽
日本の子守唄の中では、五木の子守唄、島原地方の子守唄、そして中国地方の子守唄の3曲が好きだ。
子守唄の魅力に気付いたのは30代半ばであろうか。
この五音音階陰旋法(ミ、ファ、ラ、シ、ド、ミ)による音楽は、日本独自のものであり、外国の音楽に聴くことは無い。



西洋の音楽にも短調の悲しい曲は沢山あるが、この日本独特の音階による音楽は、「悲しい」と同時に「抑圧的な暗さ」を感じる。
現代の平和で豊かな時代に育った世代からすると、少し「怖い」と感じるかもしれない。
何か安らぎ、平安、幸せ、穏やかさ、から生まれてくる音楽ではない。
寧ろ、不幸、淋しさ、不安、暗く辛い生活から聴こえてくるような音楽だ。
しかし同時に、純粋で素朴な美しさも感じる。
子守唄が何故こんなに暗く悲しいのか、昔から疑問に思っていた。
もしかすると、子供を寝かしつけるために歌ったのではなく、封建的で閉鎖的、男尊女卑の、貧しく自由が無かった時代の若い女性が、1日の終わりに、やるせない気持ちを解放するためにあったのではないか。
もちろん日本古来からある箏や三味線の音楽や、民謡にも陰旋法によるものが多く、子守唄だけがこの独自のものを持っていたわけではない。子守唄の中には明るいものもある。
しかし、それでもこの「中国地方の子守唄」ような音楽を聴くと、心にとても強く作用してくるのを感じる。
その作用とは、底に堆積している強い感情を意識下に引き出すものである。
この子守唄を自ら歌うことで、自らの表現出来なかった辛い感情を表出しているようにも思える。
言葉を未だ理解できない幼子を相手に、誰にも言えない気持ちを吐露してた、と感じるのは考えすぎかもしれないが、この曲を聴くとそのように思えてしまう。

この「中国地方の子守唄」は、岡山県西南部が発祥地とされ、この地の声楽家の上野耐之が師事していた山田耕作に聴かせ、山田耕作が歌曲に編曲したことで広まったと言われている。

ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて 泣く子の
ねんころろ つらにくさ
ねんころろん ねんころろん

ねんねこ しゃっしゃりませ
きょうは 二十五日さ
あすは この子の
ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん

宮へ 詣った時
なんと言うて 拝むさ
一生 この子の
ねんころろん まめなように
ねんころろん ねんころろん

Youtubeでいいと思った録音を下記に写しておいた。

(伴奏は絶対ピアノに限る。アカペラでは素人の、若い女性、できれば母親の歌ったものがいい)








【追記20170618】
人が、精神的に穏やかで安定した、前向きな気持ちで生活するには、表現されずに心の奥に堆積した感情を開放する必要はあると思う。
子守唄とは実はそのような意図があったのではないかと思う。
現代の世の中で、もはや殆ど聴こえてくることの無くなったこの子守唄のような音楽を聴くことで、普段、表出することのない感情を感じることは悪くない。
感情を持って生まれた人間の宿命とも言える。
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