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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

時代劇「大江戸捜査網」のテーマ曲を聴く

2019-08-18 23:46:27 | その他の音楽
時代劇史上、最高の作品「大江戸捜査網」のテーマ曲をYoutubeで見つけた。
1970年代半ばににテレビ東京で放映された不朽の名作だ。
初代の杉良太郎と2代目の里見浩太郎の時代が最も面白かった。というか、凄く感動した。

これ以上の出来の時代劇は無い。
時代劇を見るのあれば杉良太郎と里見浩太郎の時代の「大江戸捜査網」だけを見るに限る。

内容もさることながら、テーマ曲や数々の挿入音楽が素晴らしかった。もう最高だ。
今回はオープニングテーマ曲と、里見浩太郎の時代の初期のエンディングテーマ曲を貼り付ける。

里見浩太郎の時代の後期のエンディングテーマ曲が見つかったら、追加したい。
(挿入音楽ももしあったらそれも)

まず、初代の杉良太郎のオープニングテーマ曲。

大江戸捜査網 杉良太郎 1973年 - オープニング


次に里見浩太郎の時代の初期のオープニングテーマ曲。

大江戸捜査網 1974年 - オープニング


二刀流が最高にかっこいい。

次に里見浩太郎の時代の後期オープニングテーマ曲とエンディングテーマ曲。

大江戸捜査網 里見浩太朗版(お竜&風Ver) OP&ED


里見浩太郎の時代の初期のエンディングテーマ曲。
私の記憶では里見浩太郎が歌っていたように思ったが。

大江戸捜査網 里見浩太朗版 ED2(特殊) ながれ橋
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尺八 「手向」、「三谷菅垣」を聴く

2019-07-07 20:23:03 | その他の音楽
ギター、ピアノ、オーケストラなど西洋の楽器で作曲された日本風の曲で、日本が西洋化される以前の純粋に日本情緒を感じさせるものは極めて少ない。
ギターでは伊福部昭、原田甫くらいか。
日本が西洋化される以前、すなわち江戸時代までの音楽は、箏、三味線、琵琶、尺八、篠笛といった楽器で演奏されていた。
これらの楽器のほとんどは中国などから伝わり、日本古来のものではないと言われている。
しかしこれらの楽器が日本に伝来してから、日本独自の文化と融合し、独自の進化を遂げたことで、もはや生来の地域のルーツに存在していたであろう特質とは隔絶したものとなっていったに違いない。

そのことを端的に表している楽器が尺八だと思う。
尺八は古代中国から伝わったようだが、現在日本の尺八の曲として残されているものは日本独自のものだ。
尺八は音が独特なので、和楽器の中でも人気は今一つのようだ。
しかしそういった先入観を脇に置いて聴いてみると、この楽器から聴こえてくる音楽が、極めて日本情緒に富んでいることが分かる。
私には箏、三味線以上にそれが感じられる。

日本情緒というものは一体どういうものなのだろう。
日本が、それも西洋化される以前の明治時代以前、すなわち外国との交流を閉ざしていた時代に生まれた、世界に類を見ない、独自の環境、時代背景から生まれた、主にその時代の庶民の感情を表したものだと思う。
それでは独自の環境、時代背景とはどのようなものであろう。
恐らくそれは、鎖国、士農工商による身分制度、男尊女卑といった厳しい政策のもとに庶民に強いられた抑圧的生活環境であり、このような環境のもとに、庶民が表立って表すことの出来なかった気持ちから生まれ出たものではないかと思う。

尺八などの曲を聴くと陰旋法と呼ばれる音階で構成されているものがほとんだ。
暗く、寂しく、もの悲しく、素朴で静かである。
しかし、それだけではない。
重要なのは、これらの感情が、今よりもはるかに美しかったであろう、昔の日本の四季折々の、素朴であるが、思わず佇まずにいられないほどの景色、風、静かな中に聞こえてくる鳥のさえずりや虫の鳴き声などと密接にかかわっていることだ。
これらの関わりは意識されたものではなく、昔の日本人の感性として、いわば当たり前のものとして備わっていたのではないかと思うのである。

思うに昔の日本人は恐らく世界で最も忍耐力が強かったであろうが、それ故に、西洋化された今では完全に消滅した独自の豊かで繊細な感性を持っていたに違いないと思うのだ。
それは強いられた忍耐から必然的に生まれた抑圧的感情をベースとしており、諸外国に見られるような開放的なものとは全く性質を異にするものだ。

このような感性を感じる手段として最も有効なのは、尺八、琵琶などの楽器のオリジナルの音楽を聴くことだと思う。
西洋の楽器に移し替えられたものは、必然的にどうしても西洋の音楽と混在してしまう。
純粋さが失われてしまう。

下の譜面は、原田甫作曲の「ギターソナタ」第2楽章冒頭の暗く寂しい旋律。
単旋律で奏でられる。
尺八か篠笛の音をイメージして作られたと思われる。




1週間ほど前のことだが、尺八の曲で「手向」、「三谷菅垣」という曲をYoutubeで見つけた。

Katsuya Yokoyama - The Art of Shakuhachi


「手向」は2曲目(7:05~)、「三谷菅垣」は3曲目(11:02~)だ。
投稿者のコメント欄にワンクリックで曲に飛べるようになっている。
是非聴いて頂きたいと思う。
静かな誰もいない夜の方がいいだろう。
尺八の録音をYoutubeでいくつか聴いてみたが、このYoutubeの「手向」と「三谷菅垣」が一番素朴に心に響いてきた。

昔の日本人の感性に触れる一つの貴重な手段だと思う。

演奏者の横山勝也氏は武満徹のノーベンバー・ステップスの尺八演奏者として初演し、その後も数多くこの曲を演奏した尺八界の第一人者。
私はこのノーベンバー・ステップスの1984年のライブ録音、指揮:岩城宏之、尺八:横山勝也、琵琶:鶴田錦史、N響、を大学生の頃にテレビで見た。
凄い演奏であった。
現代音楽との融合の試みに賛否両論があるだろうが、尺八や琵琶といった日本の伝統楽器の持つ魅力が世界に認識されたのも事実だ。

武満 徹:ノヴェンバー・ステップス


琵琶奏者の鶴田錦史氏の演奏が凄い。
殆ど体がぶれずに演奏する鍛錬された技術に感動する。
因みに鶴田錦史氏は女性だ。
ずっと男性だと思っていた。
何故男装しているか。
その波乱に満ちた人生を知りたいと思って、本を注文した。
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内藤明美「森の記憶」を聴く

2019-05-26 21:47:05 | その他の音楽
内藤明美氏の名前を初めて知ったのは1982年頃だったと思う。。
内藤明美氏のギター曲「シークレット・ソング」が武井賞を受賞した記事が現代ギター誌に載っていた。
若い女性がギター曲を作曲するなど当時では珍しいことだった(今でもそうかもしれないが)。

この「シークレット・ソング」がどんな曲であるか、その当時は知るすべがなかった。
題名から甘いロマンティックな曲をイメージした。
1990年を過ぎた頃だったか、ギタリストの佐藤紀雄氏がギターの現代音楽だけを集めた「コタ」というアルバムを出した。
このアルバムに「シークレット・ソング」が録音されていた。
恐ろしく難解な現代音楽だった。
作品番号2番。1979年作曲。





だいぶ後になって内藤明美氏があの現代音楽作曲家の故、八村義夫の妻であることが分かった。
八村義夫の「錯乱の論理」や「ピアノのためのインプロヴィゼーション」に出会った頃だ。
内藤明美氏がどういうきかっけで八村義夫氏に出会ったかわからないが、音楽を志していた内藤氏は八村義夫氏の才能や考え方に強く惹かれ、影響を受けたに違いない。
この「シークレット・ソング」の作風がそれを示しているが、但し八村氏のような強烈な激しさは無い。
やや控えめな印象だ。

内藤明美氏のことを4、5年前にYoutubeで検索したら1本しか出てこなかった。
何かのインタビューの記録動画だった。
その後、いくつかの演奏が投稿されていた。
圧倒的といっても数は少ないが、「森の記憶」というマリンバ独奏の曲が多かった。

下のYoutubeの演奏者は八村義夫氏や内藤明美氏の曲を弾いている。
2人の作品に思入れがあるのか。内藤明美氏の教え子のなのか。
まだ若いが動きがしなやかで上手い。

マリンバの音は柔らかく派手さはないが、落ち着きがある。
このブログでもいつくかマリンバの曲を紹介したことがあった。

内藤明美氏の1990年代の曲だと思われる。
もうすでに前衛時代の難解な作風は見られない。
冒頭で、彼女が1977年から1978年にかけてアメリカに滞在した時の回想がナレーションで語られる。
この回想の中での「あなた」とは八村義夫のことなのだろうか。

内藤明美/森の記憶
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「子供盆踊り」を聴く

2019-03-20 23:17:18 | その他の音楽
Youtubeで暗く不気味な現代音楽を探し続けているうちに、何故か「盆踊り」を聴きたくなった。
初め「北海盆歌」を見つけたが、幼い頃から就職で北海道を離れるまでお盆の頃にあきるほど聴かされてきた「子供盆踊り」を聴きたくなった。
この子供盆踊りは北海道のみ歌われるようだ。

子供盆おどり唄  歌 持田ヨシ子


実に懐かしい。
聴くのは約30年ぶりであろうか。
幼い頃、ゆかたを着せられて盆踊り会場まで行って、帰りにフルヤのキャラメルをもらった古い記憶が蘇る。
大学1年生の時はビールを大量に飲み、周囲の人から大酒のみと呆れられながら北海盆歌を踊った思い出も出てきた。

毎年、お盆の頃は5日間くらい夕方になると近所の公園からこの「子供盆踊り」が繰り返し繰り返し聴こえてきたものだ。
しかしいつからか、お盆に帰省してもこの「子供盆踊り」が聞こえることはなくなった。

時代が変わったのだと思う。
何か寂しく感じる。
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家路/ダニエル・コピアルカ を聴く

2019-03-16 22:07:35 | その他の音楽
ドボルザークの「新世界」第2楽章のテーマをアレンジしたアルバム「家路/ダニエル・コピアルカ」のCDを買って聴いたのは30代初めの頃だったと思う。
当時、心の癒しを強く求めていたし、「癒し」が出来るものをさかんに探していた。
そんな時、このアルバムに出会った。



このCDのブックレストにダニエル・コピアルカ自身のコメントが掲載されていた。
「幼いころの家庭の思い出には、良いものも悪いものもあります。どちらも私たちの人生にパワフルな影響を与えます。インターナショナルなフォーク・ソングを収録した「家路」について、ジョン・ブラッドショウは「内なる子供に出会うワークショップで参加者のヘルプとなる最もパワフルな音楽である」と評しています。
このアルバムは、私たちが過去から自由になりポジティブに前に進んで行けるように、子供から大人に成長してゆくときにその体験から植え付けられた思考や観念をクリアーにして浄化してゆくことを ----それを意図しています。」

この音楽は「傷ついた魂」を癒すことを目的に作られた。
傷つきやすい幼い頃の心が、親や学校の先生や友達などからの心無い言動によりダメージを受けると、その後の長い人生にとても大きな影響を受ける。
幼い頃に傷つき、癒されないまま成長すると、生きるのがとても辛く、苦しみに満ちた人生を送る。
その苦しみは普通に幸せに育った人には想像も出来ないものであろう。
たいていは苦しみを抱えたまま、もがき、不幸なまま人生を終える。

幼い頃に親をはじめ周りの人に愛されることがいかに大切であるか、今になってその意味を重く感じる。

「愛されなかったとき、どう生きるか」
「傷ついた魂」を内面に抱えた人は、生涯に渡って、このテーマを背負い続ける。
「傷ついた魂」を持った人は最も不幸なことに、自分で自分自身を強烈に傷つけるのである。
その行為があたかも自明の避けられない宿命がごとく。
このような行為を無意識に行っていることに気付けないと、一生涯、不幸な人生を送ることになるであろう。
しかしそのことに気付くことはこのような苦しみを持った人にとってはとても難しいことなのだ。
だが、「心の苦しみ」=「自分で自分を傷つける」ことに気付くことが出来れば、幸せになれる第一歩を踏み出すことが出来る。
「今まで自分自身を苦しめてごめんね。苦しんでいるあなたに気付いてあげられなくごめんね」と言うことが出来る。

古い記憶だが、俳優の西田敏行さんは、若い頃の下積み時代、大部屋に居た頃に周囲の人にさげずまれ、人間不信に陥っていた時、動物園に行って、動物の親子間の愛情の姿を見て、心を癒していた、と言っていたことを思い出した。
西田敏行さんの演技を初めて見たのは、中学生の頃だったと思うが、勝野洋と共演した時代劇の迫真の演技を40年経った今でもはっきりと憶えている。
西田敏行さんの表情を見ていると、愛されなかったゆえに苦労した過去を背負っていることが分かる。
しかしそれがゆえに、素晴らしい役者になることが出来たのだと思う。

「音楽による魂の癒し」、音楽が生身の人間の創造物であるのならば、それは可能なことであろう。
創造した人間が優しい心の持ち主であれば、その気持ちが音楽へ形を変えて、聴き手に伝わる。

優しい心の持ち主に出会うことは、今の時代、なかなか難しくなってきている。
しかし音楽ではいつでも出会うことができる。

音楽を聴いて、心に堆積された感情を開放する。
どのような音楽であっても、私にとってはその実現を可能にすることができる力を持ったものが、真に素晴らしい音楽と言うことが出来る。
今日紹介した、 ダニエル・コピアルカの「家路」もそのひとつであるが、ここ数年内に聴いた演奏では、熊谷賢一作曲の「マンドリンオーケストラの為の群炎Ⅵ 樹の詩」がまさにそのような音楽であった。

Going Home Medley (from Dvořak's New World Symphony)


【追記】

ダニエル・コピアルカは、サンフランシスコ交響楽団の首席第2ヴァイオリン奏者で、レナード・バースタインにも認められたほどの実力者。
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