今日2月17日は、このブログを開設した日である。
おかげさまで、丸16年を迎えることができた。
2005年2月17日、あの日は風邪を引いて会社を休んでいた。
日中、鼻水を垂らしながら大学時代の友達・潤一くんのブログを読んでいて、「このボタン、何だろう?」と画面の端をポチっと押したら、勝手にこのブログが誕生したのである。
仮称として、当時流行していた小説「世界の中心で愛をさけぶ」から拝借して短絡的に「世界の中心で吉熊が叫ぶ」としていたのだが、なんとなくそのまま、このブログの名称になった。
そんなこんなでこのブログは棚から牡丹餅的に誕生し、気付けば16年間、ほぼ毎日更新をし続けている。
ここには16年分の私が詰まっている。
人生は日常の些事の蓄積だと友達が言っていたが、一つ一つを読み返してみると本当にそう思う。辛かったり、悲しかったり、楽しかったり、嬉しかったり、とりとめない毎日だが、毎日必ず何かを感じながら生きていたことを改めて実感する。
「こんな一般人の私でも世界に向けて発信できる場があるのか」と興奮気味に最初の記事を投稿したあの日の気持ちを何時までも忘れないで、今後とも続けられればいいと思う。
もちろん、相棒・吉熊とともに。
吉熊は2003年のSARSが流行った頃に中国から船便でやってきた。…ということは18歳。ちょっとした成人なんだな。
これからも、よろしくま!
…吉熊、かわいい。
おかげさまで、丸16年を迎えることができた。
2005年2月17日、あの日は風邪を引いて会社を休んでいた。
日中、鼻水を垂らしながら大学時代の友達・潤一くんのブログを読んでいて、「このボタン、何だろう?」と画面の端をポチっと押したら、勝手にこのブログが誕生したのである。
仮称として、当時流行していた小説「世界の中心で愛をさけぶ」から拝借して短絡的に「世界の中心で吉熊が叫ぶ」としていたのだが、なんとなくそのまま、このブログの名称になった。
そんなこんなでこのブログは棚から牡丹餅的に誕生し、気付けば16年間、ほぼ毎日更新をし続けている。
ここには16年分の私が詰まっている。
人生は日常の些事の蓄積だと友達が言っていたが、一つ一つを読み返してみると本当にそう思う。辛かったり、悲しかったり、楽しかったり、嬉しかったり、とりとめない毎日だが、毎日必ず何かを感じながら生きていたことを改めて実感する。
「こんな一般人の私でも世界に向けて発信できる場があるのか」と興奮気味に最初の記事を投稿したあの日の気持ちを何時までも忘れないで、今後とも続けられればいいと思う。
もちろん、相棒・吉熊とともに。
吉熊は2003年のSARSが流行った頃に中国から船便でやってきた。…ということは18歳。ちょっとした成人なんだな。
これからも、よろしくま!
…吉熊、かわいい。