世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

書くこと

2014年07月17日 21時17分58秒 | Weblog
今週の会社の花(階段)はダリア。
おもしろいアレンジだったので激写。


伯父の葬儀から一週間が経過した。

今朝、従兄弟(伯父の次男)からメールが届いた。
彼に三人目の子供が生まれたという連絡だった。
伯父ファミリーでははじめての女の子とのこと。

メールの内容を同僚に話したら、
「伯父さんとお孫さん、どこかですれ違ったんじゃない?」
と言われて、泣きそうになってしまった。
そうだと良い。



話は変わるが、5,6年前の自分の文章の方が伸び伸びと書けていたなと思う。
肺がんを患い33歳でこの世を去った作家でライターである奥山貴宏氏が「退屈なヤツには退屈な文章、作品しか書けない」と生前に言っていて(正確に言うとブログに書いていて)、毎日更新するたびにその言葉を思い出している。
面白可笑しく書くことだけを目的にはしていない。あとで読み返したときに「あのときはああいうことを感じていたんだ」と思い返せれば良いし、あわよくば、読み返してニヤニヤしてしまうような文章を残すことが理想である。誰かに共感していただけたらもっと良い。
最近はその意識が希薄になっていたのかも知れぬ。または臆病になっていたのか。


私が文章を書くということを最初に意識したのは小学校2年生のときのことだ。
運動会の感想を作文を書くという宿題が出た。
書き終えて母ヨーコたんに見せたら、怒られた上、やり直しを命じられた。原稿用紙5枚を消しゴムで消した。

朝から閉会式のもようを時系列にそのまま書いたのが彼女的に解せなかったらしく
「その時々の自分の気持ちを書きな」
と言われた。
私としては、朝から閉会式までを時系列的に克明に書くことがベストだと思っていたのだが、それはレポートであり、作文ではないと言われた。
6時に校庭から打ちあがる花火の音で目覚めたときのワクワク感、徒競走で緊張したこと、ダンスでトレロカモミロを踊ったときの一体感が気持ちよかったこと、そんなことを母に導かれて書いた。
結果、気持ちを表現した部分に先生からの○マークがついていたので、大人の言うことは本当なんだなと子供心に思った。


ブログ歴9年。
人生の4分の1をこのブログと歩んできたことになる。
ブログ更新は日常の当たり前のルーティンになりつつあるが、今一度、世界に発信することの意味を考えている、なう。



今日は第1四半期決算短信の定性的情報を作成した。
渾身の「当第 1 四半期累計期間におけるわが国経済は・・・」である。
作成中の脳内BGMは毎度、奥山氏のドキュメンタリーで流れていたUnderworldの「Born Slippy」
トランス状態で生み出した当第 1 四半期累計期間におけるわが国経済。

Underworld Born Slippy


明日、吉熊上司に見ていただく予定。


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