昨夜観たNHK「タイムスクープハンター」が良すぎて、今日は一日浸ってしまっていた。
この番組は、様々な時代の名もなき人々のようす(ドラマ)を取材する形が取られている。ちゃんと実際の歴史を考慮した背景も織り混ぜてあり、ドラマで再現された人々はフィクションのはずなのに、「実際にこういう人がいたんだ。いたに違いない」と思わせる。
昨夜は、「維新ロマンス英語塾」
明治時代、横浜の塾で英語を教えるレイチェル先生という若い女性と、その塾で英語を勉強する日本人青年・健吉の恋物語だった。
「もっと日本文化に触れてみたい」と、レイチェル先生は日本の家への宿泊を希望する。旅館を営んでいる健吉に白羽の矢が立ち、レイチェル先生は健吉の家に宿泊することになる。
健吉の両親もウェルカムモード。
翌日、健吉はレイチェル先生に江戸の町を案内する。町人の様子(子供をおんぶする母親とか子供の識字率の高さ)に感激するレイチェル先生。人力車に揺られる二人の様子が絵になっていた。
健吉はレイチェル先生に着物をプレゼントする。また感激するレイチェル先生。
思わず健吉にチューをするが警察に見つかり、さあ大変。当時、路上チューは風紀を乱すものとして検挙の対象にされていた。逃げる二人。ハラハラどきどき。
逃げきり、健吉の家に帰るものの、レイチェル先生の父が娘を連れ戻しに来た。父はレイチェルが日本人の家に泊まるのを許していなかったのだった。
塾にレイチェル先生は来なくなった。そして数週間後、レイチェル先生はアメリカに帰ることになった。
そんな折り、レイチェル先生にプレゼントした着物が仕上がって健吉の元に届く。
健吉は通訳になりすまして、外国人居留地に潜り込み、レイチェル先生に着物を渡すことにする。
しかし、レイチェル先生は不在。着物を置いて、もう一度会いたいから待っていると置き手紙をして去った。
待ち合わせの場所に5時間。
レイチェル先生は来ない。
そのとき。
健吉の目に飛び込んできたのは、健吉がプレゼントした着物を着て駆け寄るレイチェル先生の姿であった。
ここで、涙腺崩壊。
健吉も待ちに待っていただろうが、私もレイチェル先生を待っていた。
着付け、どうしたの?という疑問はさておき、もうね、このシーンは下手な映画よりも感動した!
「思い出を残せたら良いのに」
と、レイチェル先生。
健吉は写真撮影をすることを発案。
すると娘を探して鬼の形相をしているレイチェル先生の父の姿を発見。
急いで近くの写真館に入店し、写真を撮ってもらう。
しかし、当時の撮影には30秒かかる。レイチェル先生の父の怒号はすぐそこまで迫っている。
あと20秒…10秒…。
間一髪、二人は逃げ出す。
このシーンは小室哲哉の「kimono beat」を彷彿とさせる絵だった。
運河に出た。二人は別れを予感していた。見つめあい、チューしようとした瞬間、また警察が。
小舟に乗り、お別れをするレイチェル先生。
居留地に戻るべく健吉から離れていく…。
その後の調査によれば、健吉とレイチェル先生、2人の運命はすれ違い、連絡が取れたのは50年後であった。
大切にしまっておいた写真をようやく健吉は送ることができた。
この時、レイチェル先生は70才。教師を退職して、12人の孫に恵まれていた。
健吉は71才、家業を継ぎ、外国人相手の大型ホテルを建て大成功をおさめていた。
良い話じゃないか。泣かせるぜ。
国際交流って、言葉云々だけじゃなくて、ハートとハートのぶつかり合いも不可欠なんだなあと思った。
そして、悲恋ってどうしてこうも美しいのだろうか。
レイチェル先生と健吉のあの写真が永遠をとどめるように、悲恋っつーもんも、いつまで経っても美しい。
この番組は、様々な時代の名もなき人々のようす(ドラマ)を取材する形が取られている。ちゃんと実際の歴史を考慮した背景も織り混ぜてあり、ドラマで再現された人々はフィクションのはずなのに、「実際にこういう人がいたんだ。いたに違いない」と思わせる。
昨夜は、「維新ロマンス英語塾」
明治時代、横浜の塾で英語を教えるレイチェル先生という若い女性と、その塾で英語を勉強する日本人青年・健吉の恋物語だった。
「もっと日本文化に触れてみたい」と、レイチェル先生は日本の家への宿泊を希望する。旅館を営んでいる健吉に白羽の矢が立ち、レイチェル先生は健吉の家に宿泊することになる。
健吉の両親もウェルカムモード。
翌日、健吉はレイチェル先生に江戸の町を案内する。町人の様子(子供をおんぶする母親とか子供の識字率の高さ)に感激するレイチェル先生。人力車に揺られる二人の様子が絵になっていた。
健吉はレイチェル先生に着物をプレゼントする。また感激するレイチェル先生。
思わず健吉にチューをするが警察に見つかり、さあ大変。当時、路上チューは風紀を乱すものとして検挙の対象にされていた。逃げる二人。ハラハラどきどき。
逃げきり、健吉の家に帰るものの、レイチェル先生の父が娘を連れ戻しに来た。父はレイチェルが日本人の家に泊まるのを許していなかったのだった。
塾にレイチェル先生は来なくなった。そして数週間後、レイチェル先生はアメリカに帰ることになった。
そんな折り、レイチェル先生にプレゼントした着物が仕上がって健吉の元に届く。
健吉は通訳になりすまして、外国人居留地に潜り込み、レイチェル先生に着物を渡すことにする。
しかし、レイチェル先生は不在。着物を置いて、もう一度会いたいから待っていると置き手紙をして去った。
待ち合わせの場所に5時間。
レイチェル先生は来ない。
そのとき。
健吉の目に飛び込んできたのは、健吉がプレゼントした着物を着て駆け寄るレイチェル先生の姿であった。
ここで、涙腺崩壊。
健吉も待ちに待っていただろうが、私もレイチェル先生を待っていた。
着付け、どうしたの?という疑問はさておき、もうね、このシーンは下手な映画よりも感動した!
「思い出を残せたら良いのに」
と、レイチェル先生。
健吉は写真撮影をすることを発案。
すると娘を探して鬼の形相をしているレイチェル先生の父の姿を発見。
急いで近くの写真館に入店し、写真を撮ってもらう。
しかし、当時の撮影には30秒かかる。レイチェル先生の父の怒号はすぐそこまで迫っている。
あと20秒…10秒…。
間一髪、二人は逃げ出す。
このシーンは小室哲哉の「kimono beat」を彷彿とさせる絵だった。
運河に出た。二人は別れを予感していた。見つめあい、チューしようとした瞬間、また警察が。
小舟に乗り、お別れをするレイチェル先生。
居留地に戻るべく健吉から離れていく…。
その後の調査によれば、健吉とレイチェル先生、2人の運命はすれ違い、連絡が取れたのは50年後であった。
大切にしまっておいた写真をようやく健吉は送ることができた。
この時、レイチェル先生は70才。教師を退職して、12人の孫に恵まれていた。
健吉は71才、家業を継ぎ、外国人相手の大型ホテルを建て大成功をおさめていた。
良い話じゃないか。泣かせるぜ。
国際交流って、言葉云々だけじゃなくて、ハートとハートのぶつかり合いも不可欠なんだなあと思った。
そして、悲恋ってどうしてこうも美しいのだろうか。
レイチェル先生と健吉のあの写真が永遠をとどめるように、悲恋っつーもんも、いつまで経っても美しい。