母の懐。
安眠を許してくれる揺り篭。
人生について考える時に、ふと立ち寄りたくなる古巣。
母校とはそういうものだと私は思う。
いくら滑り止めだった学校でも。
我々は出身校を父校とは言わず母校と呼ぶ。
「母」を使うのはやはり出身校を如何なる時も自分を守ってくれる母、
若しくは「田舎のお袋の味」的な癒し効果のある物になぞらえたいからなのだと思う。
そんな母性に抱かれたく、母校に向かう昼下がり。
川越線、東上線を乗り継ぎ到着。
外交的な性格ではないため、一人でいることが多かった学生時代。
それでも沢山の人と同じ空気を共有できた四年間。
試験前にしか交流を持たなかった「友達」。
就職ガイダンスで隣の席になり、電話番号を交換をしただけの「友達」。
アドレス帳に住所と電話番号を書き合いした「友達」の「友達」。
(当時は携帯電話があまり普及していなかった)。
パソコンルームに行くと必ず会えた、「授業はどうしたの?」的な「友達」。
今でも深く付き合ってくれている友達も多いけど、
アドレス帳に個人情報を書いてくれた「友達」のほとんどとは連絡をとっていない。
あの人たちはどこで何をしているのだろう。
母校の最寄り駅ホームに着く。
学生っぽい人を見ると、知り合いかな?と思ってしまう。
…いや、そんな筈はない、すぐに打ち消す。
住宅街を抜けるように歩くと、母校はひっそりと佇んでいた。
少し高めの学費でできた新しい建物、…中には入れないので遠くから確認する。
風が髪を揺らす。
あたたかい湿った空気はあの頃と変わらないのか、変わったのか。
大学近くの馬車道へ。
ここは明治時代のコスプレさながらの袴姿のウェイトレスが給仕してくれる。
値段もそこそこで味もよく、学生時代にたまに来ていた。
空いている時間だったのか、客はあまりいない。
袴姿のウェイトレスが一人、…元気が良い。若さなんだなぁーっと思う。
思わず声を掛ける。
「ここに来るのは五年ぶりなんですよ」
「…はい?」
「そこの学校の学生でして…」
「私もです!私は、今年できた新しい学部の者です。先輩は?」
「商学部だったの。」
…後輩発見。
会社にも何人か後輩がいるが、なんか可愛いんである。
私はもう、あそこの人間ではないけど、たまには実家に戻り、
会社に嫁いだ「嫁」の身から「娘」に戻るのも良いもんだ。
昔の自分を知ることは今の自分を大切にすることに繋がっている、
もしくは今の自分を生きることの一歩なのだ…と、私は信じている。
安眠を許してくれる揺り篭。
人生について考える時に、ふと立ち寄りたくなる古巣。
母校とはそういうものだと私は思う。
いくら滑り止めだった学校でも。
我々は出身校を父校とは言わず母校と呼ぶ。
「母」を使うのはやはり出身校を如何なる時も自分を守ってくれる母、
若しくは「田舎のお袋の味」的な癒し効果のある物になぞらえたいからなのだと思う。
そんな母性に抱かれたく、母校に向かう昼下がり。
川越線、東上線を乗り継ぎ到着。
外交的な性格ではないため、一人でいることが多かった学生時代。
それでも沢山の人と同じ空気を共有できた四年間。
試験前にしか交流を持たなかった「友達」。
就職ガイダンスで隣の席になり、電話番号を交換をしただけの「友達」。
アドレス帳に住所と電話番号を書き合いした「友達」の「友達」。
(当時は携帯電話があまり普及していなかった)。
パソコンルームに行くと必ず会えた、「授業はどうしたの?」的な「友達」。
今でも深く付き合ってくれている友達も多いけど、
アドレス帳に個人情報を書いてくれた「友達」のほとんどとは連絡をとっていない。
あの人たちはどこで何をしているのだろう。
母校の最寄り駅ホームに着く。
学生っぽい人を見ると、知り合いかな?と思ってしまう。
…いや、そんな筈はない、すぐに打ち消す。
住宅街を抜けるように歩くと、母校はひっそりと佇んでいた。
少し高めの学費でできた新しい建物、…中には入れないので遠くから確認する。
風が髪を揺らす。
あたたかい湿った空気はあの頃と変わらないのか、変わったのか。
大学近くの馬車道へ。
ここは明治時代のコスプレさながらの袴姿のウェイトレスが給仕してくれる。
値段もそこそこで味もよく、学生時代にたまに来ていた。
空いている時間だったのか、客はあまりいない。
袴姿のウェイトレスが一人、…元気が良い。若さなんだなぁーっと思う。
思わず声を掛ける。
「ここに来るのは五年ぶりなんですよ」
「…はい?」
「そこの学校の学生でして…」
「私もです!私は、今年できた新しい学部の者です。先輩は?」
「商学部だったの。」
…後輩発見。
会社にも何人か後輩がいるが、なんか可愛いんである。
私はもう、あそこの人間ではないけど、たまには実家に戻り、
会社に嫁いだ「嫁」の身から「娘」に戻るのも良いもんだ。
昔の自分を知ることは今の自分を大切にすることに繋がっている、
もしくは今の自分を生きることの一歩なのだ…と、私は信じている。