晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

松本清張 『小説帝銀事件』

2019-02-03 | 日本人作家 ま
「ひと月に最低でも5冊は読みたい」と書いたのは去年のこ
とでしたっけ。先月も2回しか投稿できず・・・

本を読むことが趣味と言えるようになる前のこと、松本清張
の作品はけっこう買って読んでました。
「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」といった有名どころや、
その他いろいろ、家にあるのは新潮文庫のみでした。
赤い背表紙で揃えたかったんでしょうかね。つまり、他の出
版社から出された作品は読んでませんでした。

そういったわけで、こちらは角川文庫の『小説帝銀事件』。

実際に起きた事件などを小説という手法で描く「ノンフィク
ションノベル」というジャンルがありまして、この言葉が生
まれたきっかけが、トルーマン・カポーティの「冷血」とい
う作品からと何かで読んだのですが、それ以前にもそういっ
たものはあったと思います。

新聞社の論説委員、仁科俊太郎は、旅先で、もと警視庁の男
と偶然に再会します。
そこで、ふたりから離れたところにいた外国人を見て「よく
似たやつがいるもんだ」と言います。
その「似たやつ」というのは、今は日本にはもういないはず
の、終戦後の占領統治時代、GHQの防諜部門だったアンダ
ースン。
元警視庁の男は、とにかくアンダースンにはひどい目に遭っ
た、とこぼします。
日本国内で米兵による犯罪が起こると、その(揉み消し)に
やって来るのがアンダースンで、そんな思い出話をしている
と、男がふっと「そういや、帝銀事件のときにも、警視庁に
やってきて・・・」とつぶやき、自分の話し相手が新聞社の
人間だと思い出したのか急に口をつぐみ、では失礼といって
去ります。

昭和23年1月26日、午後3時半ごろ、東京都豊島区の帝国銀行
椎名町支店で、厚生省の職員を名乗る男が「付近で赤痢が発
生したので薬を飲んでほしい」とやってきて、その液体を飲
んだ銀行員と用務員合わせて16人がバタバタと倒れ、うち12
人が死亡、予防薬といったその液体は青酸カリだったという
凶悪犯罪が起こります。

その後、銀行から小切手が盗まれていたことがわかり、その
小切手はよその銀行ですでに換金されていました。

まず、厚生省を名乗る男は「このように飲んでください」と
いって、湯のみにスポイトに入った液を垂らし、喉に流しこ
むように飲んでみせるというデモンストレーションをします。
その後、今度は別の液体を「1分後に飲んでください」とい
います。この時間差は、青酸カリの中毒症状には個人差があ
り、全員が銀行の内で中毒症状が起こるようにするという、
薬物の知識があり、さらにこのような殺害をするにしてはあ
まりにも冷静で落ち着いていたということで、はじめは、軍
部の人間、それも軍医、衛生部あるいは化学・細菌兵器の研
究開発をしていた機関の所属だった人間の犯行だと捜査をし
ていました。

一方、犯人は名刺を出して自己紹介をしており、もちろんこ
れは偽なのですが、その名刺の人物は、実在する厚生省職員
で医学博士の松井某という人の本物の名刺でした。つまり、
犯人はこの松井博士と名刺交換をしていた可能性があるとい
うことで、この博士はマメな方で、名刺交換した相手の名刺
の裏に日時と場所をきちんと記入していて、この同じ書体で
印刷された百枚近くの名刺の交換先を全部あたってみるとい
う地道な捜査も行われます。

ところで、命が助かった4名の行員の証言をもとに似顔絵が
作成され、それが新聞に掲載されると、ある男性が「あの
事件の犯人に似てるといわれる」と警察にやってきますが、
目撃者は「顔の輪郭は似てるが目が違う」といい、この男
性の顔を土台に、目だけを別の人の写真に合成し、目撃者
が「だいたいこんな感じ」というまで修正を加えた写真を
(決定版)として全国の警察に配布します。これが、日本
国内の犯罪捜査史上初のモンタージュ写真なのだそうです。

さて、名刺交換の捜査で、平沢大暲という名前を松井博士
に尋ねると、青函連絡船の船室で名刺交換したといいます。
この平沢大暲という人は画家で、皇太子の献上画を描くほ
どの大家。そこで警察は平沢に会い、当日のアリバイや、
松井博士と交換した名刺があるか聞くと、その名刺は財布
の中にあって掏られたというのです。

仁科はこの事件の記録を調べていると、ある日、急にこの
平沢の捜査に舵が切り替わったことに気づきます。それま
での旧軍部関係者の犯行説はピタリと無くなります。

平沢ですが、過去に詐欺事件を起こしていたり、事件直後、
いきなり大金を持っていたり、また当日のアリバイもやや
強引ではありますが「やってできないことはない」という
ことで、そして本人の自白もあって、逮捕されます。

しかし、裁判では一転「やっていない」と言いますが、そ
れまでの段階で妄想や虚言などがあり、信じてもらえません。

記録を読み進めていくと、平沢にはアリバイ成立の可能性
もあり、「出所不明の大金」も、本人にとっては恥であっ
たであろう裏のアルバイト(春画を描く)の可能性もあり、
検察側にはまるで「平沢が犯人でなければならない」とい
った執念のようなものが見えたり、そして何より不可解な
のが、それまでの捜査本部の軍部関係者犯行説がいきなり
消えたことと、仁科が旅先で元警視庁の男から聞いたあの
「あのときにもアンダースンが・・・」という言葉。

ところでこの帝銀事件は、旧刑事訴訟法が適用された最後
の事件で、この翌年「新刑事訴訟法」が施行されます。そ
れまでの自白偏重主義から証拠第一主義に変わったので、
この裁判では平沢は「証拠不十分」になった可能性が高い
のです。

平沢は裁判で死刑が確定しますがその後、刑は執行されず、
獄中で病死します。

帝銀事件から20年後に起きた三億円事件でもモンタージュ
写真が捜査に使われますが、このせいで捜査の混乱が起き、
また目撃者の証言は思い込みが強すぎてあてにならないと
いうことでこのころからモンタージュ写真は捜査の主流か
ら外れます。

そういえば日産の会長が逮捕されて、その捜査手法が「ま
るで中世」「監禁だ」と批判されていますが、まあどこの
国でも近代刑事裁判のイロハのイである「推定無罪・疑わ
しきは被告人の利益に」がきちんと守られてるとはいえま
せん。「うちは守ってますけど!」と言い張る国はありそ
うですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする