今年は全滅だと思ってゐた里芋が、それでもすこし出来てゐました。
春先に植ゑた10株ほどの苗は半分になり、でも残りの収穫がすこし楽しみです。
愛犬が死んで間もなく一年になりますが(命日には、また、高畠の犬の宮に写真を交換にゆくつもりですがー)、それを期に始まった老母のボケは静かに進行するばかりで、小生も家人も娘たちもハラハラしながら見守ってゐる。
里芋が半分になってしまったのも、この夏の酷暑もありますが、植ゑて数週間後、急に別の場所に植ゑ替へたのも原因です。
”なんで?”と聞くと、樹の陰だからだといふ。
確かに、借りてゐる畑の脇に一本の柿の樹がありますが、それは数十メートルも離れてゐて、陰など及ぶところでもありません。
一事が万事、日常生活で言動に微妙なズレを生じ始めてゐます。
はるかに昔、在京のころ、ある不動尊の初午に小生と母とで出掛けたことがあります。
当時、ヤクザのやうな格好が好きだった小生(頭はパンチ・パーマでサングラスで、服はすべて黒ずくめでー)のせゐもあったのでせう、居並ぶ出店の香具師の人から”どこの組の姉さんで?-”と聞かれたことがあり、苦笑したことがあります。
そんな雰囲気があったのでせう。
そんな母親が、いま、静かにボケを進行させてゐる。
気丈夫の老母は病院での診断も拒否し、ひ孫ともピントのずれた会話をしてゐる。
でもまあ、80も有に過ぎて、身体だけはなんとか丈夫さうな老母を、無理強いさせずにそれなりに見守ってゆかうと思ってゐる。
家人の、”男の人って、自分の母親がボケてゆくのを見るのって、ツライのよねえー”といふ言葉を背後に受けながらー。
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