やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

ムラヴィンスキーの「悲愴」、を聴く

2006-03-02 | 音楽を

エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハモニー管弦楽団による、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を聴く。

1960年の録音ながら、リ・マスターされたCDで、以前のLPやCDに較べると、はるかに音がやはらかくなり、透明感が増してゐました。

日常、チャイコフスキーの「悲愴」なんて、さう滅多に聴くものでもありませんが、本当にこの演奏は素晴しい。

竹、のやうに無駄のない、長身のムラヴィンスキーが紡ぎだす音は、やはり、孟宗竹のやうに、余分なものをそぎ落とし、妙な思ひ入れや恣意的な解釈を突き放し、
早めのテンポで、ダイナミックも大きく取り、そして、しなるやうなしたたかさを見せてゐる!

小生が愛するモントゥ-爺さんがステレオ初期に録音したボストン響との演奏のやうに、すっきりと、都会的に演奏してゐます。
曲が曲だけに、情緒てんめんとした演奏が多いのですが、やはり、繰り返し聴くには、ムラヴィンスキーのこの盤のやうに、太い筆で一気に書き上げたやうな演奏に限るやうな気がします。
それでも、いやそれゆゑ、見事にこの曲のもつ絶望感がひしひしと感じられるます。

同じディスクに、同時期に録音された第4番、第5番もあるのですが、5番の演奏も素晴しかった。
第二楽章のホルンが、旋律を引きずるやうに、哭くやうに演奏して、凍てついた景色を表現してゐるやうでした。





(写真は、ジャケット、より)




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2 コメント

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懐かしいですね・・・。 (koshi)
2006-03-28 22:57:56
またしても,ご無沙汰しておりました。

おまけに亀レスですみません・・・。



私もムラヴィンスキーとモントゥの三大交響曲を持っていますが(オリジナルジャケットではありません),仰るように確かにこの二種類の演奏は,すっきりとした純音楽的な点が似ているような気がします。

ついつい,レニングラードは帝政ロシア時代,西欧に開かれた港で,公用語がフランス語だったからでは,などと勘繰りたくなります。

ムラヴィンスキーの「悲愴」は第三楽章が快速な上に抉りが効いていて,痛快ですね。

個人的には,同時期の録音であるマルティノン~ウィーンpoが好きでした。

録音が篦棒に良かった記憶がありまして・・。



モントゥは,ラヴェルもドビュッシーも振ることのできる希有な指揮者でした(アンセルメやミュンシュはラヴェル,マルティノンやブーレーズはドビュッシーという気がします)。

私にとっては,最晩年にハンブルグの北独放響と録音した「ハフナー」,ベートーヴェンの4番,チャイコフスキーの5番(これのみCD無し),そしてロンドン響とのブラームスの第2あたりが「お宝」となっています。

勿論,初演者である「春の祭典」,「ベトルーシュカ」,「ダフニスとクロエ」も素晴らしいのですけど・・・(「シェヘラザード」とかドヴォルザークの第7とかも・・・)。
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koshi 様 (神丘 晨)
2006-03-30 07:47:59
今日は。

コメント、ありがたうござゐました。



マルティノンの演奏も、さう、都会的な演奏で、小生も愛聴盤のひとつ、です。



モントゥ-のブラームスの2番。以前にも書いたのですが、小生の宝、です。



また、お立ち寄りください。

よしなに。



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