やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

Bach Matth�・uspassion, BWV 244. VFCO Thomas Quasthoff Verbier Festival 2015

2016-04-17 | 音楽を
はるかに昔、深夜、酔いどれて帰宅し、何故か頭が冴えてゐてFMをかけると、その酔った身体に染み込む音楽が聞こへてきた。バッハの、『マタイ受難曲』だった。
番組ではすでに物語りは始まってゐて、けれどそのまま、三時間近く金縛りにあったやうに聞き続けた。
気がつくと、茫々の涙を流してゐた。

それ以来、『マタイ』中毒になって久しい。

市販のCDや動画で常に演奏を調べてゐる。


Bach Matth�・uspassion, BWV 244. VFCO Thomas Quasthoff Verbier Festival 2015


何かのフェスティヴァルでの演奏らしかった。
大きなホールで、結構な大人数で、物語は始められた。
誰の指揮だらうー? その姿は見へにくかった。

画面が変はったときに、はっと驚いた。

なんと、トマス・クヴァストホフ、だった。

さうか、サリドマイドの病の影響か、声楽をやめた、といふやうなことは知ってゐた、
なるほどでも、指揮といふ選択をしたかー。

彼のバッハ、ずっと以前、小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラで松本での渾身の『マタイ』の演奏がありました。
小生、小澤はあまり好きではないのですが、堂々とした演奏でした。
そのときのイエス役がトマス・クヴァストホフ、でした。

その小さな身体からしぼりだす、威厳のあるバスの声がとても素敵でした。
まさに、イエスの声が神の声に変はってゆきました。

それ以来、ある意味、色々な『マタイ』を聴いても、彼の声がひとつの指針となるほど強烈にこころに刻まれました。

指揮での演奏は、(調べましたら、スイスのユース・オーケストラのやうですが)それほど強烈に物語を作ってはゐませんが、幸いなことに主たる声楽の方々がどれも見事で、全体を引き締めてゐました。

演奏が終るや、やはりその苦労に報いるやうに、大きな拍手が途切れなく続いてゐましたがー。





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