ひと昔前、イングリッド・ヘブラーはモーツァルト弾きの女性ピアニストの
代表でした。
小生の棚にも、幾十人かのピアニストになるモーツァルトの協奏曲があります。
トンガってゐた頃のグルダの演奏も好きですし、
カーゾンのしっとりとした演奏も好きです。
ポリーニの演奏は意外に詰まらないし、
バレンボイムは、若い頃の録音の方がハツラツとしてゐます。等々。
その中で、ヘブラーのモーツァルト(旧録音)も悪くないな、
と最近思ってゐます。
特に、若いコリン・ディビスがバックをつけた演奏(26番)が、飛びぬけて
美しい演奏でもありませんが、ひと昔前の、清く、美しいモーツァルトの
姿が浮かんできます。
45年後の現在、色々なものが研究、発見され、また、暴かれて、
ピリオド楽器やその奏法も復刻されてゐる状況の中で、
ヘブラーのモーツァルトは、ある意味、生ぬるい演奏なのかもしれませんが、
心身ともに疲れたときには、適度な生ぬるさは何よりの馳走のやうな気がします。
代表でした。
小生の棚にも、幾十人かのピアニストになるモーツァルトの協奏曲があります。
トンガってゐた頃のグルダの演奏も好きですし、
カーゾンのしっとりとした演奏も好きです。
ポリーニの演奏は意外に詰まらないし、
バレンボイムは、若い頃の録音の方がハツラツとしてゐます。等々。
その中で、ヘブラーのモーツァルト(旧録音)も悪くないな、
と最近思ってゐます。
特に、若いコリン・ディビスがバックをつけた演奏(26番)が、飛びぬけて
美しい演奏でもありませんが、ひと昔前の、清く、美しいモーツァルトの
姿が浮かんできます。
45年後の現在、色々なものが研究、発見され、また、暴かれて、
ピリオド楽器やその奏法も復刻されてゐる状況の中で、
ヘブラーのモーツァルトは、ある意味、生ぬるい演奏なのかもしれませんが、
心身ともに疲れたときには、適度な生ぬるさは何よりの馳走のやうな気がします。
小生も、アシュケナージの盤は殆んど集めましたが、何故か、最近は聞きません。
内田光子も、同様です。
最近は、再び、ハスキルやゼルキンの、
意外とゴツゴツとしたものが、面白いと感じる
やうになってゐます。
きっと、単に歳のせゐでせうがー。
モーツァルトになっててびっくり!うわぁ。
(シューベルト即興曲Op.90 D.899です)
モーツァルトはお写真のジャケット見覚え
あります!きょうはなぜか行もガタガタで
見苦しく、大変失礼いたしました・・
ゆえに時折幼児がえり?したいよな気分になると
ヘブラーやリリー・クラウスを選んでしまいます
ねぇ。若い頃のバレンボイム、同感です。かれが
どんどん粘着な?弾き方になったのは残念。ポリーニも同感、ペトルーシュカやブレーズ第二ソナタではあの攻撃性にて本領発揮?してるか、と..
アシュケナージや内田光子のモーツァルトは如何
ですか?(自分はかつてかなりいれこんでました)