やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

その差…

2013-03-21 | 本や言葉


NHKの大河ドラマ『八重の櫻』を今のところ欠かさず見てゐますが(仕事の関係で、ほとんど、録画ですがー)、物語もいよいよ幕末の騒乱の模様になってきてゐます。

最近は、話が穏やかな会津の様子と、混乱を極めだしてゐる京都の話に終始してゐて、すこし物語りのワイド・レンジが狭くなって物足りないのですが、まあ、しばらくは我慢して見てゆくつもりです。

このドラマが始まって以来、小生、またぞろ幕末の本を沢山読みました。
そんななか『池田屋事件の研究』といふ新書ながら400ページの分厚いものを読みました。

その視点を、池田屋事件一点にしぼり、また、新撰組や会津側からの視点ではなく、長州側(やられた側)の視点で膨大な資料を駆使して浮かび上がらせるといふ、とても面白いものでした。

なるほど、巷間有名な事件ながら、池田屋自体が本当はどこにあったのか、どれほどの規模で誰が切り込みに入ったのか、誰が犠牲者になり、何人が死んだのか、逮捕されたものは何人だったのか、逃亡できたものは何人だったのかー、ほとんどはっきりとした事実が残ってゐない。

著者は、膨大な資料を選別しながら、なんとかおぼろげにその全体像を作り上げて行きます。
そして、いまさらながら感心するのは、当時の会津に較べて、長州側の時代感覚の一歩進んだ嗅覚です。

いたるところにスパイをまぎれこませ、情報収集に躍起になってゐます。
敵の敵は見方、といふ論法も駆使してゆく。

大河ドラマに描かれてゐるやうに、確かに、会津の武士は愚直には生きてゐますが、その先の展望が細い。

後年、戊辰戦争に巻き込まれた東北の諸藩との戦ひでも、倒幕軍がすでに連発の射程距離1キロ近くの外国銃を装備してゐるのに、ある藩では、兜をかぶり、旗印をたて、ほら貝を吹いて望んだ、といふー。
まるでお話にならない事実の基本は、やはり、情報収集力ではなかったのかしらん、と思ふ。