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西行と芭蕉の、それぞれの人生と、それぞれの歌を重ね遭はせるやうな本を読みました。
西行の『山家集』は、旧い岩波文庫のものが書棚にありますが、ぱらぱらとめくった程度でしたので、このたびまとめて彼の歌を読んだ想ひです。
混乱の時代、出家の理由はいまだ定かではありませんが、中流武士の地位を棄て、歌と漂流のやうな旅に生きた西行ー。
しかし、なるほど、当時から批判があったといふ、”反俗反僧”のやうなその生き方と、すこしなよなよしいその歌に、ある種、西行の限界があったのかもしれません。
そして500年後、その西行を心の師と仰ひで『おくの細道』といふ名作を残した芭蕉の方が、その短い文字列の中に、この世の中の森羅万象とこころの揺れ動きをスコーンと落とし入れたその妙技に、信服せざるをゑない。
また、ともに山形の地を踏んだふたりが、西行は滝山の紅色の櫻を見たでせうし、芭蕉は、山寺から滝山へ足を延ばすつもりもあったらしいのですが、花の季節はとっくに終ってをり、知人たちの言葉でその足先を出羽三山へ向けてしまふ。
そんなふたりが、500年の時空を越えてすれ違ふ姿を想ふと、滝山の大山櫻もまた、格別な姿になります。
↓結構前の、滝山の大山櫻
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