やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

Otto Klemperer conducts Tchaikovsky Symphony No. 6 "Pathetique"

2013-03-19 | 音楽を
日常、チャイコフスキーの6番《悲愴》を居住まひを正して聴くことも少ないけれど、名盤的なものは結構棚に詰まってゐます。

まあ、ムラヴィンスキーの絶対的な、鋼のやうな演奏は最右翼でせうが、小生は、マルティノンがヴィーン・フィルと録音したものや、敬愛するモントゥー爺さんがボストン交響楽団と録音したふる~いけれど、とてもお洒落な演奏が今でも好きです。

いつもFlacファイルでパブリック・ドメインの録音を提供して頂いてゐるサイトで、クレンペラーによるチャイコフスキーの6番がUPされて、早速聴いてみました。

クレンペラー信者の小生ですが、LP時代から集まってゐたものは、バッハやモーツァルトやベートーヴェンやブラームスやマーラーやブルックナーやヴァーグナーやメンデルスゾーンや…と、ドイツ音楽のほぼ本流の演奏ばかりです。

LP時代でも、チャイコフスキーの録音は買ってもゐませんでした。
特に理由もないのですが、”クレンペラーで、チャイコフスキー?”といったところでした。

今回、初めて聴いてみて、ウロコは一枚落ちました。

Otto Klemperer conducts Tchaikovsky Symphony No. 6 "Pathetique"


まるでチャイコフスキー的な演奏ではなく、もっぱら”クレンペラー的”なその演奏に感服しました。
もちろん、間違っても”名盤”にはならない演奏です!。
まるで、ブルックナーのやうな、深遠な演奏です。

甘く、切ない、悲哀のやうなものはスッパリと切り落とし、先ほどのサイトの管理者の言葉のやうに”鬼のイン・テンポ”で粛々と音楽が進まれる。

色々な指揮者が高じる、あちらこちらでテンポを動かしたり、弦を哭くやうに響かせたり、とかの仔細な芸当は一切拒否し、”イン・テンポで、何が悪い?!”とばかりの王道の演奏です。

まあ、これから先、このクレンペラーの演奏も、さう滅多に聴くこともないでせうけれど、ヤワな演奏に出会った時には、”老人力”の凄みを再認識するには格好の演奏になると思ひます。