やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

どちらも、素敵で…

2012-05-12 | 音楽を
モーツァルトの交響曲のディスクは、数へたこともありませんが、数百枚くらゐはあるのかもしれません。

多聞にもれず、後期の作品が多いのですが(全曲集は、レヴァイン/ヴィーン・フィルの演奏しかありません)、その中で小生のベスト3は、豊穣の響きに満ち溢れるクーベリック/バイエルン放送響、ストイックにそぎ落とされたセル/クリーブランド管、如何にも英国風な上品さが漂ふブリテン/イギリス室内管、の演奏です。

その次あたりに、マッケラス侯がプラハ室内管を指揮した、眼からウロコが25枚ほどこぼれ落ちた演奏があります。

その、サー・チャールズ・マッケラスが、スコティッシュ室内管を振っての再録音で後期の作品を聴きました。
圧倒的に、素晴らしい!!

以前もさうでしたが、モダン楽器でのピリオド奏法で、徹底的に計算されただらうそのメリハリの確かさが、それゆゑの、以前には少なかった際立った美しさを生んでゐます。

かつて、モーツァルトの時代、交響曲の扱ひはまだ序曲の延長線上で、第一楽章で始めて、途中にオペラのアリアを存分に入れ、最後に終楽章をー、みたいなことは平気でやられてゐたやうです。

マッケラスの演奏は、まさにそんな雰囲気で、とても祝祭的な演奏です。
小林某氏が云った(らしい)”疾走する悲しみ”のモーツァルト像はきはめて近代の、それも日本のイメージで、当のモーツァルトはそれどころではなく、料理人より下の地位で、”食ふ”ために次々と受けのよい作品を書き散らしてゐたー。

そんな、苦渋に満ちた、でも必死に音楽に生きるよすがを求めてゐただらう生身のモーツァルトの姿を生き生きと再現させる演奏です。

MOZART Symphony no.38, K 504 ''Prague''.wmv




そして、ヨッフム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管の1960年頃の演奏を聴くことが出来ました。
この組み合はせでは、ベートーヴェンの全集が素晴らしいのですがー(LPでは全曲ありますが、今は、聴けません…涙)。

大掛かりな演奏ですが、このオーケストラがインターナショナルになる前の、この頃のコンセルトヘボウ管の美しさが見事にモーツァルトを演じてゐます。

Eugen Jochum, 1961 - Mozart, Symphony No. 38 in D major, K. 504 "Prague"