いつの頃からか、年末になると、第九、ではなく、バッハの「マタイ受難曲」が聴きたくなります。
そもそも、初めて「マタイ」をまともに聴いたのは、20年ほど前の、確かに、年末でした。その前に、コンサートでも聴いた覚えはありますが、当時は、長大で半分寝てゐたやうな記憶もあります。
送別会だったか、忘年会だったか、そのあたりははっきりと覚えてゐませんが、酔ひつぶれて家に戻った時でした。ふと、FMをかけると、「マタイ受難曲」が始まってゐました。
引きずるやうな一曲目の合唱が、酔った小生の耳にすっと入ってきました。
手元にレコードも、対訳もなく、でも「この音楽は何なのだ!」と醒める酔ひにまかせて終章まで聴き終へました。
時間は深夜をはるかに過ぎ,大団円の「涙ながらに跪き」の合唱が終はっても、物音ひとつしないラジオから、やがて、数分の後にぽつりぽつりと拍手が起こり、うめくやうな声が拍手に混ざってゐました。
それ以来、この3時間の音楽は、小生を見放すことなく、ディスクは増える一方です。
年末に「マタイ」を聴くこと。
小生にとっては、生きてきてしまったその一年を悔やみ、生きてゆかなければならない一年に覚悟する、そんな意味を持ちます。
リヒターの1958年の名盤は少し重く、コルボズは冬には一寸…、で、ヨッフムがコンセルトヘボウと録音した1965年の盤を聴いてゐます。
穏やかで、合唱も素敵で、肩の力を幾らか抜いて聴ける録音です。