日曜夜8時といえば、小中学生時代はNHKの大河ドラマと決まっていました。1970年代の事でしょうか。当時は日本史に詳しくないながらも、「樅の木は残った」、「天と地と」といったいまだに名作と言われる大河ドラマがあり、印象に強く残っています。しかし大人になってからはとんと見なくなりました。長丁場のドラマを毎週見れる身分でなくなった事もありますが、あまり面白いと感じなくなった事も大きい原因です。
ところが昨年ひょんなことから「女城主直虎」の第一回目を見たら「面白い」と感じてしまい、毎週楽しみに見るようになりました。昨年の「直虎」は期待を裏切らず、最終回まで次はどうなることかとワクワクしながら見る事ができました。家康や信長との確執など、歴史の新しい解釈(こういうのも有りかな)が楽しく、また今まで光が当たらなかった今川氏真などの人物像を描いた所も新鮮でした。
新しい大河の姿を見せた直虎 途中退場なのに存在感抜群だった小野政次 したたかに生き抜いた姿が新鮮な今川氏真
次の年は明治150年を記念して「西郷隆盛」の生涯か、と非常に期待して今年の大河が始まるのを待っておりました。しかし・・今年の大河は「大外れ」であります。まず人物がつまらない、ストーリーにワクワクしない、画面に工夫がない。今年の大河のダメ出しについてはいろいろな所で語られていますので、詳細は省きますが、一番の欠点だけ指摘しておきます。
「主要な人物の生き方のバックボーンを描かない事」
今年の西郷は「皆から愛される西郷」を描く、と脚本家が述べたということですが、西郷隆盛は自身の損得や出世よりも「天に向かって恥じない生き方」を常にしてきたと思います。江戸の街をわざと荒らしたり悪い事もかなりやりました。しかしそれは他国に侵略されない新日本を作るという島津成彬の理想を実現しようとする過程における手段として行って来た。そのような「天に向かって恥じない」所こそ皆が愛した理由だとして描くならば見応えがあるのですが、毎回「表面的な良い人ぶり」「民のため」とか「戦争は否」とかそのような台詞で皆に愛されるという描き方では全く説得力がありません。底知れない悪い事もするけどよく見て行くと「天に恥じない生き方」が通奏低音として見えてくる、といった描き方こそが1年を通じてドラマを作る大河の醍醐味でしょうに。このドラマは複雑な幕末の薩長・幕府・朝廷の事情や考え方、事件を殆ど説明することなく、適当に西郷の周辺に起こった事だけを繋いでドラマが進んでゆくので、幕末とは、明治維新とは、といった中身は自身で勉強するか、時代背景は考えず無視するかしないとさっぱり理解できない造りです。おまけに「侍」というものの魂を全く無視しているので簡単に仲間内で刀を抜いたり、上の者に刀を向けたりします。そして役中の善玉悪玉の区別が小学生並みに明らかすぎる。遠山の金さんや水戸黄門でももう少し丁寧な造りをするのではないかと残念に思います。
この銅像も薩長史観に基づく
一寸良い所
最近は新しく見つかった資料を元に史上語られて来た薩長主観による明治維新の見直しがなされて来ています。勝てば官軍で薩長によって新しい斬新な思想の明治政府が作られた。征韓論に敗れた西郷は不満分子に祭り上げられるようにして西南戦争を起こして死んだ。そこで古い体制が終焉して帝国日本が築かれて行った。とされていますが、実際の明治政府はグダグダであったし、幕府の方に私利私欲に捉われない優れた頭脳の知識人が多数存在していた。西郷は征韓論には反対であり、西南戦争も政府を諌めに旅立った西郷をかねて用意周到準備を整えていた政府軍が一方的に成敗した、というのが本当の姿だったようです。このドラマの良い所は、わずかですが端はしにこの新しい解釈を入れている所です。第一回目冒頭の上野の西郷さんの銅像除幕式で3番目の妻「いと」が「あの人はこんな人ではない!」と叫ぶ場面から始まるのですが、このストーリーは本当のようで、「犬をつれてウサギを追っている暇人」ではなく、「常に軍服に身を固めて天に恥じず生き、背筋を伸ばし天下のために生きた人」だというのが「いと」にとっての西郷だったということです。しかし明治新政府にとってはその西郷を銅像にすることは不可であった(実際に軍服姿のものから作り替えたそうです)。その西郷の真の姿が1年のドラマで見られるかと期待したのですが、大外れだから残念至極なのです。