昨今、まんが「はだしのげん」閲覧問題や、国連の事務総長までが歴史認識について言及をするようになり、歴史というものが世間を騒がす事著しいと感じます。ドイツの鉄血宰相で知られるビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったとされていますが、要は歴史を学ぶ意義とは、歴史を教訓として(自らが)同じ間違いをしないようにしましょう、という意味であると理解します。少なくとも、歴史の一方的な見方を他人に強要することで自分が有利な立場に立ったり、相手から金品を強奪する方便に使ったりするような「はしたない真似」をするために歴史があるわけではありません。歴史とはあくまで内省的に自らを嗜め、自らを高めるためにあるものだと理解します。
加藤陽子氏の「それでも日本人は「戦争」を選んだ」朝日出版社2009年刊 は私立の名門、栄光学園において戦争を中心にすえた日本近代史の授業を生徒達と共に考えながら進めるにあたって、当時の日本の為政者の立場、当時の日本のおかれた環境や政治状況を考慮しながら、何故このような選択を為政者達がしてきたのかを考える内容になっています。私はこれこそが「歴史を学ぶ意味」を示す優れた歴史書だと思います。戦争に負けて酷い目にあった、アジアを侵略して酷い事をした、のは現在の価値判断から見て戦前の日本人が「バカ」だったからで済ませてはいけません。当時の第一線の人達がそれなりに熟考して考えた結果が、大きな失敗となったのですから、戦後の日本人が未来において様々な判断を下してゆく上で同様な誤りを冒さないためには当時の俊才達が知恵を絞って出した結論のどこが問題だったのかを検討して、現代の問題への対応に教訓を生かさないといけません。それを行って初めて我々は将来の日本人達に正しい未来をつないで行く事ができるというものです。未来の日本人が「それでも日本人は『原発』を選んだ」とか「それでも日本人は『改憲』を選んだ」といった本を、反省をこめて書かなくて良いように我々は将来を見据えた選択をしてゆくべきです。
現在学校教育で使われている教科書にも、様々な問題があるのではと、自分の子供達の教科書をめくってみて感じます。教科書における歴史の記述では、語彙の正しい使用も学ぶ学生達の誤解や間違った理解を避けるために大事だと思います。例えば、戦前の日本を「ファシズム」体制と規定する記述が見られますが、ムッソリーニやナチスにおける政治綱領としてのファシズムと日本の天皇制を軍が専横した体制とは明らかに異なるものであって、一緒くたに「ファシズム」というくくりで戦前を学ぶと「戦前は悪かった」といった単純な善悪説くらいしかイメージとして描けず、将来に活かせる教訓が得られなくなる危惧があります。丸山眞男は「日本型ファシズム」といった語彙を用いて違いを述べていますが、どこか不自然であり、ファシズムという語彙を戦勝国側が押し付けたから仕方なくその言い方をしたようにしか見えません。
他にも併合した朝鮮に対して「植民地支配」をしたという記述があるのですが、「併合」と「植民地化」は英語でも異なる語彙が用いられており、意味も異なります。これも朝鮮に対して誤った歴史認識を日本の学生達に植え付ける元になると考えます。併合は一個人にとって見ると、併合された国の国民になるのであるから比較的緩やかなもの(精神的には別です)ですが、国家にとっては存在そのものの消滅になるのですからより苛烈な内容になります。寿命は短いものでしたが、満州国は日本の植民地と言ってよい状態だったと思います。満州国国民は日本人の扱いは受けなかったはずです。しかし沖縄に住む人が日本人であるのと同様、現在ハワイやグアムに生まれた人はアメリカ市民ですし、当時の日本国・朝鮮で生まれた人は日本人でした。私の母がそうです。返還前の沖縄で生まれた人は日本とアメリカの国籍を返還後選ぶことができました。帝国主義列強のアジア・アフリカに対する植民地支配はそのようなものとは異なります。
併合された状態から戦後独立した国に住む人は、一般的に併合していた国に「悪い感情」を持っているようです。私は、米国留学中オーストリアからの留学生と数人友人になりましたが、彼らは同じドイツ語を話すのに押し並べてドイツ嫌いでした。私がドイツ語で話しかけても敢えて英語で答えるという感じです。一方でドイツ人の友人は別にオーストリアを嫌っている様子はありません。多分それはソ連から90年以降分離独立した国々についてもいえるのではないかと思います。だから韓国人達が日本人を悪し様に言うのは解らないではないのですが、「併合」を「植民地」とわざと違う教育をするのは明らかに誤りです。朝鮮の人達は戦時中、日本軍として連合国と戦ったのが正しい歴史です。
併合された状態から新たに国家を作った場合には、無から始まった新生国家として様々な努力をしてゆかねばなりません。韓国はどうも日本に戦前侵略されて、併合されたのではなく、植民地として管理され、第二次大戦で連合国と共に日本に対して戦って自由フランス軍のように戦勝国として戦後を踏み出したという間違った認識を通したいように見えます。「併合自体が違法だった(つまり併合の事実はなかった)」といった事も最近言い出しています。確かにその方が一寸かっこいい。しかし、南北朝戦は日本国の一部であった朝鮮半島を連合国が二つに分割して信託統治をする上で作られた国家なのであって、「朝鮮民族が自らの意思で築いた国家ではない」という根本的な認識がないとその後の展開が全て誤ってしまうのです。
私は、朝鮮戦争は朝鮮民族にとっての独立戦争であった、という認識を度々ブログでも披瀝していますが、初戦の北が釜山まで攻め込んだ時に独立を宣言して終了していれば北を中心とした共産国、仁川上陸後鴨緑江まで攻め上げた時に終了していれば韓国を中心にした統一朝鮮が実現していたのです。彼らが戦勝国の代理戦争ではなく、自分達の独立戦争として朝鮮戦争を戦っていれば、統一朝鮮は他のアジア諸国が独立していった時期と同じ時期にできていたことでしょう。つまり併合後の独立という「無から国を造る」歴史認識がない事が現在の南北離散の悲劇にもつながっているように思えるのです。
高校3年の息子の夏休みの宿題に「マルサスとリカードの論戦についてまとめて考察しなさい」というのがありました。私には何の事かさっぱり解らなかったのですが、ネットなどで調べてみると、「リカードの完全自由貿易」と「マルサスの自国の農業を保護する政策」について100年位前に行われた討論のようで、要は日本のTPP問題に関連した歴史的考察を求めている事が解りました。何とも時宜を得たレベルの高い宿題だと感心したのですが、その後の展開を見る限り欧州においては「農業保護」が結論として選ばれて現在も支持されていることが解ります。アメリカ様の言う通りにしておけば良いというのは経験に学ぶことでしょうが、歴史に学ぶ賢者はTPPにおいて農業をどうするべきか(そもそもTPPなどというものが将来に渡って日本の国益にかなうか)明らかだろうと思われます。今の高校の先生、なかなか素晴らしい。