rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

メディアは何故体制寄りか

2016-12-05 22:13:04 | 社会

米国の大統領選におけるクリントン候補一辺倒であったメディアの報道姿勢や、2度目の安倍政権になってからの日本のメディアにおいても、メディアの報道は体制寄りが著しくなっているように感じます。戦後から20世紀末までのメディアは朝日の慰安婦報道のように明らかな嘘を交えても反体制的な報道をしていたように思います。私が若い頃は体制側の視点に立って冷静適確に世界情勢や日本の政界を分析したメディアに飢えていたように記憶しています。学生時代には現在休刊になってしまいまいたが、時事通信社の世界週報を毎週購読して読んでいました。それでもたまに北朝鮮の主体思想がいかに素晴らしいかみたいな記事が載っていたりして、違和感を覚えることもありましたが。

 

現在のマスメディアは「比較的まとも」と評価して購読している東京新聞でもTPPを表立って反対していませんし、「クリントン当選危うし」と言う姿勢で米国大統領選を報道していました。

 

日米のメディアが何故かくも「体制寄り」になってしまったのかについての分析は種々あります。○景気が悪くてスポンサーの意向に反する報道がしにくくなった。 ○社会の敵とされるテロについての情報が体制批判が強いと政権側からもらえなくなる。 ○日本ではメディア幹部が政権側と寿司友の関係で握られている。 ○ネットを中心とする情報手段に押されて体力が落ちている。といったことが言われていますが、それだけではやや説得力に欠ける気がします。いくら生活がかかっているから、上司が体制側と握っているからといって、それだけでメディアの現場全てが体制側に則した報道しかしないのではさすがに従事する人達が生涯の仕事としてのインセンティブを保つことができないと思います。私はこれらに加えて、体制側が所謂「政治的正義」(politically correctness)を前面に押し出しているからメディアが表立って反対しにくいという面があるように思います。

 

政治的正義(PC)は民主主義の推進、差別の禁止などに代表されますが、社会主義経済が崩壊してしまった時に資本主義の勝利(民主主義の推進とセット)、資本主義に基づくグローバリズムの推進(偏狭なナショナリズムや差別主義の否定とセット)といった題目がそのままPCとなって無批判にメディアが報ずる事になって行ったのではないかと思われます。私は20世紀的な右翼左翼の定義は現在通用しないと以前から指摘していますが、20世紀的な左翼リベラルの主張は政府による規制の批判であったり、国家の垣根を否定してグローバルに自由に行動する事であったりしたので、21世紀における「体制」のありようがかなり20世紀的な左翼リベラルの主張と一見合致してしまって、これを批判することが20世紀的には忌避されるべき右翼思想に見まがう状況になってしまっているのではないかと思われるのです。

 

トランプ対クリントンなどまさにPC的にはクリントンを応援していれば批判される事はない状況であったと言えます。トランプは「選挙に不正がある「ISを作ったのはオバマとクリントンだ」と本当の事を訴えましたが、PC的には「陰謀論者」として相手にしないのが正しい扱いでした。メディアがその気になって調べればいくらでもトランプの主張の証拠を示すことができたにも関わらずです。

 

「韓国の朴大統領は全て素人のおばさん(崔順実)のご託宣どおりに政治をしている。」などと1年前に報道したらまさに「陰謀論」「デタラメで名誉毀損」などと一笑に付されたことでしょうが、今では疑う人もない真実です。米国の911やアラブの春の米国政府の関与、ウクライナのマイダンの米国が関与した非民主的な経過など、今後どこまで明らかになるか解りませんが、米国体制側から金をもらっていなかったトランプが政権を握ったことで、これらの内実がどこまで明らかになるか、メディアが陰謀論として封じて来たことがどれだけ表に出てくるかが楽しみです。勿論全てが明らかになることはなくて、トカゲの尻尾切りのような状態にはなるでしょうが、先日ラジオの番組で体制的とされるNational Public Radio (NPR)の地方コメンテーターがトランプの当選を受けて、日本のメディアインタビューで「アメリカ一般市民の意思を完全に見誤っていたことは真摯に反省している。」と暗にPCのみに着目していた選挙期間の報道を否定する発言をしていたことに感心しました。また「トランプの当選後特に少数民族者への迫害が強くなったとは感じない」とPCに基づいてトランプ当選後の悪影響を伝えるメディアを否定していたことも印象的でした。メディアにもまっとうな人は沢山いるに違いないと思います。真実と思われる事象を報道することに自己規制をかけずにできるかの問題なのだと思います。

コメント
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