rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

政府は正しいインフォームドコンセントを

2011-04-13 21:19:08 | 社会

我々医者の世界では以前「ムンテラ」と称していた患者さんへの説明を「インフォームドコンセント」と言い換えるようになりました。それは医療のパターナリズムに基づく「患者は素人なのだから専門家である医者の言うことをそのまま受け入れれば良く、それが患者の幸せにもなる」という古くからの考え方で病気の説明を「治療の一部」と考えて「口述治療=ムントテラピー」と言っていたのに対して、後者は「患者は自分の状態を正しく知る権利があり、治療内容も納得した上で内容を選択し、自分の人生を自分で決めることが正しいありかたである」という患者中心の医療という考え方になったことを示しています。 

 

以前は「患者が不安を抱くから」ということで患者自身に癌を告知することはなかったのですが、現在では原則告知することが義務づけられています。癌を宣告されれば当然パニック的になるし、人生お先真っ暗になって落ち込みますが、それを乗り越えることで病気と戦う、或いは病気を受け入れて共に生き、人生を有意義に過ごすことに目覚めてゆくことが患者さんに求められます。医療者は患者さんが納得しなければいかなる治療もできませんし、患者さんが病気を受け入れることを家族とともに助けることも大事な職務といえます。 

 

翻って今回の震災、特に原発事故関連の事象について、政府・マスコミは我々主権者である国民に正しいインフォームドコンセントを行なってきたでしょうか。「癌であることを告げて、最悪命に係わるが現状ではこれこれの治療の選択肢があり、それぞれの利点欠点はこのようで、どのくらいの時間と費用がかかり、結果としてどのようになる。」という正しい説明をしてきたでしょうか。

 

インフォームドコンセントを行なうにあたり、安易に「大丈夫です」という言葉は禁句です。医療はごまかしが効きません、大丈夫と言って問題が起れば「医療ミス」として責任を問われます。まして上手く行っていない状態を隠して、誤魔化しきれない状態になって「実はこうでした」と説明した場合、患者さんから訴えられることも覚悟しないといけません。だから上手く行かない時も批難を覚悟でその通り説明します。精神的にもけっこうしんどいですが、それが医者の厳しさだろうと思っています。

 

もう一つ大事なことは、医学的に解らないことは「解らない」とはっきり告げることです。解らないことを解らないと言うためには普段から良く勉強して知識を吸収していないといけません。単なる不勉強で解らないでは専門家として不合格ですし、解らないくせに「大丈夫」とか適当なことを言うのは持っての他です。

 

政府(厚労省)もマスコミも我々医療者を叩きに叩いて「患者中心の医療と正しいインフォームドコンセント」を行なうよう強制してきました。しかしインフォームドコンセントの考え方を全く理解していなかったのは政府とマスコミ(と東電ならびに御用学者の皆様)ではないでしょうか。普段からインフォームドコンセントを行なっている立場から言えば、多くの日本国民は厳しい状態も正しく認識して受け止め、正しい対応を冷静に取る知性が十分にあると思います。

 

今からでも遅くないから、政府マスコミは正しいインフォームドコンセントを行なって欲しい、今までの対応に私は猛省を促します。

 

コメント (2)
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