この土日は消費者行動研究学会(JACS)に参加した。場所は関西大学・・・といっても「関大前」のキャンパスではなく,高槻ミューズキャンパス。社会安全学部という新設学部の入っている真新しい豪華な建物で行われた。ちなみに大阪で生まれ育ったぼくだが,高槻で降りたのは初めてである。
様々な発表に刺激を受けたが,白眉は2日目の午後に行われた招待講演ではないかと思う。講師の西尾久美子先生(京都女子大学)は京都花街への参与観察を行い,興味深い知見を得ている。そこでは顧客が舞妓・芸妓を育てるとともに,逆に顧客も育てられる。関連業者間の相互評価も厳しい。
「一見さんお断り」は単に金持ち相手の秘密クラブを作るためではなく,顧客とともに育っていくシステムとして機能している。クローズドなシステムが先細りになるのを防ぐため新規顧客を獲得する努力が種々なされているし,また舞妓を全国から採用・育成していくシステムも整備されている。
人気のある芸妓さんの特徴は「座持ち」という言葉に集約される。その状況に合わせ,いかに隅々まで気を配り,顧客を満足させるか。顧客の情報を徹底的に集めて分析するというより,何気ない仕草や会話の一端から深い洞察を得る。そこでは経験と想像力の役割が極めて重要だと想像する。
京都の花街というのは,歴史的にも地理的にも特殊であり,その単一事例からどれだけ一般的な教訓が得られるのだろうか。事例研究を支持する立場では,特殊事例を掘り下げることでこそ(ある種の)普遍性に近づくことができると考える。最近,ぼくもこの考え方に共感するようになってきた。
貧困を救う寄付を求めるのに,客観的な統計数字より,たった一人の貧窮した子どもの事例を見せたほうが成功率が高いことを示した実験がある。人間はより具体的なものに説得されると。ということは,人間は稀少だが具体的な事例から「本質」を学ぶ能力を持っているのではないだろうか。
この学会の研究報告には統制実験を行ったものが多い。実務的な問題意識から出発して抽象的な仮説を立て,それを検証するために何か具体的な刺激を構成する。たとえば広告における色彩の効果を検証したいのなら,何らかのフルカラー広告を提示し,その白黒バージョンと効果を比較する。
確かに図柄が同じなので色彩以外の要因は統制されているように見えるが,配色の仕方は一様でないし,図柄との交互作用がある場合は得られた結果を一般化できない。したがって実験の再現性は必ずしも高くならない。そこで結果のばらつきを説明する別の要因を加える方向で研究が進展する。
そうした努力の結果,再現性の高い命題に到達できるのならいいが,実際には議論が細分化・複雑化していくことが多いように思える。だから,そうした実験は無意味だといいたいのではない。それは特定の具体的状況における1つの「事例」を研究したと理解すればいいのではないか。
実は実験もサーベイ調査も,大量データのモデル分析でさえも高度に複雑な現象の一断面,1つの特殊事例を研究しているにすぎないのでは。鍵はそこから普遍性に迫れるかどうかだ。一見矛盾しているようだが,人間は進化の過程でそうした能力を獲得したのではないかと思う(検証不能だが)。
もうひとつ,西尾久美子先生の講演,また前日の和田充夫先生の発表を聞いて感じたことは,自分の好きなこと,燃えることを(ある程度内在的に)研究することこそ,素晴らしい研究成果を生み出すのではないかということだ。和田先生の場合,いうまでもなくそれは宝塚ファンの心理である。
ぼく自身は今回「アフィリエイト広告」についてブロガー側の意識調査をショートで発表した。自分自身ささやかなアフィリエイトではあるが,それほどのめり込んでいるわけではない。いい研究をするためにはもっとブロギングやアフィリエイトに燃えなくてはならないのかな・・・。
・・・などと,個々の研究発表からかけ離れた妄想に浸ったという意味では,刺激的な学会であったといえる。
様々な発表に刺激を受けたが,白眉は2日目の午後に行われた招待講演ではないかと思う。講師の西尾久美子先生(京都女子大学)は京都花街への参与観察を行い,興味深い知見を得ている。そこでは顧客が舞妓・芸妓を育てるとともに,逆に顧客も育てられる。関連業者間の相互評価も厳しい。
「一見さんお断り」は単に金持ち相手の秘密クラブを作るためではなく,顧客とともに育っていくシステムとして機能している。クローズドなシステムが先細りになるのを防ぐため新規顧客を獲得する努力が種々なされているし,また舞妓を全国から採用・育成していくシステムも整備されている。
人気のある芸妓さんの特徴は「座持ち」という言葉に集約される。その状況に合わせ,いかに隅々まで気を配り,顧客を満足させるか。顧客の情報を徹底的に集めて分析するというより,何気ない仕草や会話の一端から深い洞察を得る。そこでは経験と想像力の役割が極めて重要だと想像する。
京都花街の経営学 | |
西尾久美子 | |
東洋経済新報社 |
京都の花街というのは,歴史的にも地理的にも特殊であり,その単一事例からどれだけ一般的な教訓が得られるのだろうか。事例研究を支持する立場では,特殊事例を掘り下げることでこそ(ある種の)普遍性に近づくことができると考える。最近,ぼくもこの考え方に共感するようになってきた。
貧困を救う寄付を求めるのに,客観的な統計数字より,たった一人の貧窮した子どもの事例を見せたほうが成功率が高いことを示した実験がある。人間はより具体的なものに説得されると。ということは,人間は稀少だが具体的な事例から「本質」を学ぶ能力を持っているのではないだろうか。
この学会の研究報告には統制実験を行ったものが多い。実務的な問題意識から出発して抽象的な仮説を立て,それを検証するために何か具体的な刺激を構成する。たとえば広告における色彩の効果を検証したいのなら,何らかのフルカラー広告を提示し,その白黒バージョンと効果を比較する。
確かに図柄が同じなので色彩以外の要因は統制されているように見えるが,配色の仕方は一様でないし,図柄との交互作用がある場合は得られた結果を一般化できない。したがって実験の再現性は必ずしも高くならない。そこで結果のばらつきを説明する別の要因を加える方向で研究が進展する。
そうした努力の結果,再現性の高い命題に到達できるのならいいが,実際には議論が細分化・複雑化していくことが多いように思える。だから,そうした実験は無意味だといいたいのではない。それは特定の具体的状況における1つの「事例」を研究したと理解すればいいのではないか。
実は実験もサーベイ調査も,大量データのモデル分析でさえも高度に複雑な現象の一断面,1つの特殊事例を研究しているにすぎないのでは。鍵はそこから普遍性に迫れるかどうかだ。一見矛盾しているようだが,人間は進化の過程でそうした能力を獲得したのではないかと思う(検証不能だが)。
もうひとつ,西尾久美子先生の講演,また前日の和田充夫先生の発表を聞いて感じたことは,自分の好きなこと,燃えることを(ある程度内在的に)研究することこそ,素晴らしい研究成果を生み出すのではないかということだ。和田先生の場合,いうまでもなくそれは宝塚ファンの心理である。
ぼく自身は今回「アフィリエイト広告」についてブロガー側の意識調査をショートで発表した。自分自身ささやかなアフィリエイトではあるが,それほどのめり込んでいるわけではない。いい研究をするためにはもっとブロギングやアフィリエイトに燃えなくてはならないのかな・・・。
・・・などと,個々の研究発表からかけ離れた妄想に浸ったという意味では,刺激的な学会であったといえる。