山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

今どきの子は泳がない

2024-08-11 14:23:06 | 日記2024

私には小学生の孫が2人いるのだが、夏休みだから遊園地のプールや海水浴なんかに行くのかな?と思って聞いてみた。

そうしたら、そんなところは行かないとの娘(孫の母親)の返事。

娘がプールが嫌いなんだそうだ。なんたる母親なのか、と思うわけだが、孫たちも特段プール遊びをしたいとは思わないようである。

あれっ~子供って水遊びが好きなんじゃなかった?浮き輪を持っていって波のプールでプカプカ浮いたり、滑り台から滑り降りたり、普通そういうところに行きたいと思うんじゃないのかな?

じゃあ、行楽地には行かないにしても、学校プール解放とかあって行っているの?と聞くと、学校はクラスが各学年3クラスくらいあって、人数が多すぎるのでそんなに開放はしない(割り当てが回ってこない?)とのこと。要するに、もしあっても行かないらしい。

で、高学年の孫は泳げるのか?と聞いたら泳げないそうである。
同級生は泳げるのか?と聞いたら、プール教室に通っている子たちは泳げるそうだ。孫の場合は、わざわざ月謝を払い時間をかけてまでプールに通わせる気はないとのことである。

そして、現代は、あまりにも暑すぎる故、泳ぐとすれば屋内プールであって、炎天下でのプ-ル遊びなんか考えられないそうだ。紫外線を浴びて身体に悪いし、熱中症になってしまうので、水遊びなんかは全くする気はないのだそうだ。

へえ~そうなんだ。
昔は夏休みといえば海水浴だったけどな~

それに昔はお姉さんたちが背中にオイルを塗って海岸に寝ていたもんだけどね。

もうそんな時代じゃないんだね。

私の子どものときは、麦藁帽子をかぶって、ゴム草履履いて、水着とタオルを持って海に行ったもんだ。
海で泳いだら、波打ち際に座って池を作って遊んだもんだ。

そしてまた泳いだ。筏まで泳いで行った。
筏は海岸から25mのところに浮いていて、もう足もとどかないので高学年しか行けないのだ。

あの頃は楽しかったなあ~。

小6のときは、漁港の堤防から海水浴場まで遠泳もしたし、やはり「我は海の子」だったんだな~

・・・

娘たちが子供のころも、昭和記念公園のプールに連れていったり、渓流広場で遊ばせたりしたもんだ。

娘たちは幼稚園に入る前からスイミング教室に入っていて、週に1回通っていた。小学校低学年でやめちゃったけど、今聞くと水泳は好きじゃなかったそうだ。

そうだったのか~

船が沈没したときなんかは、泳げた方がいいと思うけど、そんなことに遭遇することは滅多になく、それだけのために水泳を身に着ける必要はないと判断しているそうである。

時代は変わった。

 


あの夏の海の記憶

2024-08-11 11:40:58 | 音楽

今日の一言のお題は「夏に聴きたい曲」
私は、音楽はあまり趣味がないので、これと言って思い浮かばなかった。

夏っぽい曲と言えば、サザンの「勝手にシンドバット」とか、松任谷由実の「真夏の夜の夢」が浮かんだけど、特に好きなわけじゃない。

そういえば、ほとんど何も連想されない中、子供の頃、地元の海に泳ぎに行ったときに、海の家のスピーカーから大音響で流れていた歌を思いだした。

奥村チヨ 「恋の奴隷」 1969

それは、奥村チヨの「恋の奴隷」だ。
調べてみると1969年1月に発売されたらしいので、きっとその夏にヒットしていたんだろう。

そのときの鮮明な記憶といえば、

私が海のずっと沖のほうに泳いでいき、波に漂いながら振り返って岸のほうを見ていた。

太陽がぎらぎらかがやいていた。

最近知ったことだが、故郷の海は北向きで、沖から岸を見ると南方向だ。

だから逆光なのだ。

はるか遠くに海水浴場が見えて、海の家がある。

さすがにあまりにも沖まで泳いできてちょっと心細かった気がする。

人の声なんか聴こえない距離なんだけど、そこから奥村チヨの「恋の奴隷」が朗々と流れていたのだった。

そうして、私はその岸に向かって戻っていった。

あの一瞬の光景と歌が忘れられないのだ。

今聞いてみるとすごい歌詞である。女が男好みの女になりたいだと。悪い時はどうぞぶってだと。

暴力男か。確かに女が奴隷になりたがってるわけなんだからな。

そんな歌詞なんか関係なくって、とにかく、当時の夏は音質の悪いスピーカーから、イケイケどんどんと歌謡曲を流していたのだよ。

夜になれば、盆踊りで、炭鉱節だの八木節だの、東京の人間でもないのに東京音頭なんかも踊ってたな。

あの頃は、楽しかったような気がする。

何も考えないで暢気に暮らせた時代。