ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/05/16 五月花形歌舞伎「椿説弓張月」にみえた三島由紀夫の最後の美学

2012-07-28 10:27:52 | 観劇

新猿之助の襲名披露公演世代交代のコクーン歌舞伎について書いたら、五月花形歌舞伎夜の部の「通し狂言 椿説弓張月」についても書いておかなければ気がすまない。2ヵ月も経ってしまってはいるが、書きたいことだけは書いておこう。

主人公の源為朝は源為義の八男で鎮西八郎と呼ばれ、保元の乱で父とともに崇徳上皇側についたということくらいしか知らなかったが、ちょうど同じくらいの時期にNHKの大河ドラマ「平清盛」でガンダムのような頬当てをつけて強弓を引く大男として橋本さとしが印象的だった。最近の歌舞伎の演目は同時期の大河ドラマと連動させることも多いようで、歌舞伎をとっつきやすくするにはよいと思う。

Wikipediaの「椿説弓張月」の項はこちら

【通し狂言 椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)】三島由紀夫作
  上の巻 伊豆国大嶋の場
  中の巻 讃岐国白峯の場
      肥後国木原山中の場
      同じく山塞の場
      薩南海上の場
  下の巻 琉球国北谷斎場の場
      北谷夫婦宿の場
      運天海浜宵宮の場
あらすじは歌舞伎美人の「五月花形歌舞伎」の情報でご確認を。
源義経が大陸に逃れチンギスハンになったという伝説があるが、為朝についても琉球に逃れて息子が琉球王国の始祖となったと琉球王国の正史で書いているという。日本人が判官贔屓をしやすいのもあるが、琉球王国にとっての権威づけにもなったのだろう。そういう話がいろいろの物語になり、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本が大人気にもなったわけだ。
江戸時代の庶民がこういう話を面白がっていたのに、現代ではあまり知られていない。お隣の韓国では時代劇ドラマが人気で、フィクションも含めて歴史物語を楽しんでいるのと比べると日本の状況はかなり寂しいと思える。

今回の主な配役は以下の通り。
源為朝=染五郎 為朝の島の妻簓江(ささらえ)=芝雀
為朝の子為頼=玉太郎 紀平治太夫=歌六
高間太郎=愛之助 高間妻磯萩=福助
白縫姫/寧王女(ねいわんにょ)=七之助
舜天丸(すてまる)冠者後に舜天王(しゅんてんおう)=鷹之資
崇徳上皇の霊/阿公(くまぎみ)=翫雀
為義の霊=友右衛門 左府頼長の霊=廣太郎
陶松寿(とうしょうじゅ)=獅童 大臣利勇=由次郎
鶴=松江 亀=松也 武藤太=薪車

英雄流離譚を上中下の三段構成で、丸本物風、幻想物風、異国物風と大きく雰囲気を変えて見せてくれる。滝沢馬琴原作の言葉を踏まえた三島由紀夫の擬古文は徹底的で、原作に出てくる怪異な場面も徹底して舞台化していて、江戸時代の庶民が楽しんだ物語であることがよくわかった。
さらに、あぁこの場面はあの作品の名場面を踏まえたアレンジだなぁとピンとくるのが、歌舞伎を観続けていることで味わえる楽しみだ。
(古典芸能を楽しむためには、長い年月をかけて築かれた約束事を勉強しながらある程度観続けるということが必要なのに、大阪の橋下市長の文楽攻撃内容は文化というものを理解できない人でも行政のトップに立てるという今の日本社会の精神的な貧しさを痛感させられる。)

保元の乱の後、なぜ為朝は生き残ったのかとあらためて疑問に思ったので観劇後にネット検索したところ、落ち延びてある程度の期間を経て関係者の処分が落ち着いた頃に捕縛されたために斬首を免れて流罪になっていた。
その伊豆大島で簓江を娶り、為頼と島君の二人の子をもうけていたわけだ。島で実権を握り鎌倉方に従わなかったので追討されることになり、妻子を失ってさらに落ち延びることになるのが上の巻。簓江の芝雀はふんわりとした色気がある可愛い女で、玉太郎の為頼も健気でよかった。

中の巻の冒頭、讃岐国にある崇徳上皇の陵の前で切腹を図る為朝をとどめたのは烏天狗を従えた崇徳上皇、為義、左府頼長の霊。ここでも大河ドラマの井浦新、小日向文雄、山本耕治の好演を彷彿とする。
そのお告げに従い肥後の国に赴き、舜天丸をもうけた妻の白縫姫と再会する。その白縫姫は、初演時に玉三郎が演じて一躍注目された役ということで楽しみにしていた。
夫の再興のために潜伏している白縫姫は赤姫の衣装の上に黒い熊と思われる毛皮の肩にまとっている。裏切り者の武藤太が引き出され小槌の仕置きとなる。ここのところ薪車が引き締まった顔になったと思っていたら、褌姿の白い裸身は見事に美しかった。そこに侍女たちが交代で竹釘を小槌で打ち込み、仕込まれた赤い血が流れるという残虐美。その仕置き中、白縫姫が夫の愛した「薄雪の曲」を琴で奏でながら歌い、曲が終わると武藤太もこと切れる。
これを玉三郎が演じていたらさぞよかったことだろうと想像できた。七之助も硬質の美しさが活きていたが、曲がいまひとつこなれていなかった。このように精進していけば阿古屋にもつながっていくだろうと思えた。

妻子と再会できた為朝は二つの船に分乗して落ち延びていくが、嵐になる。白縫姫は、夫の難儀を救うため「ヤマトタケル」の弟橘姫のように海中に身を沈める。舞台の上に二つの大きな船が並び、一つは大きく裂けてしまうし、海中に落ちた舜天丸と紀平治太夫を背に乗せる怪魚という大道具の仕掛けは実にスペクタクル!白縫姫の魂が大きな蝶の姿になって怪魚に乗った二人を琉球に導いていく場面は、舞踊の「蝶の道行」に出てきた蝶との再会だった。

下の巻の舞台は琉球。王族の寧王女は紅型の衣装をまとい異国情緒たっぷり。世継ぎの王子の乳人として巫女の阿公が大臣利勇などと結託して国を牛耳る。邪魔になる寧王女を殺してしまうが、その亡骸に白縫姫の魂が入り込んで復活!流れ着いた為朝に助けを求め、阿公たちを一掃するというご都合主義の展開が笑える。
阿公は夫婦宿を営んで泊った夫婦を殺して金を奪うという、まるで安達原の岩手を踏まえた人物設定になっている。成敗されて死ぬ前にモドリがあるという実に歌舞伎のパターンの展開(笑)一度だけ契って娘をもうけた男が実は紀平治太夫。その娘が産んだ子が王子であり、その子も殺して道連れにして、夫の腕の中で死んでいく。翫雀が頑張っていた。

そして国王になって欲しいという頼みを断った為朝は、代わりに舜天丸を王位につけ白縫姫の魂宿る寧王女や陶松寿に後見を託し、自分はかねてからの本懐をとげるために琉球を去っていく。
海の中から姿を現した白馬に乗っての「昇天」の幕切れといえば、カッコイイが、実は切腹しにいくのだ。思い残すことがなくなったので、崇徳上皇への忠義を貫くために陵墓の前に行って切腹をして果てるための、白馬に乗って讃岐の国に飛んでいくのだ。

おお、結局は三島の最後の美学、信念を貫くために奮闘し、最後には切腹して果てるということにつながっていくイメージがこの作品にはこめられているのだと痛感させられた。この作品の後しばらくで、市ヶ谷の自衛隊本部にたてこもり、愛国心を訴えて本当に割腹自殺して仲間に介錯してもらった首が転がったのだ。
ストーリー展開は面白いし、徹底した美意識も堪能させてもらえるのだが、通底している「切腹への憧れ」のイメージが私をしらけさせた。上演頻度が高くないのもよくわかる気がする。私もしばらく観なくていいやという作品だった。
Wikipediaの「源為朝」の項を読んだら、「切腹の、史上最初の例といわれる」とあった。やはり、三島の切腹への憧れがこの作品の戯曲化の動機になっているように思われてならない。

「椿説弓張月」は初演以来、高麗屋の歴代が為朝を演じてきたようなので、染五郎の持ち役の一つになることは確実だろう。華奢ではあるが、滅びに向かって突き進んでいく悲壮感のある役はけっこう似合うのでいいのではないかと思っている。
また、三代目の猿之助も一度上演しているようなので、四代目の猿之助にも是非一度やってみて欲しいと思っている。その時は幕切れの「昇天」場面を澤瀉屋版らしく、白馬に乗った宙乗りで観て観たい。白馬に乗った宙乗りは2008年4月日生劇場での「風林火山-晴信燃ゆ-」がよかったのでそういう演出でお願いしたいものだ。それで切腹イメージが薄らぐといいなと思っている。

今朝は休みなのに早く起きてしまいロンドンオリンピックの開幕のライブオンエアも途中から観た。さすがに演劇の本場ロンドンの開会式でしゃれていた。それをながら見しながらこの記事も書きあげてしまった。
さぁ、今日は澤瀉屋団体襲名披露七月公演の前楽夜の部の観劇に出かけてきます!!