ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/05/06 宝塚月組『エリザベート』観劇、宝塚版もロマンチックでいい!

2005-05-12 00:48:10 | 観劇
宝塚友の会に入っていた友人とご一緒させていただき、B席最前列のセンターで観た。本当にいい席だ。友人に感謝m(_ _)m
『エリザベート』はオーストリアで生まれたミュージカル。ブロードウェイやロンドンのミュージカルともまた違った雰囲気に満ちている。1992年初演、ミュージカルが受けないお国柄にもかかわらず98年までロングラン上演され、他のヨーロッパ諸国でも上演され、現在ウィーンで再々演中の人気ミュージカル。日本では世界各国に先駆けて宝塚歌劇団で1996年に初演。ミヒャエル・クンツェのオリジナル脚本を小池修一郎が男役トップが主役になるという宝塚歌劇に合わせてトート役を主役に置き換えて潤色・演出し宝塚版として上演されて大ヒット。『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』に続いて全組で上演する代表作にまでになっている。
初演時に雪組トップだった一路真輝がトート役をつとめたが、退団後、東宝での『エリザベート』初演でタイトルロールをつとめて、現在まで再演を重ねている。今年も帝劇で9月に上演され、私も観る予定。この作品はクンツェの脚本が魅力的なことととシルヴェスター・リーヴァイの音楽がよくて何回も観たくなるのだ。
内容は宝塚のHPより概略を転載しておく。
「類稀な美貌の持ち主であると同時に、自由奔放な生き方を求めた少女エリザベートが、オーストリア皇后となったことから辿ることになる数奇な運命。そこに彼女を愛する黄泉の帝王トート(死)という抽象的な役を配した独創的なストーリー」

さて、今回は5組目の月組による『エリザベート』。主演のトップ彩輝直はこれがサヨナラ公演となる。エリザベートには次期トップとなる瀬奈じゅん。男役がエリザベートを演じるのは今回が初めて。ポスターを見た時から従来の宝塚の『エリザベート』のイメージとは違った雰囲気が漂っていた。
観劇してみて...、やはり大きく違っていた。男役に比べて小さく華奢な娘役が演じるエリザベートとは比べ物にならないくらい大きく線が太い。大劇場公演の舞台写真集を先に見た感じでは彩輝直もビジュアル的にはかなり格好のいいトートで期待が膨らんでいたのだが、実際に並ぶと迫力が同等のコンビになっていて、やはり従来の二人のバランスと明らかに違う。2幕冒頭の「私が踊る時」のデュエットの対等感はそれはそれで圧巻だったが。
エリザベートの夫である皇帝フランツ・ヨーゼフ役には専科の初風緑が演じていたが、初風が男役の中ではかなり線が細いタイプなので、瀬奈と並ぶとバランスはあまりよくなかった。
ミュージカル肝心の歌唱力は...初風緑のひとり勝ちだった。それと安心して聞くことができたのは、エリザベート暗殺者で狂言回しのルキーニを演じる霧矢大夢と皇太子ルドルフの大空祐飛だった。霧矢のルキーニはアナーキストというよりも不良のにいちゃん風だったのがちょっと物足りなかったが歌は上手い。
彩輝は前のトップの紫吹淳の退団公演の時に観ているが歌は下手だった。今回のトートはかなり聞かせてくれるようになってはいたが、低音部分があまりにもダミ声になってしまう難があり、今回退団で正解。エリザベートの瀬奈は頑張っているが、やはり高音部がきれいに出ない。一路真輝が東宝でエリザベートとして揺るぎのない地位を築いている偉大さがあらためてよくわかる。今、一路の他に誰が帝劇でエリザベートを演じられるだろうか?トートがダブルキャストになっているだけに、早く一路の負担を減らして長く続けてもらいたいのにと常々思っている。
宝塚版では、ルキーニ中心の場面はなくしたり(ルドルフが危機感を抱くナチスドイツの台頭を表す場面など)、トートとふたりでコーラスを主導したりするような変更もあるが、トートダンサーズも宝塚らしく美しいし、最後はエリザベートとトートが白い衣裳で黄泉の国に旅立つなど、ロマンチックにまとめられているのがよいと思う。

帰宅後、やはり友人に借りた1998年の宙組盤のCDを聞く(その友人にも感謝m(_ _)m)。トートの姿月あさともまあまあ聞かせてくれる。エリザベートの花總まりは声量が足りずに物足りない。フランツの和央ようかはこの頃はまだ今いちだったのねと思った(『ファントム』はさすがだった)。ルキーニの湖月わたるは「もう下手~」と娘もききながらぽつりと言う。トートで聞いたことがないのは麻路さきだけになった。私が上手いと思ったのは春野寿美礼が一番、次が一路真輝だ。
東宝版のトートの歌は山口祐一郎が一番だが、内野聖陽もどんどん上手くなって聞かせてくれるようになった。9月が早や楽しみな私である。
写真は、宝塚歌劇団のHPからのポスター画像。

05/03/31 『デモクラシー』千秋楽!

2005-05-11 02:06:24 | 観劇
今晩(5/10)の「ニュース23」を見ていたら、ドイツの首都ベルリンにホロコースト記念碑ができたという。筑紫哲也がこれは東京の皇居と国会議事堂との間に日本が戦争で外国で殺してきた人々の慰霊碑をつくるようなもので大変なことだと言っていた。若者の半数近くがホロコーストについてよく知らない時代を迎えており、極右勢力も一定の支持を集めている。そういう人達が記念碑にいたずらをすることもあると覚悟の上でそうしたらまた議論して社会が成熟すればいいという。社会の「成熟度」これが今日の多事争論のキーワードだった。いつまで被害者に謝り続けるのかという問いに対しての政府の姿勢はいつまでも謝り続けるという姿勢だそうだ。ナチ=過去のドイツの犯した罪については政権がキリスト教民主党であれ社会民主党であれ、ぶれることはないのがドイツ社会の成熟度の高さなんだろうと思った。日本は...何をかいわんやである。

さて、2/11に市村正親と鹿賀丈史が26年ぶりに共演する『デモクラシー』初日を観て、終演後にロビーでテレビ東京のカメラインタビューを受けてしまい、翌々日の夜『ソロモンの王宮』市村正親特集で一瞬だがしっかり映ってしまったことはこの日記で書いたが、体調を崩していてちゃんとした記事は書かずにここまできてしまった。勘三郎襲名公演の記事もひと段落ついたので、パンフなどを見て思い出しながら、なんとか書いておきたい。
今回の企画の経緯は下記のようである。
「久しぶりにシリアスな舞台がやりたい」と考えていた市村がプロデューサーに勧められ、イギリスで「デモクラシー」を観劇、その場で自分がギョーム役をやることと、相手役ブラントには鹿賀がいいと決め、...帰国後すぐに自ら電話して説得したという。
実話にもとづくストーリーの大筋は以下の通り。
東西ドイツの融和に尽力し、ベルリンの壁崩壊への道筋をつくった西ドイツ首相ブラント。のちにノーベル平和賞まで受賞した彼に長く仕えていた私設秘書ギョームが実は東ドイツのスパイだった……。この歴史的大事件のあとさきを、さまざまな立場の政界の男の姿を通して描く。

冒頭、鹿賀丈史のブラントが首相就任受諾演説で登場しての第一声からあの独特の勿体ぶったような台詞回しにしびれる。まさにこの第一声でカリスマ首相的雰囲気を漂わせる(ただし、このマジックにかからなかった人には今回のキャスティングの醍醐味は半減するだろうが)。キリスト教民主党が長らく政権にあり、社会民主党から首相が出るのは40年ぶりということで党内は湧いている。しかしながら内部の力関係は微妙。党内の黒幕、院内総務のヴェーナー(藤木孝)との関係はなかなか難しいようだ。首相執務室チーフ法学者のエームケ(近藤芳正)は温厚な感じが良く出ている。彼はブラントがインテリゲンチャばかりに囲まれる弊害をおそれ、庶民の代表のようなギョーム(市村正親)を地方支部から抜擢している。庶民の代表という役柄もぴったりだ。エームケの部下の法律家ヴィルケ(石川禅)は露骨に嫌がるがその鼻持ちならない様子がうまく出ている。ギョームは10数年前に東ドイツから亡命してきて西ドイツにきてから社会民主党に入りコピーショップ経営などを経て党の専従職員になって身を粉にして働いているところを評価されたのだった。首相執務室にきてからも同様の働きについに首相付きの秘書にまで抜擢される。しかしながらその実は東ドイツから送り込まれたスパイでエージェントのクレッチマン(今井朋彦)と定期的に連絡をとっていたのだ。今井は大河ドラマ『新撰組』で徳川慶喜を演じてから知名度が高まっているが、同じ舞台に立っていながら他のメンバーには見えていないという設定の役を淡々と演じていたのが印象的だった。
ブラント政権は中道政党の自由民主党との連立政権であり政権基盤は磐石とはいえない。そこをカリスマ首相ブラントが次々とソ連や東ドイツ側と融和政策をすすめ、国民の支持を受けて選挙に勝利しているうちは、政権の結束は固い。ブラントには慎重になりすぎたり鬱状態に入ると引きこもってしまったり、ワインが手放せなかったりというと弱い面があった。周囲はそれにいらついたりなだめ励ましたりと大変だ。外交で成功しても国内の経済政策で行き詰れば、責任のおしつけあいが始まる。エームケがブラントをしっかりと支えていたのにヴェーナーなどの策謀で更迭されてしまう。
エームケに替わってギョームがブラントをしっかり支えることになる。選挙戦の中で列車で国内遊説に飛び回るブラントとギョーム。ブラントには第二次世界大戦時には海外に亡命して諸国で国籍や名前も偽りつつ生き延びてきた過去があり、自国に残って地下でレジスタンスを続けた同志に対してのコンプレックスにもなっていて彼を苦しめるのだ。ブラントがギョームに語るその苦悩は、スパイであるギョームの苦悩と重なっていく。ともに行動するにつれて次第次第にブラントの人柄に惚れていくギョーム。友情にも似た奇妙な関係が二人の間に築かれていく。本国に忠実でありつつも、スパイであることをブラントに知られることを恐れるようになるギョーム。それを最終的に暴くのは保安局長官のノラウ(温水洋一)で、彼の持ち味のおどおどした感じをさせながら仕事は粘り強くすすめています的な感じがよかった。
また、ブラントは英雄色を好む面もあり遊説先で次々と女に手を出し(鹿賀丈史が絶妙の魅力で納得させてしまう)、それをギョームは管理していた。そのリストがもれてスキャンダルになったりしたが、最終的にはギョームがスパイであったことが発覚して失脚。ブラントを敬愛しつつもヴェーナー側についていたシュミット(三浦浩一)が後任の首相になり、彼の受諾演説で幕となる。影の薄い感じがぴったり。実際に急に後任になったシュミットは受諾までかなり自信が持てずに狼狽していたという記録があるという。対比的に藤木孝の黒幕の怪演が光った。
ノラウの上司のゲンシャー(加藤満)とボディーガードウーリー(小林正寛)も含めて10人の男だけが舞台にいるという、見た目はかなり地味な芝居だった。まあ女性の進出もまだまだの時代だったし。煙草も役として吸うことも多くけっこう舞台上はモクモク。そういう時代だったかもしれないが、最前列だと煙草臭かったかも。
ブラントとギョームの友情は継続できなかったが、個人の人間関係の上に国の体制の維持という命題があった。その命題も「ベルリンの壁」崩壊、続く東ドイツの体制崩壊で消えていった。しかしながら再び二人の関係は戻らないのだ。歴史の中で流されていった多くの人々の葛藤があったことに思いを抱いた。
作:マイケル・フレイン 演出:ポール・ミラー
ドイツに現実にあった話で政治性の高い実話をここまでおもしろい脚本に仕上げられるというのがイギリス現代劇の力だと思った。演出のポール・ミラー氏は初日私の席の少し後ろの方で観ていて、カーテンコールで舞台の上から市村さんに呼ばれてマイペースで下を向いて歩いて行ったが巻きを入れられているのを舞台のすぐ近くで気づいてあせっているのが可愛かった。
東京公演はシアター1010、青山劇場、ル テアトル銀座の3箇所だったが、音響のよくない席では台詞がほとんどききとれなかった所もあったと何人かから耳にした。こういう台詞劇はききとれないと全く意味をなさない。企画者側は今後もっとチェックすべき基本事項だろう。

個人的には、鹿賀丈史と市村正親がまさに光と影のようにお互いを引き立てあっていてベストコンビによる上演だと満足できた。ただし、日本の社会の成熟度からいってまだまだ多くの人に楽しんでもらえる内容とは思えなかった。
写真は、企画の報道用の写真から転載。

05/05/05 勘三郎襲名披露公演連続アップ⑧5月歌舞伎座夜の部その2

2005-05-10 01:50:27 | 観劇
『野田版研辰の討たれ(のだばんとぎたつのうたれ』
野田秀樹脚本・演出によるこの作品は4年前の8月に初演されたが、その時はまだ歌舞伎を本格的に観ていなかったために観ていない。一昨年の『野田版鼠小僧』を観て面白かったので今回の再演を楽しみにしていた。今回も中村梅之さんのブログで稽古場だよりをしっかり読んでから観た。
梅之芝居日記=http://blog.melma.com/00135602/
あらすじはまず、チラシの裏側にある解説より抜粋。「守山辰次は元は刀の研屋で、殿様の刀を研いだ縁で侍に取り立てられたものの、武芸はまったく駄目。家中の侍に打ちのめされた研辰は、家老へ意趣返しをしようとします。ところが、仕掛けがうまく行き過ぎて家老は死んでしまい、研辰は家老を殺した敵として追われる身となります。家老の息子二人に追われて、諸国を逃げ回る研辰でしたが...」。
私の誕生日は赤穂浪士討入の日。だから冒頭の討入シーンは誕生日誕生日って観てしまった。それを影絵で表現し、白い幕を落とすと剣術の稽古風景にするというのはなかなか面白い演出だった。
そこで辰次の勘三郎が真面目に稽古せずに他の侍達の反感を買い、さんざんに竹刀で頭を打たれているところ、松竹新喜劇のようなノリでバシバシと叩かれているようだがこれ本当?だとしたらけっこう大変な芝居だと思った。家老の三津五郎も大家に続く老け役だが前回の大岡越前同様こんなにはじけて面白い芝居を見せてくれてうれしい。家老の息子ふたりの染五郎・勘太郎の剣術の模範稽古風景は新撰組VS鬼御門という感じの殺陣がついていて気合いっぱいの感じがよい。そのふたりから敵と狙われるハメになるわけだから大変だ。辰次は逃げに逃げて四国の道後温泉の宿で長逗留。宿代の支払いを溜めて問い詰められて敵討ちの最中だと嘘をつく。赤穂浪士の一件以来、敵討ちがブームになっていて宿の者の人気をさらう。同宿の姉妹の福助・扇雀がおしかけ女房の座をめぐってたたかうのが可笑しい。
ところが敵と嘘をついた家老の息子たちも同宿になっており、対面するハメになって嘘がばれる。そうなると形勢逆転、姉妹は家老の息子兄弟に乗りかえるし、宿の者も全て敵に回り、また逃げ出す辰次。仇討ち兄弟と一緒になった群集に追い詰められ、いよいよ仇討ちされるところをジタバタしていろいろ言い逃れるのが見苦しくておかしい。ところが老和尚(橋之助)が示唆した言葉に「許してやれよ」という世論が群集の中に沸き起こり、兄弟は仇討ちをあきらめざるを得なくなった。兄弟も群集もいなくなり安堵しきった辰次だが、兄弟に闇討ちされて幕。

福助の一役目の殿の奥方の「あっぱれじゃ」の連発がまずハイテンションでいい。二役目の扇雀との姉妹もいいし、年増女の嫌らしさと可愛らしさの両方が好ましい。しのぶの芸者金魚もギター侍のパロディをやらされていたがこれまで観たことがないほど実に楽しそうに演じていた。染五郎・勘太郎も勘三郎にさんざんにからかわれながら楽しそうに演じている。仇討ちのための追跡の場面では『真夜中の弥次さん喜多さん』も群集に混じっていたのが可笑しかった。金髪のちょんまげと道中笠に名前入り。梅之さんの芝居日記によると初演よりも群集を増やしているようだし、群集の一人ひとりの演技も真剣でよかった。最後、群集心理が気まぐれのように大きく動いて人ひとりの運命を揺さぶる恐ろしさがきちんと伝わってきた。
兄弟はその場の雰囲気に飲まれて仇討ちをあきらめたようであった。しかし、元々が本人たちの自発的な仇討ちではなく、周囲がそれをやらざるをえないように追い込まれたのだ。このまま仇討ちをしなければ郷里の人々が帰郷を許さないだろうという、これも群集?の怖さゆえに闇討ちという卑怯な方法で仇討ちをする。野田秀樹の風刺がたっぷりきいている。
なにやらオペラの歌声が響く中で辰次の上に大きな紅葉が落ちてくる。この意味はちょっとわからなかったのだが、でも余韻が感じられる終わり方だった。
『研辰』でも幕がもう一度上がったが初演の伝説のようなスタンディングオーベーションは起こらなかった。『鷺娘』と両方立ってという風にはなかなかならないと思う。まあ初日が開いてすぐだということもあると思うが。

勘三郎は、8月の納涼歌舞伎は串田和美さんの演出のものをやりたいということらしい。7月の『NINAGAWA十二夜』もあるし、夏の歌舞伎座は熱くなりそうで楽しみだ。

写真は、中村屋の定式幕。3階席より携帯のカメラで撮影。

05/05/05 勘三郎襲名披露公演連続アップ⑦5月歌舞伎座夜の部その1

2005-05-09 23:31:49 | 観劇
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) 川連法眼舘(かわつらほうげんやかた)の場』
二世竹田出雲らが合作した人形浄瑠璃全5段の4段目。忠信は五代目以来、菊五郎の家の芸になっているという。
義経を匿っている吉野山中の川連法眼の舘が舞台。会合から戻った法眼(左團次)は義経をこれからは敵とせよという合議がなったことを妻(田之助)に知らせるが、妻は自分の兄に義経のことを内通したと疑われたと思い自害しようとする。それをとどめ、あくまでともに義経を守ろうと話し合うのが前段にある。
義経(海老蔵)をたずねて佐藤忠信(菊五郎)が到来。義経は目通りを許し、忠信に預けた静御前(菊之助)についてたずねるが忠信は怪我から破傷風になり治療で郷里に戻っていて今こちらについたばかりで静を預かった覚えはないという。不審に思った義経は忠信を詮議のために引き立てようとさせるところ、静と忠信が到着したという知らせが入る。忠信も自分の偽者を捕らえようとするが、静はひとりで登場する。目の前にいる忠信に抜け駆けして先に来たのかと詰問するが、忠信はさきほど出羽国からこちらに着いたばかりだという。静は忠信が吉野までの道中で度々姿を消すことがあったが、その都度、義経が後白河法皇から賜り自分が預かっていた「初音の鼓」を打つと姿を現したということを語る。義経はその忠信の詮議を静に命じ、自分は先に来ていた忠信の詮議のために連れて席を立つ。
静が「初音の鼓」を包みより取り出して打つと、姿を現す忠信(狐の忠信、菊五郎の二役)。静に問い詰められ「さてはそなたは狐じゃな」と見破られて姿を消し、次は狐の装束となって姿を現す。きけば「初音の鼓」は桓武天皇の御代に千年生きていた雌雄の狐の生き皮からつくられており、その子どもが自分だという。鼓が宮中にある時は八百万の神の守護により近づけなかったが、義経に下されたので忠信の姿になって鼓についてきたのだという。本物の忠信に迷惑をかけてしまい、鼓になっている親狐からも古巣に帰れと命ぜられたので、涙にくれながら去っていく。
陰ながらこの話をきいていた義経は静に子狐を呼び戻すよう鼓を打たせるが、親狐も別れを悲しんでいるためか鼓は鳴らない。義経は自らの肉親の情に薄い境遇から子狐の親を思う情の深さにうたれ、静とともに涙する。そこへ再び子狐が現れると、義経は親への孝に厚い心と静をこれまで守護してきてきたことを誉め、鼓を子狐に与える。鼓に身をすりつけ全身で喜びを表す子狐。さらに子狐は鎌倉方についた吉野山の僧兵達が義経を夜討ちにしようとしていることを告げる。その上で狐の通力をもって僧兵どもを館に引き寄せさんざんな目に合わせた上で、義経と静に別れを告げて去っていく。というか、狐は木に登って、義経と静は館の中でそれぞれに見得が決まって幕。

「川連法眼舘の場」は昨年の7月の澤潟屋で観ている。忠信=右近、義経=門之助、静=笑也だった。澤潟屋型なので最後は宙乗りで狐の忠信は去っていく。今回初めて音羽屋型を観る。早替わりの見せ場も少ないし、欄間抜けもないが、その分、ゆっくりと細かい芝居が堪能できる。本物の忠信は花道の出から百戦錬磨の武士らしくどっしりとした存在感のある演技。狐忠信として狐メイクをして狐手、狐声をしての演技はまた可愛らしく、親を慕う心情が切なく伝わってきた。体の動きも軽々ときびきびと菊五郎丈、さすがである。いい時に観ることができたと満足。また、左團次・田之助の法眼夫婦の前段がけっこうよかった。
さらに海老蔵・菊之助コンビの魅力的なこと。まいりました。『源氏物語~明石』以来なのだが、ふたりが大きく成長していることが短い場面ながら十分わかった。しばらくこのコンビで楽しませてくれそうで嬉しい。

『鷺娘(さぎむすめ)』
まず舞台奥の切り穴から傘で顔を隠しながらの登場。傘も半透明なので中も透けて見える。花嫁衣裳のような真っ白な着物に黒い帯がすっきりと美しく溜息が出る。イヤホンガイドによると最初の引き抜きもかぶせではなく裾裏まで白くしてある袋がけでさらに帯まで引き抜くので後見と息を合わせるのが大変だという。途中で衣裳替えで一度入って出てきて最後はぶっ返りもあり、短い舞踊ながら衣裳も変化に富んでいて嬉しい。
踊りの内容は、チラシの裏側にある解説より抜粋。「水辺にたたずむ白鷺の化身である娘が、恋に悩む娘心から、女の罪業までを次々に踊っていきます。...地獄の責めにさいなまれた後、息の絶えていく姿も印象的」。本当に美しい鷺の精で、最後は降りしきる雪の中で息絶えるのだが、先月夜の八ッ橋が次郎左衛門に斬られてくずおれる場面と重なってしまい、ちょっとぐっときた。
舞い終わったら歌舞伎座いっぱいに鳴り響くようなすごい拍手の嵐だった。幕が再び上がったらもうバラバラと席を立って拍手する人が続出。我も我もと続々と立っての拍手となり、とうとうかなりの観客によるスタンディングオーベーションとなった。3階東一列目で見ていたのでそれは全ての階がそうだったのが見えた。これは幕を再び上げるという演出を勘三郎がしたのだと思うが、真実はいかがだろうか?
玉三郎のHPの今月のコメントに下記のくだりがあった。「実は勘三郎さんが、勘九郎さんの時代に「野田版・研辰の討たれを観るお客様に玉三郎の鷺娘を見せたい」また「鷺娘を見るお客さまに、この新しい研辰の討たれという歌舞伎を見せたい」と話をしておりまして、今回この歌舞伎座における襲名興行の最後の月に実現したわけです。」
私などは両方とも初めて観るのだが、勘三郎は襲名披露公演の中にも、歌舞伎を観る観客を広げたい、従来の観客にも新しい取組みを理解してもらいたいという意欲的な思いをこめていることがちゃんと伝わってきた。

写真は、坂東玉三郎舞踊集2『鷺娘』DVDの表紙。アマゾンより転載。

05/05/05 勘三郎襲名披露公演連続アップ⑥5月歌舞伎座昼の部その2

2005-05-08 18:26:43 | 観劇
『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』「髪結新三」
河竹黙阿弥が三代目春錦亭柳桜の人情噺「白子屋政談」を元に書いた世話狂言で、五代目尾上菊五郎で初演。六代目、先代の勘三郎、松緑、勘九郎と引き継がれてきている。
「白子屋店先」
材木屋白子屋は主人亡き後借金がかさんでいて、後家のお常(秀太郎)は一人娘お熊(菊之助)に持参金付きの婿をとることになっていた。お熊は恋仲の手代忠七(三津五郎)に自分を連れて逃げてくれるように頼む。その話を廻り髪結の新三が門口でききつけていた。新三は忠七に親切ごかしにお熊を連れて逃げる手助けを申し出、忠七もその話にのってしまう。

「永代橋」
新三の弟子・下剃り勝奴(染五郎)の手引きでお熊は籠に乗せられて新三宅へ。新三と忠七がそれを追っていく途中で花道から相合傘で登場。一人で傘を持って新三がどんどん行こうとするのでそれを止めて一緒に連れて行ってもらいたいと頼む忠七。そこから新三の態度ががらりと変わる。忠七の駆け落ちを助けると言った覚えはなく、自分の情人のお熊が結婚させられるのを嫌って家出するのを助けただけだという。傘づくしの名台詞の後、新三は忠七を番傘で打ち据え下駄で蹴り散々に痛めつけて行ってしまう。店にも帰れなくなった忠七は川に身投げをしようとするが、そこを救ったのが乗物町の親分弥太五郎源七(富十郎)だった。

「長屋 新三内~家主内」
湯屋から戻った新三は、お熊をネタに金をゆすりとるつもりで、その前祝に魚屋から初鰹を買う。庭先には緑もあり「目に青葉~」以下全て揃って初夏の季節を感じさせる。そこに白子屋→縁談の仲介者車力の善八から頼まれた弥太五郎源七が話をつけにくる。当初はとぼけていた新三も金を持ってきていることがわかって話に乗ろうとするが、金包をあけて十両だとわかった途端、金を源七の顔に叩きつけてさんざんに毒づく。源七は顔をつぶされてたが、もう若くないし、表沙汰になって白子屋に迷惑がかかるからとじっと我慢をして帰っていく。
困った善八は次に新三の住む長屋の家主長兵衛(三津五郎の二役)に話をつけてもらうよう頼みに行き、長兵衛がいよいよ新三宅へ。刺青者とわかった上で新三をここに住まわせている大家長兵衛は店子にもつ権限をチラつかせながら三十両でお熊を返せと話をすすめる。この話に応じなければお上に訴え出るとまで言われてしぶしぶ応じる新三。「鰹は半分もらっていく」ということでさらにその金の半分を巻き上げられ、ためていた家賃まで持っていかれる。そこに大家の家に空巣が入って箪笥の中身4~50両分を盗まれたという知らせ。ようやく溜飲をさげたのだった。

「深川閻魔堂橋の場」
白子屋の一件以来、仕事もしなくなった新三は月代も伸ばし放題になってしょっちゅう賭場に出入りしている。今日もその帰り道だが、そこを待ち伏せしている弥太五郎源七に襲われる。恥をかかされた源七は新三を仕返しをする機会をねらっていたのだった。そこで地獄づくしの台詞の入った立ち回り。とうとう新三は殺されて、その後に大岡裁きとつながっていくのが話の筋らしいが、今回も一回斬りつけられた後、ふたりが並んで狂言はこれまでとご挨拶の後で幕。

今回、一番よかったのは三津五郎。前半の手代忠七もお店のお嬢さんに惚れられる二枚目をしっかり演じ、後半の大家役もすごかった。三津五郎の江戸和事の二枚目を初めて観たがけっこうよかった。一転大家で登場するとその演じわけに唸ってしまった。化粧も老けるだけでなく大家の性格もしっかり表現されていたし、表情、声の出し方から何から芝居全部がすごかった。勘三郎の新三もねじふせてしまうような老獪なたたみこみ、最後は空巣の知らせにあわてて戻っていくそのおかしみ。さすがだった。

新三はすごく期待していったのだけど、勘三郎の芝居がちょっと重たかったという印象をもった。白子屋での芝居ももっと軽くしないと永代橋で本性を現す時との差が出ない感じ。後半の三津五郎の大家とのやりとりは、テンポもよく息が合った感じでとてもよかった。染五郎の勝奴もチンピラ風なところがけっこうはまってよかったと思う。
弥太五郎源七の富十郎がかなり期待はずれだった。いくら50過ぎで年を取っているとはいえ、厄介ごとを顔でなんとかすることができる侠客の雰囲気がしない。町会長さんのような感じ。この役を三津五郎がやっても面白いと思った。源七と大家を二役でというのは過去にあるようだから、忠七をもっと若手にふってみたらいいんじゃないかと次の配役に想像がとぶ。
女形では、お熊の菊之助は濃すぎて浮いていて、ここで使うのは勿体ない感じがした。お熊の母の秀太郎はいつものようにいい感じ。車力の善八の姪役の小山三はかなり若い役(お熊と姉妹のように育ったとの設定)なのに可愛かった。TVの襲名特番で人気が出てファンが増えたせいで気が若やいでいるんじゃないかな。

写真は、歌舞伎座5月公演のポスターを有楽町の駅で撮影。

05/05/07 NHK05年度『日本の伝統芸能』能・狂言入門始まる

2005-05-07 23:57:13 | 観劇

「歌舞伎入門」に続いて「能・狂言入門」が今日から始まった。ビデオ録画をしかけて、通院。毎週土曜日が通院日なので毎週録画する予定。
今日の午後の通院の合間にテキストの4回放送分全部を読んだ。今年の講座は従来のように能と狂言を分けずに観世清和、山本東次郎という現代の能と狂言の代表者によるお話と演技で解説をすすめる形をとるとのことだった。
そして今回のテキストを読んで一番「目から鱗」だったのは「能と狂言は別々の演劇なのか、あるいは二つで一つの演劇なのか、議論の分かれるところです」というところだった。狂言方の中にも「能とは別の演劇」と考える人もあるし、「能と共にある狂言」を実践する人もあり、山本東次郎家は後者を堅持する家だという。東次郎さんは「能と狂言は根元で繋がり、お互いに必要不可欠」だという。「能の緊張をほぐすため、幕間的な意味で狂言があるといった皮相な見方が横行した、不幸な時代が長く続きました」ともあり、まさにそのようなイメージが私にも強かったのだった。
また、能の世界が家元制度で継承されたのも事実だが、「後継者は子どもとは限らない。能のこころを知るものが後継者である」という考え方がとられ、血統と実力主義のバランスがまことに見事な世界だという。さらに近年では能と狂言においても新作が意欲的に上演されているとのこと。
今までの先入観がなくなり、イメージが刷新できた今、毎週の放送を観ていき、いろいろと勉強していこうと思った。

漫画『ガラスの仮面』で出てくる芝居「紅天女」も来年あたり、能の新作としての上演がされるという話も耳に入ってきているが、その辺から能も観にいけるようになるかなとも思っている。それともやっぱりオーソドックスに古典から観に行った方がいいのかしら。
表紙は05年度『日本の伝統芸能』テキストの表紙(再掲)。

05/05/05 勘三郎襲名披露公演連続アップ⑤5月歌舞伎座昼の部その1

2005-05-06 23:05:07 | 観劇
今月は花道が2本になっている贅沢な舞台。私には初めてのことで幕間に1階に降りた時に仮花道にも鳥屋があるかどうかを見てくればよかったと後から気づいた。ご存知の方よろしければ教えてくださいm(_ _)m

『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 車引(くるまびき)』
近松門左衛門の時代浄瑠璃を踏まえて二代目竹田出雲らが歌舞伎にした全五段のうちの三段目。初演当時に大阪で実際に三つ子が生まれたというニュースを取り込んで三つ子の梅王丸、松王丸、桜丸が登場し、それぞれが別々の主人に仕えているという設定になっている(次兄の松王丸は時の権力者藤原時平に、長兄の梅王丸は菅氶相に、末弟の桜丸は斎世親王に仕えている)。
本花道から梅王丸(勘太郎)が、仮花道から桜丸(七之助)が登場(ただし3階東1列目の私の席からは仮花道は見えない)。舞台は吉田神社の塀の外。梅王丸と桜丸が出会い、近況報告しあう。その前提として桜丸が斎世親王と菅氶相の娘苅屋姫の逢引の手引きをしたために藤原時平により菅氶相が失脚させられてしまっていた。桜丸はその責めを負って切腹しようと思うが、父の長寿の祝いの日までは思いとどまっているのだという。そこに時平が吉田神社の参詣にやってくるときき、兄弟はふたりの主人を陥れた時平を討とうと牛車を襲う。牛車を散々に打ち壊していると時平の舎人になっている松王丸(海老蔵)に止められる。最後に牛車から時平(左團次)が登場して兄弟をにらみすえ、その威勢もあって、この場はおさめることになって、幕。
実際の兄弟による梅王丸と桜丸で、登場してすぐの舞台上での所作も役柄にぴったり。勘太郎の荒事風の所作と見得。動きがきびきびとしていい。七之助の江戸和事風の所作と見得。七之助の声は高い声がきれいで安定していて聞いていてうっとりする。そこに海老蔵の松王丸の團十郎家の荒事は本当に気力たっぷり。4月の時代物でも海老蔵の見得は見ているが、さすがに松王丸の見得の睨みは違う。元々大きな目をひんむくように睨むのだからすごい迫力だ。口上の際は「吉例により、ひとつ睨んで見せまする」というそうだが、まさに襲名披露公演への團十郎家の引き出物のようだった。左團次の時平も藍隈がよく合って凄みがきいていてよい。
30分あまりと短かったが、海老蔵、勘太郎、七之助という若手3人がバランスよく、若い魅力いっぱいの舞台で朝一番の爽やかな一幕だった。
すぐに追記:杉王丸のことを書かなくては!『野田版鼠小僧』の三太役の子役だった清水大希くん。3月の『鰯売』で勘三郎に転がされる玉三郎付きのかむろ役がすごくよかったので注目していたのだが、今月から勘三郎の部屋子になって中村鶴松を名乗るという。かむろの転がされ方も半端ではないのでかなり勘三郎と息の合った子役だなと思っていたが、なあるほどと思った。時平の舎人の杉王丸が過去の舞台の写真などで見るよりもかなり小さい子役をあててきたなと思ったら彼だった。台詞回しもいいし、全身にみなぎる気合も十分。他の3人に負けていなかった。福助や橋之助の子どもたちも負けずに頑張らないとという感じだ。将来が楽しみ。
  
『芋掘長者(いもほりちょうじゃ)』
12月に見た『身替座禅』と同じ作者による舞踊劇。歌舞伎座では45年ぶりの上演とのこと。
松ヶ枝家では、舞いの大好きな娘緑御前(亀治郎)の婿選びのために舞い比べを行うことにして舞い上手たちが集まる。緑御前を恋い慕う藤五郎(三津五郎)は芋堀を生業としているが舞は素人。舞いをよくする友人の治六郎(橋之助)とともに一山越えてやってきて立派な身なりの男たちに混じっている。面をつけて身替りに踊ってもらい喝采を受けるが、次は面なしでの踊りを所望され、万事休す。そこで藤五郎は踊れないことを白状し、日々の仕事の動きを説明する所作をすると緑御前が気に入ってしまい、とハッピーエンド。
藤五郎が面なしで踊るはめになって治六郎の動きを見ながらテンポをずらして踊るところを舞踊上手の三津五郎が見事に踊るのがすごい。

『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)猿若座芝居前』
今月は通常の「口上」はないが、そういう意味合いをもつ演目。舞台は江戸猿若座の小屋の前。座元である十八代目勘三郎の襲名を祝うためにいろいろな人がやってくるという短い芝居仕立てになっている。座元(勘三郎)や若太夫(勘太郎・七之助)などが待ち受ける中、猿若町名主女房(芝翫)、茶屋の亭主(富十郎)や女将(雀右衛門)が来て祝いを述べている。そこに男伊達衆や女伊達衆がやってくるということで猿若座の従業員一同も出迎えに並ぶ。立ち役と女形が両花道から登場し、渡り台詞のように祝いの言葉をかけあい、またそれぞれに名乗りをあげる。最後は芝翫の音頭取りで客席も巻き込んでお手を拝借で江戸締めというとても粋な舞台だった。昼夜通してこの場にしか出ない方もいて、襲名披露公演の贅沢さを満喫するような演目。私の席からは女伊達衆は真下だったので全員見えず。男伊達衆が全員見えたのでまあよしとしよう。
男伊達は菊五郎、三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、弥十郎、左團次、梅玉
女伊達は玉三郎、時蔵、福助、扇雀、孝太郎、菊之助、亀治郎、魁春、秀太郎
一部記憶があやしいので順番は間違っていたらすみません。

写真は、歌舞伎座5月公演のチラシ。

05/05/05 勘三郎襲名披露歌舞伎座近くでプチオフ会で4人集合

2005-05-05 23:38:17 | 観劇
襲名披露公演5月歌舞伎座。こちらのコメント常連のyukariさん、かつらぎさん、お茶屋娘さんと歌舞伎座隣の文明堂でプチオフ会。
私だけが昼夜だった(3階東1列で昼と夜のチケットがとれる休みの日が5/5だけだった)ので皆さんは先に集まっていただいて、昼の部と夜の部の間の30分くらい合流。抹茶アイスクリームあんみつをかきこんだ。
3人ずつ集まった機会はあったが、この4人が一同に会するのは初めてで嬉しかった。ブログ上の話題についてさらに話が出て楽しかった。他に皆さんに直接ききたかったこともあったように思うのだが、もう忘れてしまっていた(思い出したらまたおききしま~す)。せっかく浦和でのお花見オフ会の写真を持っていったのにお見せするのを忘れたのは残念。また、ゆっくりお会いしておしゃべりしたいですね。
   
夜の部の幕の間の食事でyukariさんに「暫」に連れて行ってもらった。私は初めてで、カレーセットで670円でアイスコーヒーも飲めたのは安い!それに混んでなかった。カレーは滅多に外で食べないので今まで敬遠していたのだった。ちょっと辛かったが、甘いアイスコーヒーがあったからなんとかなったし、お肉もちゃんと入っていて美味しかった。
昼の部でも夜の部でも勘三郎は大活躍。夜の部は『鷺娘』の玉三郎にスタンディングオーベーション。初めて観たのだが本当に素晴らしい。勘三郎襲名への玉三郎からのまさにエールという感じがした。そういうふたりの関係も羨ましい。
その後の『野田版・研辰の討たれ』の後は予想に反してスタンディングにならなかった。初演の時はすごかったらしいが、再演だし、歌舞伎座では2つの作品で続けてスタンディングにはならないかな?それでも若手と一緒になって勘三郎が大熱演していたのが素敵だった。
詳細の感想はまた、後日!!

写真は、勘三郎襲名披露の幕がかかる歌舞伎座正面(報道写真より)。

05/05/01 映画『阿修羅城の瞳』を堪能してきました!

2005-05-04 02:06:35 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
『Shall we dance?』を観た時に5月の「映画の日」の割引料金で座席指定をとってきておいた。私と娘、お茶屋娘さんと息子さんの4人で観たのだが、うちはもう本編が始まる直前にすべりこみ。
ごめんなさいねm(_ _)m
『阿修羅城の瞳』は劇団☆新感線の有名な舞台作品。市川染五郎が主演するようになった再演の2003年8月に私も観ている。その時は、まあ面白かったんだけど3時間半の舞台で休憩1回、チャンバラがしつこく繰り返されるのに最後は食傷気味になった。劇団の人気のコメディアン、コメディエンヌの出番もたくさんあって脇筋が多くてそれも笑えるけど疲れてしまった原因。劇団☆新感線のディープなファンにはたまらないのだろうけど、新感線初体験の私にとっては相当苦痛だった。ところがこの作品が松竹と劇団☆新感線のコラボレイトで市川染五郎主演で映画化されるという話をきいて映画ならもう一回観てやろうと思っていたのだった。
期待のあまり事前にパンフを買って(というか『Shall we ~』と一緒に買っただけだが)目を通しておいた。監督は『陰陽師』の滝田洋二郎だったので、まあ期待してもいいかなとも思ったし、時代劇の現場に立つ時はご自身も着物と袴を着るということで見直してしまった。阿修羅像の前の監督の写真が素敵だった。

さあ、いよいよ本編(いつもと同じネタバレバレです)。
時代は江戸の文化文政時代、化政文化華やかなりし頃。ただし史実と違って鬼が人間社会に深く入り込み、鬼の王・阿修羅の復活によって鬼の世を実現しようと鬼女・美惨(樋口可南子)を中心に跳梁跋扈している。幕府も鬼征伐のために鬼を見分けられるスーパー軍団「鬼御門」を組織している。冒頭、江戸の海岸にほど近いエリアに夜も明るい歓楽街に大勢の人出で賑わっているところへ鬼御門頭領・国成延行(内藤剛志)、副長・病葉出門(市川染五郎)らが出動し、人の中に紛れている大勢の鬼を斬って斬って斬りまくる。そのエリアの一角に不思議なお堂があり、そこまで鬼を追っていくと出門は不思議な少女に出会い「お前は鬼か」とたずねる。彼女はテレパシーで語りかける。「お前こそ鬼だ」「殺せるものなら殺してみろ」
5年後、出門は四世鶴屋南北(小日向文世)の芝居小屋の看板役者になっている。その頃江戸では「闇のつばき」という盗賊一味が噂になっていた。出門はその中のひとりが落として行った白い椿の簪を預かっていた。簪を取り返しにきたのは美しい娘つばき(宮沢りえ)。出門はどこかで会ったことがあると思うが思い出せず、何者かたずねても「5年より前のことは覚えていない」という。5年より前のことは忘れたい出門は「逆しまの縁」に結ばれた女とたちまち恋に落ち、「緋の糸縛り」で彼女をたぐりよせるが、ついに逃げられる。つばきの気持ちも揺らぎ、その時肩に痛みが走り赤い痣ができる。何度もめぐりあい、つばきの出門への恋心が大きくなる度に痣も激痛とともに大きくくっきり浮き上がる。
一方、鬼御門ではかつての出門の同僚でライバルだった阿倍邪空(渡部篤郎)が頭領を殺して、世界を我が物にする野望のために美惨と手を組んでいた。つばきの肩に阿修羅の徴が現れたのを知った美惨は、つばきの許に邪空を送る。つばきを追ううちに出門とも再会。二人はつばきをめぐって闘いを繰り返すが、出門は罠にかかり肩を深く斬りつけられてしまう。つばきは身をはって出門をかばう。美惨はなぜか二人を解放し、その場にいた南北に「二人に一夜のしとねを用意せよ」といい、消え去る。
南北はその言葉に従うが、阿修羅の復活やこれから起きることも全て見届けて書き物にしたいと強く願い、二人を陰からずっと見つめている。傷の介抱が終わって語り合ううちに5年前の記憶は重なり合った。あの少女はつばき。彼女を殺したことで出門は鬼御門を辞めて別の生き方を求めたのだった。阿修羅は少女の姿で生まれ人間に殺されることで女に転生する。だから5年より前の記憶がないのだ。正体が何であれ、愛しているという出門と愛を受け入れるつばき。つばきは出門の傷からしたたる血をなめ、肌は血を吸う。二人が一つになった時に、つばきの身体は変身を始めてしまう。「恋をすると鬼になる、それこそが阿修羅」そこでつばきは初めて自分の宿命を自覚し「お恨みしますぞ、出門殿」の言葉を残し、海岸べりから鬼の世界につながる橋が現れると一人でそちらの世界に行ってしまう。「阿修羅目覚める時、逆しまの天空に不落の城浮かび、現し世は魔界に還る」勝ち誇る美惨。江戸の上空に鬼の城が逆さに浮かび、そこから江戸の町は火を落とされて炎上する。
出門は鬼の城に向かおうとするとつばきからの文が簪とともに舞い降りてくる。「瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の割れても末にあはむとぞおもふ」。ついてこようとする南北をとどめて、出門は前に現れた橋を通って城に赴く。
阿修羅の目覚めの時に必要な強い男を捜していた美惨はその男が邪空だと思って手を結んだがそれは勘違いだった。しかしすでに阿修羅を手に入れて世界の王になる野望を抱いた邪空は邪魔な出門を抹殺せんと執拗に襲いかかる。死闘の末に出門は邪空を討つ。阿修羅となったつばきの思いは「人も鬼も地獄へ落ちるがいい」だった。美惨は自らの思惑を大きく超えてしまった阿修羅の前ではもう存在し続けることができなかった。
阿修羅に転生した姿を見ても変わらぬ愛を叫ぶ出門。二人はお互いの気持ちを確かめるように刀で剣で斬りあう。それが二人の愛の交わし方だというように。そしてついに阿修羅の剣が出門を貫き、抱きあう。そしてあの簪が出門によって阿修羅の徴に突き立てられた。閃光の中で鬼の城は崩壊してゆく。二人の愛の成就のように。
江戸の晴れ上がった空の下、南北は自分の見てきたことの全てを書き綴っている。傍らにいる鬼の娘笑死に笑いかけながら。The End!

江戸の町を上空から大きく見下ろすカットが『陰陽師』の平安京を見下ろすカットと似ていて滝田監督らしい。劇団☆新感線の衣裳デザイナー武田団吾がキャラクターデザインをしているとのことで舞台のイメージは損なわれることがなかった。南北の中村座の芝居の場面など四国の金丸座を使ったロケが見事だし、さらに映像ならではの技術も駆使され、ワイヤーアクションを使った忍者のような動きや特撮を使った殺陣なども楽しい。緋の糸縛りなどはレーザー光線だ。CGも大活躍だし、異界の者と人間の闘いがそれらしい映像になっている。見ていて飽きない。
映画の物語は脇筋をカットして主人公ふたりの悲劇的なラブロマンスに絞り込まれていてすっきりしていた。2時間にまとまっているが見応えは十分。その関係で登場人物設定にも若干の変更がある(舞台では鬼御門の頭領は13代目阿倍晴明となっていて邪空に殺されてもそれは影武者だったとかで再登場するし、人気者の高田聖子のキャラを生かした桜姫、橋本じゅんの抜刀齋などは削られている)。
初めての映画主演の市川染五郎は気迫がこちらに伝わってくるようだった。天竺徳兵衛で歌舞伎を演じる場面もいいし殺陣のシーンは本当に活き活きしている。ただしどんな女にももてるという色男という点ではもう少しかなという感じ(好みの問題だと思うが)。歌舞伎ではまだ見たことがないのだけど、6月に歌舞伎座に見にいくつもりだ。
映画版のつばきに宮沢りえを起用したのは大正解。彼女がつばきをどう演じるかを観てみたかった。前半の盗賊姿も普通の着物姿も可愛かった。『父と暮らせば』での彼女も見ていて抑え気味の演技がすごくよかったのだが、今回のようなはじけた役も魅力的。阿修羅になってからの怪しい雰囲気もいい。パンフの中でも『父と~』などと全く違う役がやりたかったとのこと。こうやっていろいろな役を幅広く演じてさらに大きくなってほしい。
映画の邪空は野心だけでなく出門へのコンプレックスを克服するためにも鬼に魂を売り渡すという屈折した性格になっているが渡部篤郎はまさにはまり役だ。屈折男をやらせたら右に出るものがいないのではないか。南北役の小日向文世がいい。自己中的に書きたい物を書くためならなんでもするという常軌を逸した劇作家ぶりを嫌味なく演じてくれた。最後をしめくくるのにもふさわしい存在感もある。
中島かずきの作品はまつろわぬ民(権力側から見て自分たちに従わない民)が登場することが多い。昨年12月の『SHIROH』もそうだった。この作品の鬼というのもそうだろう。阿修羅に「人も鬼も地獄へ落ちるがいい」と言わせ、権力をめぐって闘うことの虚しさが伝わってくる。
先日見た『真夜中の弥次さん喜多さん』は相当軽いタッチだったが、こちらは重厚感たっぷりで堪能してきた。このところ日本の映画でもけっこう楽しめる映画が増えてきたのは楽しみなことだ。

写真は、映画パンフレットの表紙より(ただし、この装束では映画には出てこない)。

05/05/03 リチャード・ギア主演の『プロフェシー』星半分↓

2005-05-03 23:55:16 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
『Shall We Dance?』が良かったのでリチャード・ギア主演の『プロフェシー』が4/28の木曜ロードショーであったので娘に頼まれてビデオ録画しておいた。どうもこわそうな映画なので娘はひとりで観るのが嫌だという。そこでふたりの時間がとれた今晩一緒に観た。最後まで見たのだが、何が言いたいのかよくわからない作品だった。
世界でも伝説が残っているMOTHMAN=蛾人間が近未来を予告するメッセージを送ってきてそれを受け取れる人間が受け取ってしまい、それを周りに知らせても信じてもらえないということが起こっている。リチャード・ギアが演じる主人公はワシントンポスト紙の有名な社会部記者なのだが妻の死以来、そういう不思議な体験をしていく。自宅から600km離れた田舎の町になぜか一時間で移動してしまい、そこでさらに不思議な体験をするうちにMOTHMANの予言に気づき、オハイオ河で起こる大惨事から人々を救おうとするが、推理のミスもあり、嘲笑される。しかしながら、その謎をつきとめる中で知り合った女性警官を救うことはできたのだった。最後はそちらと結ばれるという含みを残して終わる。
見たあとにビデオを巻き戻したら英語のタイトルを「MOTHMAN~Prophesies」と確認。英和辞典にとんで行ってサブタイトルは「予言」とわかった。確かに邦題をつける時に「モスマン~予言」では人気が出そうにないなと思った。スパイダーマンと違って痛快娯楽劇でもないし。
主演男優が好きだからって見ても「う~ん、時間のムダだった」ということになるいい体験だった。