ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/05/05 勘三郎襲名披露公演連続アップ⑦5月歌舞伎座夜の部その1

2005-05-09 23:31:49 | 観劇
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) 川連法眼舘(かわつらほうげんやかた)の場』
二世竹田出雲らが合作した人形浄瑠璃全5段の4段目。忠信は五代目以来、菊五郎の家の芸になっているという。
義経を匿っている吉野山中の川連法眼の舘が舞台。会合から戻った法眼(左團次)は義経をこれからは敵とせよという合議がなったことを妻(田之助)に知らせるが、妻は自分の兄に義経のことを内通したと疑われたと思い自害しようとする。それをとどめ、あくまでともに義経を守ろうと話し合うのが前段にある。
義経(海老蔵)をたずねて佐藤忠信(菊五郎)が到来。義経は目通りを許し、忠信に預けた静御前(菊之助)についてたずねるが忠信は怪我から破傷風になり治療で郷里に戻っていて今こちらについたばかりで静を預かった覚えはないという。不審に思った義経は忠信を詮議のために引き立てようとさせるところ、静と忠信が到着したという知らせが入る。忠信も自分の偽者を捕らえようとするが、静はひとりで登場する。目の前にいる忠信に抜け駆けして先に来たのかと詰問するが、忠信はさきほど出羽国からこちらに着いたばかりだという。静は忠信が吉野までの道中で度々姿を消すことがあったが、その都度、義経が後白河法皇から賜り自分が預かっていた「初音の鼓」を打つと姿を現したということを語る。義経はその忠信の詮議を静に命じ、自分は先に来ていた忠信の詮議のために連れて席を立つ。
静が「初音の鼓」を包みより取り出して打つと、姿を現す忠信(狐の忠信、菊五郎の二役)。静に問い詰められ「さてはそなたは狐じゃな」と見破られて姿を消し、次は狐の装束となって姿を現す。きけば「初音の鼓」は桓武天皇の御代に千年生きていた雌雄の狐の生き皮からつくられており、その子どもが自分だという。鼓が宮中にある時は八百万の神の守護により近づけなかったが、義経に下されたので忠信の姿になって鼓についてきたのだという。本物の忠信に迷惑をかけてしまい、鼓になっている親狐からも古巣に帰れと命ぜられたので、涙にくれながら去っていく。
陰ながらこの話をきいていた義経は静に子狐を呼び戻すよう鼓を打たせるが、親狐も別れを悲しんでいるためか鼓は鳴らない。義経は自らの肉親の情に薄い境遇から子狐の親を思う情の深さにうたれ、静とともに涙する。そこへ再び子狐が現れると、義経は親への孝に厚い心と静をこれまで守護してきてきたことを誉め、鼓を子狐に与える。鼓に身をすりつけ全身で喜びを表す子狐。さらに子狐は鎌倉方についた吉野山の僧兵達が義経を夜討ちにしようとしていることを告げる。その上で狐の通力をもって僧兵どもを館に引き寄せさんざんな目に合わせた上で、義経と静に別れを告げて去っていく。というか、狐は木に登って、義経と静は館の中でそれぞれに見得が決まって幕。

「川連法眼舘の場」は昨年の7月の澤潟屋で観ている。忠信=右近、義経=門之助、静=笑也だった。澤潟屋型なので最後は宙乗りで狐の忠信は去っていく。今回初めて音羽屋型を観る。早替わりの見せ場も少ないし、欄間抜けもないが、その分、ゆっくりと細かい芝居が堪能できる。本物の忠信は花道の出から百戦錬磨の武士らしくどっしりとした存在感のある演技。狐忠信として狐メイクをして狐手、狐声をしての演技はまた可愛らしく、親を慕う心情が切なく伝わってきた。体の動きも軽々ときびきびと菊五郎丈、さすがである。いい時に観ることができたと満足。また、左團次・田之助の法眼夫婦の前段がけっこうよかった。
さらに海老蔵・菊之助コンビの魅力的なこと。まいりました。『源氏物語~明石』以来なのだが、ふたりが大きく成長していることが短い場面ながら十分わかった。しばらくこのコンビで楽しませてくれそうで嬉しい。

『鷺娘(さぎむすめ)』
まず舞台奥の切り穴から傘で顔を隠しながらの登場。傘も半透明なので中も透けて見える。花嫁衣裳のような真っ白な着物に黒い帯がすっきりと美しく溜息が出る。イヤホンガイドによると最初の引き抜きもかぶせではなく裾裏まで白くしてある袋がけでさらに帯まで引き抜くので後見と息を合わせるのが大変だという。途中で衣裳替えで一度入って出てきて最後はぶっ返りもあり、短い舞踊ながら衣裳も変化に富んでいて嬉しい。
踊りの内容は、チラシの裏側にある解説より抜粋。「水辺にたたずむ白鷺の化身である娘が、恋に悩む娘心から、女の罪業までを次々に踊っていきます。...地獄の責めにさいなまれた後、息の絶えていく姿も印象的」。本当に美しい鷺の精で、最後は降りしきる雪の中で息絶えるのだが、先月夜の八ッ橋が次郎左衛門に斬られてくずおれる場面と重なってしまい、ちょっとぐっときた。
舞い終わったら歌舞伎座いっぱいに鳴り響くようなすごい拍手の嵐だった。幕が再び上がったらもうバラバラと席を立って拍手する人が続出。我も我もと続々と立っての拍手となり、とうとうかなりの観客によるスタンディングオーベーションとなった。3階東一列目で見ていたのでそれは全ての階がそうだったのが見えた。これは幕を再び上げるという演出を勘三郎がしたのだと思うが、真実はいかがだろうか?
玉三郎のHPの今月のコメントに下記のくだりがあった。「実は勘三郎さんが、勘九郎さんの時代に「野田版・研辰の討たれを観るお客様に玉三郎の鷺娘を見せたい」また「鷺娘を見るお客さまに、この新しい研辰の討たれという歌舞伎を見せたい」と話をしておりまして、今回この歌舞伎座における襲名興行の最後の月に実現したわけです。」
私などは両方とも初めて観るのだが、勘三郎は襲名披露公演の中にも、歌舞伎を観る観客を広げたい、従来の観客にも新しい取組みを理解してもらいたいという意欲的な思いをこめていることがちゃんと伝わってきた。

写真は、坂東玉三郎舞踊集2『鷺娘』DVDの表紙。アマゾンより転載。

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