ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/04/21 蜷川シェイクスピア「シンベリン」の赦しの想いが五輪のロンドンに届きますよう

2012-04-21 23:59:41 | 観劇

彩の国シェイクスピア・シリーズ第25弾「シンベリン」の千穐楽に自転車ですっとんでいき、開演に間に合う(^^ゞ
舞台の上には大部屋の楽屋風に化粧前の鏡台が並び、役者たちが浴衣やガウンで開演を待っている雰囲気。一同が舞台の前にずらっと並んで挨拶かと思いきや、ここで引き抜き!一気に物語の登場人物に変わったことに度肝を抜かれた。あぁ、間に合ってよかった!!

松岡和子訳『シンベリン』による初演であり、しっかりそれを読んできたが、豪華な配役の役者陣の演技や蜷川ワールドの舞台の素晴らしさに完全にやられた。
Wikipediaの「シンベリン」の項はこちらだが、ヒロインの名前が松岡訳ではイノジェンとされている。「nn」と「m」の誤植という説があるのでヒロインに「イモ」は避けたというのが女性の翻訳家らしいこだわりだと納得。

主な配役は以下の通り。
シンベリン=吉田鋼太郎 王妃=鳳 蘭
イノジェン・変装してフィデーリ=大竹しのぶ
ポステュマス・リオナータス=阿部 寛
クロートン=勝村政信 ヤーキモー=窪塚洋介
ピザーニオ=大石継太 ベラリアス=瑳川哲朗
ギデリアス=浦井健治 アーヴィラガス=川口 覚、他

ブリテン王国はシンベリン王の伯父の時代にシーザー率いるローマ帝国との戦に敗れ、年貢を納めなければならない関係にある。そのブリテンの場面では、背景のパネルに冒頭の今回の公演チラシのバックにあるような水墨画風の絵が使われていた。
ポスティマスは戦功のあった家臣の遺児で、王が引き取り王女の遊び相手として育ち、二人の間に愛が育った。それなのに再婚した王妃の連れ子クロートンとの結婚を強要するというところからタイトルロールのシンベリン王の愚かさが際立つ。その王の吉田鋼太郎も可笑しいが、勝村政信のクロートンの馬鹿っぷりがこの芝居の喜劇性の頂点にある。また、鳳蘭と勝村の二重で大きな目がよく似ており息子を妄愛する母、母に依存する息子という関係が印象的だ。

王族に準じて紳士扱いのポステュマスはローマに追いやられ、そこに動いてきた背景のパネルは何やら日本の王朝絵巻の金地に描かれた絵のようだと思い、全てが並んだ時に源氏物語絵巻の「雨夜の品定め」の場面だとわかって興奮した。その社交界場面が実にジャパネスク!
そこここに金色の分厚い座布団が置かれ、寝そべる男たち。ローマの男たちがガウン風に着ているのは歌舞伎でよく見るような打掛だ。清家栄一などは「雪持ちの笹」が描かれたものを羽織っている。ヤーキモーの窪塚洋介が退廃的な雰囲気いっぱいで煙管で煙草をふかしている。スペイン人はマタドールが着るような上着の背には金色の刺繍。ポスティマスは黒い衣装。国際色豊かなローマは極彩色で、辺境の地のブリテンは黒いイメージという対照がきいている。

男が集まって女についての艶話で盛り上がって意地の張り合いをするというのはどこの国にもあることらしい。ヤーキモーがイタリア男の意地をかけてポスティマスをやりこめたい一心でついた嘘から「オセロ」のような嫉妬のドラマが展開していくのだが、イアーゴーと違ってヤーキモーには後悔の念が強く湧いてきて動揺するというのまた人間くさい。ポステュマスは高潔な人物のはずが、これくらいのことで脆くも嫉妬の激情に振り回されるという一面があるのも人間の複雑さを描いてよい。多面的な人物造形が憎らしい。女をこき下ろす場面にはシェイクスピアの女嫌いの実感がこもっているのかもと思うとそれもまた可笑しい。

この男女の愛のもつれとともに、滞った年貢の請求で二つの国の関係は悪化し戦争へとドラマはすすんでいく。要所要所で舞台の効果音として大鼓の高い音が台詞との間も絶妙に響き渡り、舞台にスピード感を増している。楽隊の奏でるギターに小鼓が重なるなど和洋の音のコラボも効果的。
また、愚かな王は過去に忠臣を誤解して領地を取り上げて追放し、仕返しとして息子二人を攫われていた。その忠臣ベラリアスが息子として育てた王子二人の浦井健治と川口覚がまたいい配役だ。イノジェンが身の危険を避けるために変装して小姓姿になり、彼らに助けられ、愛される。「ロミジュリ」のジュリエットのように仮死状態になる薬を飲んで死んだと思われた時に鎮魂のために浦井が歌うのもよし、川口の嘆く台詞がよい(ネクスト・シアターの「ハムレット」主演が見事だった)。

イノジェンとポスティマスが密会するだろうと追ってきたクロートンは、ギデリアスを侮辱し、斬り捨てようとして反撃されて殺される。仮死からめざめたイノジェンがとりすがるその首なし死体がこの芝居で唯一の流血場面となるが、「馬鹿は死ななきゃ治らない」的に笑えるキャラ設定でそれほど悲惨には見えないのが救いだ。

シンベリン王と旧知のカイアス・ルーシアスを将軍としてローマとの開戦となるが、戦に入る前は旧交を温めあい、そうしてあらためて正々堂々と戦を始めるという関係が面白い。歌舞伎の敵同士が戦場まで決着を預けての幕切れと同じだなぁと思う。
戦の場面はブリテン軍の黒、ローマ軍の白の衣装でスローモーションの激突の立ち回り。ベラリアス父子とポスティマスの活躍のそれぞれをしっかり目で楽しめる。イノジェンは自分の命令でピザーニオが殺してしまったと思い込んだポスティマスは死に場所を求めて奮戦したが捕虜となる。その夢に琵琶を奏でながら登場する父をはじめとした家族の霊が現れて嘆き、ジュピターに抗議すると大鷲の背に乗った大神が現れて救いを約束。まさに「デウス・エクス・マキナ」=ギリシャ劇的大団円へと向かう(このジュピターも白い面をつけ白い和風の衣装の袖を腕に巻くように振り回していた)。

ブリテン軍の勝利。そこで息子の失踪で錯乱死した王妃の告白で王室内の謀略が明らかになり、捕虜となったヤーキモーの懺悔、クロートンの死の真相から二人の王子のことについても次々と明らかになる。ベラリアスは王に不当な扱いへの復讐の赦しを得、ポスティマスはヤーキモーを赦す。
王は婿の寛容さを見習い、死刑にするはずのローマ軍の捕虜を「赦そう」と言った。
私はここで、復讐の連鎖を断ち切ることをテーマにした「ムサシ」を思い出した。井上ひさし×蜷川幸雄の「ムサシ」のニューヨーク公演は9.11以降の復讐の連鎖を断ち切ってほしいというメッセージを伝えるものだった。
そうか、この「シンベリン」もロンドン五輪に連動した文化企画のシェイクスピアフェスティバルに招致されている作品だ。「平和の祭典」であるべきオリンピックに「お互いに赦しあって戦争という復讐の連鎖を断ち切る」というメッセージを届ける舞台になるのではないかと思い当った。アジアンテイストの舞台もロンドンでは喜ばれることだろうし、このメッセージはしっかり届くと確信した。

戯曲を読んだだけではわからなかった、「赦し」がいくつも入れ子になった舞台を堪能し、このメッセージにいきあたった私は千穐楽のカーテンコールを見ながら涙があふれてきてしまった。ネクストシアターの「ハムレット」でも滂沱の涙にくれたが、2作連続で泣かされてしまった。蜷川の舞台を今観られることが私の人生の幸せであり、生きる力になっていることを痛感させられた。

主演二人についても書いておく。
ポスティマスの阿部寛は初のシェイクスピアだったようだが、見事だった。蜷川作品に出た「新・近松心中物語」「道元の冒険」「コースト・オブ・ユートピア」のいずれも観ているが、舞台俳優として着実に成長しているのが嬉しい。全出演者の中でも頭ひとつ飛び出るほどの長身全体から大きな感情表現が爆発しているのを見るとロンドンでも見劣りしないだろうと確信した。
イノジェンの可愛らしい王女ぶりと男装の小姓への変わり身をここまで瞬時に見事に堪能させられる女優は今のところ大竹しのぶしかいないだろうと思う。「NINAGAWA十二夜」の菊之助と比べてもいい出来だ。訓練された歌舞伎の女方と違い、声の出し方の変化を安定的にできる女優はほとんどいないだろう。男優に演じさせた「メディア」を大竹しのぶの女優としての成熟を待って主演させた蜷川ならではだと納得至極。実の年齢が問題にならないのが舞台のよさで、阿部寛の長身にからむ小柄な大竹が可憐だった。
恋敵役の勝村をカーテンコールの最後にひっぱって出てきて3人で挨拶するようにしていたのも微笑ましい。そう恋敵が二人の純愛を一層引き立ててくれたのだからね。勝村の恋敵の存在感も魅力的だった。


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4 コメント

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Unknown (恭穂)
2012-04-24 21:22:38
ぴかちゅうさん、こんばんは!
久々の蜷川シェイクスピア、大満足な舞台でしたねv
最初から最後まで楽しませていただきました。
「雨夜の品定め」のシーンの衣裳が、
そんなにいろいろ意味のある図柄だとは気付きませんでした・・・残念!
この舞台、色々なところで歌舞伎風な演出もありましたね。
もっと知識があれば、そういう目線でも楽しめたのでしょうか。
ぴかちゅうさんと一緒に観劇できればよかったなあ・・・
また是非ご一緒させてくださいねv
★「瓔珞の音」の恭穂さま (ぴかちゅう)
2012-05-01 00:47:44
21日の千穐楽に観て記事アップしたら恭穂さんもアップされていたので嬉しくなってTBさせていただきました。TB返しも有難うございましたm(_ _)m
私は最後の「赦し」の場面に「ムサシ」を彷彿とし、赦しの心で復讐の連鎖を断ち、戦争のない世界をというメッセージを込めた舞台が平和の祭典といわれるロンドン五輪に連動するシェイクスピアフェスティバルに上演されるのだと思ったら涙があふれてきてしまいました。世界のカンパニー競演の中でこのジャパンテイストたっぷりの演出は大うけ間違いなしだと思います。
役者陣の充実の演技にも大興奮!ロンドン公演に出演することで彼らの役者ぶりがまた一段と大きくなるかと思うとそれもまた感慨無量です。
この昂揚感収まりきれず、翌日は若手の「仮名手本忠臣蔵」昼の部観劇だったのに目覚まし時計のセット時間を間違えて大遅刻(T-T)なかなか連日の観劇に集中力が続かないなぁと痛感させられました(^^ゞ
見応えたっぷり (スキップ)
2012-05-12 06:09:44
ぴかちゅうさま
さい芸の千穐楽をご覧になったのですね、うらやましい。
シェイクスピアのロマンス劇って、いつも最後にこれまでの問題が一気に解決!というか、ハッピーエンドすぎてちょっと苦手感あったのですが、この作品はとてもよかったです。
ぴかちゅうさんのおっしゃる通り、シンベリン王はじめ最後のいろんな「赦し」の場面は感動的で、私も涙出ました。
役者さんたちも皆魅力的で、さすが蜷川さんが選んだキャストだけあるという感じでした。ニナガワシェイクスピア常連さんたちの中で、窪塚くんが気を吐いていたのも頼もしかったです。
ロンドン公演の評価も楽しみです。
★「地獄ごくらくdiary」のスキップ様 (ぴかちゅう)
2012-05-13 22:00:56
大阪公演の記事アップに感謝です。お名前のURL欄の記事にTBもさせていただきましたm(_ _)m
この作品は荒唐無稽すぎて、本場のイギリスでも上演回数が少ないようです。そこをジャパネスクの様式性の強い演出手法でここまで見応えのある舞台として成立させる蜷川さんの手腕が見事でした。
蜷川シェイクスピアに初登場した窪塚さんも本当によかった!ヤーキモーという嫌らしい人物が後悔の念に苦しめられ、赦しを乞うという人間としての成長が浮かび上がったことで「赦し」の力の大きさに焦点が当たっていたように思いました。彼も役者としてまた一回り成長してくれたようにも思えて嬉しかったです。
戦闘シーンに流れた音は、空襲警報と爆撃の音に津波がかぶったようなものに聞こえました。恋の戦も国と国の戦も全てを赦しあい、人と人が手を携えて新しい一歩を歩みだせるというイメージが広がり、そのメッセージが「平和の祭典」であるはずの五輪のロンドンに伝わって欲しいと強く念じてしまいました。ロンドンの劇評が楽しみですね(^_^)

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