先月の国立劇場の初春歌舞伎と昨年8月の亀治郎の会の舞台のBSでの夜中のオンエアの録画予約を確認し、お風呂から出てきてうろうろしていたら、ただならぬ声で娘に呼ばれて訃報を知ってびっくり。つけっぱなしのテレビのNHKの速報の音に画面を確認にきて母に急いで知らせたわけだ。うーん、娘もたまには役に立ったわけだ。
2004年5月の歌舞伎座での海老蔵襲名披露公演で体調不良で入院し、「急性前骨髄球性白血病」と診断されて休演。闘病を経て2006年に「外郎売」で復帰した時の歌舞伎座に響き渡った客席の拍手は忘れられない。2008年には妹さんから骨髄移植を受け、ひと安心と思っていた。
しかしながら、無理はできないはずで出演の月の講演でも一日1つの演目での出演というペースが続いていた。荒事の隈取のお役での稚気あふれる姿は、当代無類のものだった。
昨年7月の弟子筋の澤瀉屋の襲名披露公演では口上の引き合わせ役を予定時間オーバーで張り切って饒舌につとめていた姿は嬉しかった。
10月の七世幸四郎追遠の公演では、幸四郎と團十郎の2人で昼夜の弁慶と富樫を替わってつとめるというハードな企画に心配し、團十郎の弁慶と幸四郎の富樫で観た昼の部があまりによくなかったので心配が現実になった。その翌々月の12月南座の途中から体調を崩しての休演となり、10月の無理がたたって肺炎になってしまったのではないかとかえすがえすも残念至極。
休演が続いていた先月のはじめ、かかりつけの小川耳鼻科の先生に白血病での骨髄移植でも免疫抑制剤を使うかとお聞きしたら「当然使うよ」とのことで、肺炎はこれは大変な状態だと危機感を強くしていた。
さらに先月の浅草歌舞伎千穐楽の昼の部で観た海老蔵の初工藤が実によかったので、父の入院中でもあってより神妙につとめているのだろうと推測していた。
そして今日を迎えてしまった・・・・・・。團十郎丈のご冥福をお祈りする。
昨年12月の勘三郎、今日の團十郎。先に逝かれていた人間国宝のお三人はお年もお年だったのでと思えるが、実に残念至極としかいいようがない。
歌舞伎座のこけら落とし興行の4~6月のチラシを並べてあらためて眺めてみる。團十郎のお役は4月5月はあまり大きなものはなく、体調を整えて6月で「助六」ということにしてあったのだろう。
追悼、追悼のこけら落し興行になってしまうが、いやがおうでも観客も伝統芸能の継承の場に立ち会うことになりそうだ。
(追記)
3月誕生予定の海老蔵の第2子は男の子であるとのことで、楽しみにされていたという報道があった。後継の孫の顔がみられなかったのは残念だったことだろう。父團十郎の芸を子にしっかりと受け渡すべく、海老蔵が精進してくれることが一番の供養となるはずだ。
きっと今回もそうなることを信じています。
五代目歌舞伎座は若手が作っていくしかないですね。それも彼らの責任大だから、甘えてはいられない。彼らの肩に背負ったものは並大抵ではないと思いますが、頑張ってもらいたい。こちらも応援し見守っていく覚悟です。