さてさて秀山祭の昼の部の眼目の「寺子屋」。2006年の秀山祭九月大歌舞伎で幸四郎の松王丸、吉右衛門の源蔵で観ているが、吉右衛門が松王丸という舞台は初見。
歌舞伎座さよなら公演御名残四月大歌舞伎「寺子屋」の記事はこちら
【菅原伝授手習鑑 「寺子屋」】
今回の主な配役は以下の通り。
松王丸=吉右衛門 千代=魁春
武部源蔵=歌昇改め又五郎 戸浪=芝雀
涎くり与太郎=種太郎改め歌昇
菅秀才=玉太郎 百姓吾作=由次郎
園生の前=福助 春藤玄蕃=段四郎
涎くり与太郎を新歌昇が熱演していたが、もっと芝居っぽくしないと物足りない感じ。このお役は実は難しいのだということを思い知らされた。
新又五郎の源蔵と戸浪の芝雀のコンビがいい。この二人は菅丞相の館で不義の仲となって勘当となっているのだが、芝雀の戸浪は堅物の源蔵でもそうなってしまうのが無理がないと思わせる色気がある。その勘当の身でありながら「筆法伝授」され、信頼して一子菅秀才を預けてくれたという恩義を深く感じている源蔵夫婦である。わが子同然の寺子の命を奪って忠義をつくさなければと決意を固めている場面が切ない。
段四郎の春藤玄蕃が憎々しげで歌舞伎の敵役としての存在感たっぷりで嬉しい。そこに吉右衛門の松王丸が病鉢巻姿で登場。それだけで気分が高揚してくる。
松王、玄蕃、源蔵、戸浪の役者が義太夫狂言の台詞回し、動き、間合いをはずさずにきっちりと見せてくれるのが嬉しい。首実検までかどかどが極まる気持ちよさ!これが丸本物を観る醍醐味そのものだ。
特に松王の吉右衛門と源蔵の新又五郎が対峙する場面は気迫が熱くぶつかり合う。このように主役の吉右衛門とがっぷり四つに組める「お師匠番」がまさに吸い取り紙のように芸を写して、次の世代に伝えていく、そんなイメージが湧いてきた。
小太郎の身代わり首が見破られなかったとホッとする源蔵夫婦のもとにやってくる小太郎の母の千代。魁春はこういうお役が実にはまっていてよい。六世歌右衛門の追善狂言の政岡は見ていられなかったが、脇役できっちりとした仕事をしていってくれるのがお役目だと思う。
千代と夫婦のやりとりに松王丸が松の枝を投げ込む。結び付けられた短冊を源蔵が読み上げると菅丞相配流の前に詠んだという「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」。それを受けた松王丸が「菅丞相には我が性根を見込み給ひ、何とて松のつれなかろうぞとの御歌を、松はつれないつれないと、世上の口にかかる悔しさ、推量あれ源蔵殿。倅がなくばいつまでも人でなしと言われんに、持つべきものは子なるぞや」
もちろん史実にある菅原道真の歌ではないが、梅王丸、桜丸の忠義心に劣らない自分の忠義心をあらわすために我が子を身代わりにする決断を下した松王丸の血の叫びまで、すごいホンだとつくづく思う。
源蔵に小太郎の死に様を尋ね、「菅秀才のお身代わり」と聞かされた小太郎がにっこり笑って首を差し出したという殊勝な死にざまを聞き、我が子ながら「なに、わろうたとや?」から「立派なヤツ」等々続けざまに誉め讃え、「持つべきものは子でござる」となって、泣き笑いの末の大落とし。吉右衛門の悲嘆には気持ちが籠っている上にそれが様式美になっているのが芸の極まりを思わせる。
その小太郎はあの世で叔父の桜丸に会えるという千代の言葉は松王だけでなく観ている観客の心の救いにもなり、菅秀才の言葉が松王の忠義の報いとなる。
あくまでも菅秀才に見立てての小太郎の野辺の送り。「いろは送り」の義太夫に乗せて、「寺子屋」の幕切れはしめやかだ。
新又五郎の足は千穐楽までギプスで固められた痛々しいもので、極めの形もできないところは工夫でしのぎ、精一杯動いているのがわかった。今回の「寺子屋」の舞台は素晴らしいものだったが、映像として残るものにするのはちょっと気の毒だし見送られてしまうことだろう。実に勿体ない機会となったような気がする。
10/8に封切られた吉右衛門主演の初のシネマ歌舞伎「熊谷陣屋」を観てきて、さよなら公演の歌舞伎座で観た時の感動が甦り、アップの映像で細かい芝居も堪能させてもらった。またの機会に「寺子屋」も是非ともシネマ歌舞伎にしてもらいたいと思っているところである。
以下、今回の秀山祭の記事をまとめてリンクしておく。
9/17夜の部①「車引」の感想
9/17夜の部②「沓手鳥孤城落月」、「石川五右衛門」の感想
9/17夜の部③「口上」又五郎・歌昇襲名について考える
9/25千穐楽昼の部①「新口村」「勢獅子」などの感想