ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/10/10 七代目中村芝翫さんを悼む

2011-10-10 23:58:53 | 観劇

七代目中村芝翫丈が肝不全のため10/10に83歳で亡くなった。出かける前にマイミクさんの記事で知って溜息が出た。予感はあった。9月秀山祭の初日出演後に病気休演されたが、筋書掲載舞台写真の「沓手鳥孤城落月」のページには芝翫と福助の淀君があった。その芝翫の淀君のお顔があまりにむくんでいるようでハッとさせられていた。

戦後を代表する六代目中村歌右衛門、七代目尾上梅幸に次ぐ女形として活躍されていたとのことだが、私はそのお二人は見ていない。本格的な歌舞伎観劇を始めたのは勘三郎襲名披露興行くらいからなので、円熟期の舞台は残念ながら見る機会がなかった。それでも四代目中村雀右衛門、四代目坂田藤十郎とともに超ベテランの女形芸を見せていただけたのは有難いことだと胸に刻みたい。冒頭の写真は、2007年3月歌舞伎座の「吉野山」の公演時、イヤホンガイドの『耳で観る歌舞伎』の表紙にあった芝翫丈の静御前。
昨年の歌舞伎座閉場後、新しい歌舞伎座に建て替える前に世代交代がすすむだろうと予測していたが、今年の1月には中村富十郎丈が81歳で亡くなり、梨園の大御所のお二人が続けて鬼籍に入られてしまった。
富十郎・芝翫の人間国宝の二人が踊られた2008年1月の「鶴寿千歳」が甦る。
2010年1月の歌舞伎座さよなら公演の「車引」で桜丸が実によかったのも思い出す。

この8月に子息や孫とともに舞台に立っていた「夏 魂まつり」が、私にとっては最後となってしまった。
芝翫丈のご冥福を祈りつつ、子息たちだけでなく教えを受けた後輩たち皆が、その芸を立派に継承していってくれることを信じている。

(10/11追記)
長男の福助丈がオフィシャルブログのこちらの記事で御父上が「雨男」だったと書いています。そういえば、9日から10日にかけての深夜に天気予報は曇りだったのに雨になりました。深夜に洗濯物を干す私としては予報と違うと文句を言っていたのですが、そういうことだったのかとしんみりしてしまいました。
六世歌右衛門が亡くなった日は桜の花が咲いているのに急に雪模様になったことが伝説になっています。二代続けて大成駒と呼ばれる方がこの世を去る時、風雲の神も心を動かされるのかなぁという感慨も湧いてきました。