Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

人生最長に付き合って来た人 = 父 を振り返って(No.2301)

2013-06-27 22:58:40 | その他
 こんなことを書いている場合でないことは重々承知している。17時過ぎから「夜叉ヶ池批評続編」を書くつもりで、パソコンと向き合って5時間超。どうやら書けない、と判断せざるを得ない。理由は、猫頭ヒョーロンカ = 私高本 でも、はっきり認識できる。

私高本と人生最長に付き合って来た人 = 父 を見送りして、の喪失感


である。読みたく無い人は、今日号は飛ばして下さい。単なる「猫頭ヒョーロンカの回顧録」ですから。「佐伯周子 との付き合いの方を長くしたい」と思っていますが、父とは53年以上。佐伯周子 とは13年少々。後40年生き延びる & 見捨てられない(← 私高本は2回離婚されているので、結構切実な問題(爆涙)
と追い付けない。現在53才なので、93才までか! 短命の家系なので、相当に難しい感触がある(涙


  相当に似た「顔 & 性格」なので、『磁石の同じ磁極は反発する』の大原則通り、幼い日から全く性格が合わなかった。父は囲碁が好き、私高本は将棋が好き、などなど。
  末期には、「死後どうしたいの?」と尋ねたら、それまでは答えなかったが、「要介護3」認定を食らった辺りで「さすがに末期?」と思ったらしく、要望を話してくれた。

  1. 妻(= 私高本母)と一刻でも早く同じ墓に埋葬してくれ
  2. 生前に、妻と同時に取得した「法名」を墓石に刻んでくれ
  3. 墓石には「数え年」で没年を刻め

  多くの「遺言マニュアル」に書いてある「遺産相続」とかは全くない。財産が大して無ければ揉めることないからなあ。
 6/23(日)に主治医の病院から「心肺停止したので至急来院して欲しい」コールが来てから、佐伯周子 と駆け付けてから、父の遺言を全て実行した。本日埋葬。佐伯周子 と 私高本 が立ち会って、遺言通り「妻」と同じ墓に埋葬した。法名を刻むのは、少々時間が掛かる、とのこと。


 父の生前、(少なくとも)3年前に交通事故の遭って以降は、考えられ得る最善を尽くした、と私高本は思っている。佐伯周子 と その弟 の知恵には、本当に感謝することばかりだった。

自動車にはねられた直後の主治医の診断は、「血糖値高過ぎ、手術不可能、足切断、おそらく短い期間で重篤な糖尿病合併症(脳梗塞とか心筋梗塞)で死亡または半身不随」


だった。(他の人は知らないが)私高本は「聞いたママをそのまま父に伝えた。」絶句していた。それまで、30年(40年?)以上、医者を騙し続けた「ツケ」が廻って来た瞬間だった。

 「嫌だ」とホザくので「どうしたいの?」と聞くと、要領を得ない。「お前に任すから、足切断は止めて欲しい」とのことだった。

私高本の言う通り『糖質制限食を実行しろ。足切断の判断は延期してもらう』


から、交通事故入院生活は始まった。運良く血糖値が下がり、『手術可能』になり、それから3年以上、『最期の日』まで歩けていた & 意識があった & (認知症なのに)人は全員認知出来ていた(日時が認識出来ていなかった)のは、今から考えると奇跡的に「良かった」症状だ。
  最期は「近所で常に気を配ってくれていた方」が看取ってくれた。自宅敷地内で、親身にお世話下さった複数の方に看取られての死去だった。一人住まいが19年以上だった父の死去が、温かい皆様に見守られてのあの世行きだったのは、奇跡に近い。本人の行いが良かったからだろうか? 私高本は間に合わなかったが、父も本望だろう。
  私高本も、佐伯周子に(音楽以外のことで)迷惑を掛けずに、死去したい。「寝たきりになって10年以上」とかは、(心だけでなく)サイフにも大きく迷惑を掛ける。大富豪でないのだから、見込みが無くなったら「ピンピンコロリ」になった父に見習いたい。死ぬ3ヶ月前までは、「歩行7千歩」を実行してくれた、と電話では報告してくれていた。その報告が本当かどうかはわからない。


死去の翌日、机の上をみたら、交通事故の遭う直前の『2009年の 佐伯周子 シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会プログラム』が表紙の方向で置いてあった。


  完全に元通りに足が戻ったら、「佐伯周子次回公演」も聴きたかったことがひしひしと伝わって来た。涙が止まらなくなった瞬間だった。
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