Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

D946 について その6(No.1659)

2009-06-27 05:07:39 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
2月22日号 の続きである。


 ベーレンライター新シューベルト全集ピアノソロ小品集2(BA5521)に

  1. D946/1 の「主部終結部 + 第1エピソード冒頭」の自筆譜写真版
  2. D946/1 の「第1エピソード終結部 + 第2エピソード冒頭」の自筆譜写真版

が掲載されている。この2つを見比べると

  1. シューベルト自身は「ダカーポ再現部」は再度は書いていない。『D.C.』指示のみ

  2. 第2エピソードに飛ぶには第113小節から飛ぶように指示

  3. 「エピソードに行かない時は、第109a小節から反復」


と読み取れる。『Fine』の指示はどこにも無い。(これが混乱の原因!)
 現行の原典版楽譜は全てが全て「ダカーポ再現部を繰り返し無しで再度(または再三)印刷」している。私高本は『1868年世界初版楽譜』を見たことが無いのだが、1888年の旧シューベルト全集では既に「再印刷」している。その後の原典版楽譜全てが「再印刷 or 再三印刷」になっている。これは他の曲でも多々あることで、スケルツォ楽章ではよくあることだ。例えば D850 とか D935 とか。


 シューベルトの楽譜ばかり見ている私高本の眼では

  1. 「シューベルトの感覚」では『エピソードに進行する時 → 2番カッコ』

  2. 『エピソードに進行しない(= 繰り返し or 終曲)時 → 1番カッコ』


に見える。この手の「1番カッコと2番カッコ」問題で最も有名な曲は ピアノソナタ第21番変ロ長調D960 第1楽章だろう。繰り返しの有無についてはピアニストの皆様が各自各論持っていらっしゃるが「1番カッコを弾きたいならば繰り返す」ことになる。「コーダ有り」の曲だと指示が明確! D960第3楽章 とか、D946/2 とかがすぐに思い浮かぶ。
 シューベルトは「コーダが無い時は経過句は弾かない」のだ! この原則はピアノソロ曲に限らず、ピアノ連弾曲でも弦楽四重奏曲でも交響曲でも徹底されている。もし疑問に感じた方がいらっしゃれば、コメント欄に書込をして下さい。
 ブラームスは「第2エピソード重視」で「第2エピソードへ移る時の * マーク」に重点を置き過ぎて、どうしようもなくなって「1小節作曲」したようだ(爆


 シューベルトが「作曲した」のは次の通りにまとめられる。小節数表記は ベーレンライター新シューベルト全集 の通り。

  1. 主部 : 第1小節~第109a小節(109小節)

  2. 1回目の移行部 : 第109b小節~第117小節(9小節)

  3. 第1エピソード : 第118小節~第160小節(43小節)

  4. 1回目の移行部再利用 : 第109b小節~第113小節(5小節)

  5. 2回目の移行部後半 : 第274小節~第277小節(4小節)【シューベルト自身の削除指示】

  6. 第2エピソード : 第278小節~第326小節(49小節)【シューベルト自身の削除指示】


以上の通りである。赤字の箇所が「ブラームスが誤解した小節」である。

ブラームスは第109b小節~第113小節を「主部終結部」と勘違いした!


のである。だが、終結最後の「解決」がどこにも無いので、ブラームス自身が1小節付加 = 作曲 したのである。何たることか!!!

シューベルトが作曲 : 160小節 + 53小節 = 213小節(第109小節のaとbは1小節に数えるのが当たり前)


シューベルトの意図は第2エピソードの有無にかかわらず、終曲 = 第109a小節が明瞭


今回の佐伯周子の演奏は第109a小節で終曲する。ff で毅然と終曲する様を是非あなたの耳で鑑賞して頂きたい。
コメント
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