Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト:作品 大系&詳述 3(No.2373)

2014-02-15 19:01:58 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.3
シューベルト:作品 大系&詳述 3



第2期(初期) 1814.10.19 - 1818.08 『単独リート全盛期』 D118 - D623 3年10ヶ月(17才 - 21才)


  「ドイチュ番号」の進み方を見て頂きたい。3年10ヶ月で、 505 も進んだ! 

特に最初の1年(1814.10.19 - 1815.10.19)は D118 - D319 と 201 も進んだ! しかも最終日 = 1815.10.19 は D311 - D319 の9曲のリートが一挙に作曲されている!!!


 「多作家」と言われる シューベルト だが、これほどまで多作だった時期は第2期だけである。この時期は父親の経営する学校で助教員をしていたのだから、作曲時間はむしろ少なかった、はずなのだが。


ゲーテとの出会い、「シューベルティアーデの仲間たち」との親密な会合


  それまで、シラー と マティソン ばかりに附曲していた シューベルト。まさに ミサ曲第1番公開演奏の前後に『偉大な現代詩人』に出会う。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年8月28日 - 1832年3月22日)だ! シューベルト よりも 48才年上だが、シューベルト没後3年半以上の人生だった。

 ミサ曲第1番初演から3日後 = 1814.10.19 に「天啓」がシューベルトの身に降りて来た。

ゲーテ詩「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 を ミサ曲第1番ソプラノソロ演奏の テレーゼ・グロープ 演奏の想定で作曲!


  ゲーテ詩も素晴らしい。テレーゼ・グロープ のソロにも魅せられた! の相乗効果だろう、これまでの全ての作品を越える曲が誕生した。さらに

「シューベルトの友人たち」の意味の「シューベルティアーデ」が開催されるようになり、「詩の朗読会」で(ゲーテ などの詩に交じって)友人たちの詩が読まれ、シューベルトが作曲するようになった


  その最初の成果が マイヤーホーファー「湖にて」D124 である。なんと、ミサ曲第1番公開演奏の1ヶ月半後の 1814.12.07 に作曲されている。マイヤーホーファー だけではない。ショーバー や コリーン などの「シューベルティアーデの仲間たち」から数々の名曲が生まれるようになった。多くのヒョーロンカが「シューベルティアーデの友人たちの稚拙な詩」に作曲した「詩の選別眼の無いシューベルト」と言う大馬鹿なことを書いているが、マイヤーホーファー詩「双子座の星に寄せる舟人の歌」D360、ショーバー詩「音楽に寄す」D547、コリーン詩「小人」D771 「夜と夢」D827、などが名曲に感じられないのだろうか? 暴論ヒョーロンカには憤りを感じる次第である。


 第2期は「単独歌曲全盛期」である。

「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 は、それまで作曲された全ての「歌曲」を凌駕する曲であり、ベートーヴェン+モーツァルト+ハイドンをも凌いだ名作


 しかも「糸を紡ぐグレートヒェン」と肩を並べる名作リートが、この第2期に大量に作曲される。

  1. 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118


  2. 「羊飼いの嘆きの歌」D121


  3. 「憩いなき愛」D138


  4. 「恋人の近く」D162


  5. 「さすらい人の夜の歌」D224


  6. 「漁師」D225


  7. 「最初の損失」D226


  8. 「野薔薇」D257


  9. 「魔王」D328


  10. 「トゥーレの王様」D367


  11. 「狩人の夕べの歌」D368


  12. 「馭者クロノスに」D369


  13. 「竪琴弾きの歌、第1、第2、第3」D478(これより上は ゲーテ詩)1816.09


  14. 「さすらい人」D489(シュミット詩)


  15. 「子守歌」D498(詩人不明)


  16. 「死と乙女」D531(クラウディウス詩)


  17. 「ガニュメデス」D544(ゲーテ詩)


  18. 「音楽に寄す」D547(ショーバー詩)


  19. 「鱒」D550(ショーベルト詩)


  20. 「タルタルスの群れ」D583(シラー詩)


  21. 「エルラフ湖」D586(マイヤーホーファー詩)



 これほどの名作がわずか3年10ヶ月に産み出された。注目して頂きたいのは、13番目の「竪琴弾きの歌」までの全てが「ゲーテ詩」と言う点。他の詩人にも曲を付けているのだが、1814.10.19 - 1816.09 の2年間は、「ゲーテに専念」に近い状態だった、を意味する。

 翌月1816年10月から様子が一変する。シュミット詩「さすらい人」に始まり、「死と乙女」「鱒」など後に器楽曲の変奏曲主題に用いられる曲が3曲もされ、3曲とも別の詩人であった。


「シューベルティアーデ」が第2期に、シューベルトに働き掛けて実行した出来事



  1. 1816.04 ゲーテに「シューベルト作曲ゲーテ歌曲集」楽譜を献呈するも、返事無しに返送されて来た。


  2. 1816.10.03直後 交響曲第5番変ロ長調D485 がどこかで初演された


  3. 1818.01.24 マイヤーホーファー詩「エルラフ湖」D586 が雑誌の付録の形で出版される


  4. 1818.03.01 序曲ハ長調D591 が初演される


  5. 1818に入った頃から シューベルト作曲オペラをウィーンで上演できるよう奔走



  「ゲーテ献呈」の話は、「魔王」の3連符を2連符に易しく弾けるようにした改訂楽譜が写真版であちこちに掲載されていることで有名。シューベルティアーデの友人たちは、ゲーテの威光を借りることを真っ先に思い付いたのだが、これは失敗に終わったと言って良い。
  交響曲第5番が初演されたことは間違い無い。兄フェルディナンド・シューベルト が「演奏用パート楽譜」を作成している。シューベルトの全交響曲中、ティンパニ と トランペット が存在しない小さい編成は 第5番だけである。この交響曲を境に、「ゲーテ専念」は終焉する。
  「シューベルティアーデ詩人」のマイヤーホーファー詩「エルラフ湖」が初出版に至ったことは、この出版は友人たちの努力の賜物だった証。

 「いつものシューベルティアーデ」は、シューベルトの弾くピアノの廻りに友人たちが集まり、歌い、踊った。

「交響曲の代用品」として「ピアノソナタ」を作曲開始したのも、第2期!


 しかし、交響曲作曲家 または 宗教音楽作曲家 または オペラ作曲家 として、大成したかったシューベルトの意向を友人たちは熟知していた。機会を作っては、交響曲や序曲を演奏に至らしめていたが、次なる飛翔として「オペラ作曲家」を目指した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする